「最近、時間の流れが早い」と感じているのは私だけではないでしょう。
ここへ来て、やっと世界中でコロナ禍が一段落しているようで、普通の生活に一歩近づいたように感じていますが、パンデミックなど思いもよらなかった日常を過ごしているのはすでに2年余にも及んでいます。まるで昨年、一昨年が「消えた時間」のように感じてしまいます。
しかしながらこの2年の間にいろいろなことを学びました。「当たり前の日常が如何に大切であり、それが崩れるのは一瞬のこと」。
冷静に考えれば至極当然のことなのですが、それを目の当たりにすると「飲み、食べ、生活する」という普通の暮らしの素晴らしさを痛感します。そして平和と言うものは、これもいとも簡単に壊れてしまうということ。これらはパンデミックや戦争だけでなく事故や事件に巻き込まれたり、病気を患うことでも発生することで、平和な日常がどれほどまでに大切だったかを思い知らされる時間となりました。
そんな、いろいろなことを考えさせられるきっかけとなったこの期間ですが、その中に「価値観の変化」といったことも気づかされます。
つい最近のことですが、ある大手外食チェーンの役員が大学のセミナーにおいて不適切な「言葉」を使ったことによって処分をされるという出来事がありました。
皆さんも覚えていることと思います。この出来事は4月に起こりましたが、日々のニュースの中ではすでに遠い過去のような感覚です。その発言は「生娘をしゃぶ漬け戦略」というもの。
今時、「生娘」とか「しゃぶ漬け」という言葉を使う人も多くはないとは思いますが、この元役員は相当「奇をてらった」ものと推測されます。この発言により当人は会社での地位、社会的評価を失い、彼の「平和な日常」は一瞬にして消え去ってしまったことでしょう。これは致し方ないことではありますが、この発言の裏には「当人の価値観」が関わっていることは間違いありません。まさに前時代的な考え方と差別的考え方が根底にあったと思われます。
まさに言葉は「言霊」であり、発せられた「言葉」には多くの「意思と意識」が隠されます。これらを意識し、自らの発する言葉がどれだけ「相手に影響を与えるか」を考えることが「言霊」の本質です。
言葉にはそれを創り出す人の意識と意思が隠されるのですが、近年、意図的に言葉を「いじくる」傾向を強く感じています。
最近で典型的なのは、政治家の費用として配られる「文書通信交通滞在費=文交費」です。最近ではネットなども多用され、以前ほど印刷物などは多くないはずですが、領収書が必要のないものであり、転用も自由でした。これが問題となり、廃止や利用厳格化の議論が始まりましたが、結果は名称が「調査研究広報滞在費」と変わっただけでした。問題はそこではなく、給付の仕方や使い方であったのですが、言葉でごまかすような感じで終わってしまいました。
今回、ロシア・ウクライナ問題でよく使われるようになった「人道回廊」。そもそも戦争そのものが非人道的なことなのですが、如何にも「人を尊重している」かのごとく使われる欺瞞的言葉。
経済においてもその内容を気づかれにくくする言葉の使い方があります。
例えば、「トリガー条項凍結解除」。
トリガー条項はガソリン価格がある条件以上に上がった時に減税される仕組みで、今はそれが凍結されていて、それを解除しようという議論でした。それなら初めから「トリガー条項適用」と簡単に言えば良さそうなものなのですが、法的な議論になってくるとそうもいかないようで、そこには「解除」したくないという意識を感じます。そして、未だにガソリンは高止まりで、難しい表現を「駆使して」非難をやり過ごそうという「意識」が見え隠れしてしまいます。
以前にも同じような表現がありました。「金融ビッグバンによるペイオフ解禁」。
何か、如何にも一般国民に有利な改革が起こりそうな雰囲気です。何しろ「ビッグバンで解禁!」なのですから……。
ところが内容はご存知のように守られる主体は金融機関であり、国民には不利な部分が多い改革でした。1990年代のバブル経済崩壊によって不安定化した金融機関を改革する目的が「金融ビッグバン」であり、消費者の保護を行う目的で生まれたのが「ペイオフ解禁」です。そして、そこには「1000万円以上の貯金は返さない」という「ペイオフ」を「解禁」するというオチがありました。直接的に「預金者への返金を制限していい」とは言えなかった為政者の苦肉の裏側が透けて見えます。
ここ最近の、ロシアのウクライナへの軍事侵攻によって日本も軍備拡大が声高に叫ばれています。
防衛費はGDPの1%であったものを2%にしようという議論です。「たった1%なのだから増やしても良い」という印象もあります。
もちろん議論は大切なのですが、この「%」というのが曲者で、単純に言えばGDPを増やせば1%のままでも防衛費は増えるのですから2%に増やすことよりも、GDPを増やす施策を考える方が一挙両得という観点もあります。
もう一つ軍事的なことでは、今回「敵基地攻撃能力」が「反撃能力」となりました。攻撃範囲が広がったということです。専守防衛を基本とする日本ですが、最近では「集団的自衛権」の解釈も変わり、対戦範囲が知らないうちに(説明されてはいますが)どんどん広がっている印象です。
これらも含めて、平和な日常を突然失わないためにも、私たちはもっと「言葉」の裏側を読み取り、その真意を理解する必要があると思うのです。
今回はあまりスピリチュアルなお話しではないように感じられるかもしれませんが、社会とスピリチュアルは大いに関係しています。現実的な「言葉」にも、このように真意、意識が隠されます。
そしてそれはどのような装飾を施しても相手に伝わってしまう……という作用があります。
ですからリモート・ワークなどが広がる今だからこそ、出来る限り「素直な言葉」を使うことが大切なのだと思います。(2022年7月)
第二次世界大戦が終結してからすでに80年近くがたつ21世紀の今、無謀にも「武力による侵攻」がこうも容易く行われるとは、多くの世界が考えなかったことでしょう。それほどまでに今回のロシアによるウクライナ侵攻は、唐突で異様に見えます。
まったく許される行動ではありません。
しかし残念ながら、戦争・紛争はこれまでも各地で行われてきているのが実情です。
中東では常に戦禍が繰り返され、ユーロッパ各国、アメリカもその名目はいろいろですが、堂々と攻撃を行っていることも事実です。イラク崩壊などは、のちにその攻撃根拠であった「大量破壊兵器の存在」が誤認だったことも明らかにされています
現在、世界の多くが「戦争反対」を唱えていますが、実は「戦争をしたい人間」が一定数いることも事実なのでしょう。
人間は「権力欲」や「金銭欲」など本能的な問題を抱え、この「争い」というものは、どうしても避けがたいものです。であるからこそ人間は、これらを踏まえた上で「どのようにして争いを回避するか」を考える必要があるのです。
始まってしまった争いに対して「暴力反対、戦争反対」と唱えることも大切ですが、「争いを起こさない」という、理想とも思える方法を考え尽くすのも人間が進化する上で必要な行動です。
宇宙においても、多くの星が惑星内紛争、対惑星間戦争などで甚大な被害を被っていることは地球と同じですが、問題を解決して自らの星を守っている人類がいることも事実です。
物質的な惑星において、「物を欲しがる」のは本能と言えます。それに従って、より多くの「物を手に入れよう」とすると権力が必要になります。そして、その権力には取り巻きがまとわりつき、権力者にとって自分の承認欲求を満たす究極の地位が出来上がります。これが大問題となるのです。
今回の侵攻を国際司法裁判所は断罪し、ロシアに対して即刻侵攻を止めるよう判決を出しました。しかしながら、これを担保するのは国連安保理であるために、ほぼ実行力はないと言われています。
そもそも現代において、このような暴挙に出るのは、最初から「国際法を守る意思がない」人々でしょう。
それでは、このように「最初から法律を守る気がない人」や「常識が異なっている人」の争いをどうしたら止めることが出来るのでしょうか。
この点については、さまざまな惑星で多くの試行錯誤があるようです。もっとも地球に近い考え方としては、「仲裁役を明確にすること」があげられます。個人的な「争い」を考えてみましょう。
利害が反する人たちがケンカを始めた場合、解決に至ることは大変難しいものです。ここで双方が少しずつ譲歩出来れば良いのですが、もともと価値観が違うのですからお互いに理解することは至難の業だと思います。それがエスカレートすると争いになります。では片方が誰かに加勢を求めたとしましょう。そうすると相手方も加勢を求めます。そうやって争いはどんどん大きくなってしまい、結果的に双方、無事ではすみません。この場合、どちらが正しいか間違っているか…ということは価値観の相違ですから関係ありません。
では、まだ二人のケンカで収まっているうちに第三者が仲裁に入った場合はどうでしょうか。
双方の利害とは関係のない判断力を持っていれば、争いを止める可能性は高くなります。こんな当たり前のことが、国際関係でも当てはまります。
昨今の世界の混乱は、この仲裁役が見当たらないことです。
良くも悪くも第二次世界大戦後の世界秩序はアメリカが握っていました。しかしながら2013年9月、当時のバラク・オバマ米大統領は「米国は世界の警察官ではないとの考えに同意する」、すなわち世界の警察官から降りると宣言をしたのです。これはアメリカの国内事情、世界的経済バランスの変化から仕方のなかったことなのかも知れませんが、アメリカが世界の警察を降りた今、世界が犯した大きなミスは、世界の国々が「それならば、世界秩序を守る仲裁役を作る」という単純な基本を見落としていることにあります。
争いの仲裁をするときに、何の力も持っていない人が間に入っても、紛争が収まることはないでしょう。
例えば(一般的な国の)警察のように、双方の利害に関係がなく、武力と法的権限を持っていれば、一応、大方の人は従います。
このように、仲裁者には「力」も必要です。国際社会が経済的、武力的資源を出し合って、中立的にその運用を行う必要があります。現在の地球における国際連盟は、そのような組織を持っていませんし、特に安保理常任理事国の運用はこの体をなしていないのが実情です。
物質的惑星で経済活動がある、地球と似たような星の中で、惑星全体の平和を保っているところには、ほぼ確実にこのような仲裁組織が存在しているようです。そしてその組織には「信用」があり、かなりの力を持っています。現在の国際社会には、このような組織が参考になるのでしょう。
また、政治家の責任は特に重いのです。
政治家の本来の仕事は「自分が治める民のために、あらゆる調整をする」こと。ケンカを仕掛けられると、今回のロシア・ウクライナ戦のように、攻撃を受けた方も「どんな犠牲を払っても防衛する」となってしまいます。まだ仲裁役の存在しない地球社会では、こうなるとどちらも無事ではいられません。
政治家は本来の、気の遠くなるような調整作業が出来る人間しか就いてはいけない仕事なのです。
まだまだ、このように未成熟な世界の中で、近年、日本の地位が低下しています。
今まで世界に誇ってきた技術的な優位性もなくなり、かつて言われた「ジャパン・パッシング」が表立ってきています。「日本円の力」も減少しています。
今、必要なことは「力の誇示」ではなく、「どれだけ世界、社会から必要とされる国か」ということだと考えます。
それは資源や技術だけでなく、「創造性」や「民族性=人間性」ではないでしょうか。これは個人にも当てはまる考え方です。金銭や力で認められるのではなく、人間性や信用で認められ、存在感を発揮することが大切です。
争いの増えている時代だからこそ、自らの「存在意義」を再確認することが重要なのです。(2022年4月)
新年明けましておめでとうございます。
誌面上からではございますが、心より新年のお慶びを申し上げます。
やはり新年は良いもので、気持ちも切り替わり、新しい幕開けを感じ、やる気が出てくるものです。
特にこの二年の間、世界が未曾有のパンデミックに襲われ、現在生きているほぼすべての人々が初めての体験をすることとなりました。
今まで、日常として普通にあったもの、旅行や家族・友人たちとの何気ない食事や会話など……これが、どれだけ貴重な時間であったことか。
当たり前だと思っていた社会システム……「会社には出社するもの」、「都心でなければビジネスの最先端にはいられない!」、「政治に興味はない。何をやっても変わらない!」などといったことが無駄や錯覚で、またどれだけ無責任であったか。
常識、普通として感じていた価値観、「病気になれば病院に行けばいい!」などというシステムが如何に脆弱であったことか……。さまざまな矛盾点が浮き彫りになった二年間でもありました。
皆さんも大いに考え、反省するところは反省し、いろいろな気づきがあったことと思います。
そんな「新しい考え方」を今年は積極的に発展させて、それぞれが発信をしていただければと思います。
私は、コロナ・パンデミックが落ち着き、日常が見えてきたときに、普通の生活に戻ろうとする人々が約7割、新しい生活様式を発展させようとする方が約3割と感じています。あなたはどちらに進みたいと思うでしょうか。
是非、先進的な3割になっていただければと考えています。そんな先進的思考をする方々が少しでも多くなれば、社会はより早く改善され、住みやすい世界を後世に残してゆけると思っています。
今回のパンデミックを「未曾有の災害としてやり過ごす」だけなのか、「地球が人類に考えるチャンスを与えた」と考えるかの違いです。不幸な社会状況ではありましたが、私は、後者のように考えてこそ、人間の英知は活かせるのだと思います。 今年を象徴するキーワードは「輝き」です。
一見、キーワードだけを見ると良い兆候のワードだと感じるかも知れません。しかしながら、社会の動きを予測すると、決して明るいものとは言えません。まだまださまざまな障害は残り、いろいろな矛盾により、問題が出てくる傾向です。
日本では、昨年末、全国的に地震が多発し、アメリカなどでもまったく季節外れの竜巻が発生し、町がまるごと消えてしまうような惨事となりました。それだけでなく、昨年の予測講演でもお話しましたように、他の国々でも、干ばつや水害が多く発生し、世界的食料不足にも陥っています。
そして、食料や資源確保のために各国がなりふり構わず行動し、東アジア情勢なども危機感が高まっています。
また最後の世界大戦後、約80年にわたり、比較的安定していた政治イデオロギーも、ここに来て自由主義、社会共産主義陣営のにらみ合いの様相を呈して来ています。
この二年間の異常事態により、各国が好むと好まざるとに関わらず「鎖国」状態になり、自分の国の経済力、政治力などを他の国と比較し、強いところ、弱いところを意識し、国家間の貧富の差などによるワクチン供給や食料など生活権の不平等にも気づき始めました。人心が乱れるのも無理なからぬところでしょう。
今年も、まだまだ不安定な社会状況が続きそうです。
これはコロナ・ウイルスの再拡大ということもあるかも知れませんが、私はコロナ禍は徐々に土着化に向い、一般病化してゆくのではないかと感じています。
それ以上に問題なのは、古い価値観と新しい価値観のせめぎ合いによる社会の不安定と言えそうです。これは人災です。
いつの時代にも「ジェネレーション・ギャップ」という価値観のせめぎ合いはあるのですが、今回はその変容の流れが、「かつてないほどのスピード」で起こる可能性があります。
スピードが早いということは、それだけ摩擦と混乱が多くなるということを意味します。
今までの権威や利権を確保しようとする者、それを良しとしない者の争い……。
アメリカと中国の軋轢などはまさにこの現象です。
国だけでなく、個人でも同じことは起こります。年代間でも起こります。そんな軋轢が社会と経済を不安定にしてしまうでしょう。
権力を維持したい側は変革を好まず、出来る限りそれを遅らせようとします。そうすると変革を望んでいても、その力を持たない側の気持ちは抑圧され、明日への希望も失ってしまうかも知れません。それは人類の未来にとって損失です。
結局、世界は悪い方向に向かっているのでしょうか。
実は決してそうでもないのです。
今回の世界、社会の急ブレーキは地球からの警告かも知れません。
往々にして人間は「自分に都合のよいこと」を「是」としてしまう傾向にあります。「社会を発展させて何が悪い 」「自分たちが住みやすいように環境を変えて何処がいけないのか 」「儲けられないのは自己責任!」……人はいつの時代もこのような考えに陥り、過ちを繰り返しています。
そんな慢心が長く続いた世界に、人間の想いではどうにもならない災害が降りかかりました。
これは一つのチャンスです。
であるからこそ、皆さんには「先進的な3割」を目指していただき、また、この「3割」を4割、5割……としていただきたいと思うのです。
社会の流れは「あなた」を筆頭に、個人のエネルギーが集まって出来上がるものです。ですから、今のように社会が行き先を見失い、古い価値観が揺らいでいる今こそ、「一人の力」がこれまで以上にパワーを持てるのです。
だからこそのキーワード「輝き」です。
今年は「自分が輝ける場を努力して見つける!」。これこそが自分と社会を変えて行く大切なパワーとなりそうです。(2022年1月)
二年にも及ぶコロナ禍で私たちは多くのことを学びました。
「普通の日常は普通ではなく、大変貴重な時間だった」「当たり前と思っていた社会システムは多くの問題と矛盾をはらんでいた」「生活をする中で、どれだけ無駄なことをしていたか」……。
さまざまな事柄を見直す機会になったことは事実でしょう。また「人生の中で、大切なことは何か?」を考えた方も多かったことでしょう。
人間にとって新しい脅威となったウイルスも、この二年で何が危険で、どこに注意を払えば共存も可能か……などの知見もだいぶ積み重ねられて来たようで、新しい生活も始まりそうな気配が見えてきました。
私も、講演会にて、「このウイルスも散発的なパンデミックを繰り返しながら徐々に土着してゆく」という方向性をお話しいたしました。
人類はこのような新しいウイルスとの戦いを繰り返しながら生き続けてゆく能力を持っているのです。
「新しい世界・社会」を考えるとき、宇宙的情報の中には参考にすべき事案が多々見受けられます。
当然、ウイルスの影響を受けてしまうのは「肉体を持った人類」であり、エネルギー体の人間社会にはウイルスの影響はありません。余談ではありますが、それではエネルギー体の人類が理想郷に存在するのかと言えばそうでもなく、宇宙線などの影響によって大きな災害を被ることはあるようです。
チャネリングによると、ウイルスによって危機的状況に陥った人類は、大きく二つの方向性によって社会を再構築することが多いようです。
一つは、「広域的な交流を減らし、社会のコミュニティーを小さくする」という方法です。やはり、どの惑星においても高速・遠距離という移動手段は惑星環境に影響を及ぼすようで、絶滅の危機を体験すると、移動を減らし、比較的小さな社会を構成して暮らす人間たちが多く見られます。
もう一つの社会の行き方は、「防疫体制の強化」です。これはどんなに徹底しても完全に防ぐことは出来ないのですが、今までとは桁違いの時間と労力・費用をかけ防御する方向です。当然、各地域ごとの往来にも厳しいチェックは設けられることになります。
多くの惑星は、この二つの方向に進んでいるようです。
今回の地球で起こったパンデミックは、まだまだ「人類の滅亡」を意識するようなウイルスではなかったので、多くの方が「今までの日常に戻る」という生活を考えることでしょう。
しかしながら、宇宙における事案を参考にして、絶滅寸前のパンデミックが来る前に、本来ならば、新しい社会の方向性を考えておくことが大切なことだと思います。
「『社会』という存在は、『個人の考え方=エネルギーの方向性』によって創り上げられる」という事実を見るならば、現在のこの世界状況を、そのきっかけに出来るかどうは、皆さんの考え方次第だということになるのです。
もちろん、惑星の状況によってこの両極端だけではなく、多少のアレンジは必要になって来ます。皆さんはどちらの方向に進めば良いと考えるでしょうか。
実は、この二方向性にはある条件があります。
その「条件」が、どちらを選ぶかを考える要素になります。
「コミュニティーを小さくする」という方向を選ぶ惑星の特徴は、「惑星内環境が似通っている」というもの。つまり、どこへ行っても環境が同じようなものという惑星です。
反面、「防疫体制を高めた社会」を選ぶ惑星は、「比較的惑星環境が地域ごとに異なっている」というところです。
これらの条件ではあっても違う方向性を取るところもあるようですが、多くはこのような傾向にあります。とすると、地球はどちらにあるかというと、「惑星環境が地域ごとに異なる」星です。
そうすると基本的には自ずと後者、「防疫体制を高めた社会」を選ぶ可能性が高くなるのです。もちろん多くの皆さんが「コミュニティーの縮小化」を望むとするなら、それも可能でしょう。本来は、その方が安全策であることは確かです。
しかしながら、私はやはり「防疫体制を高めた社会」に向かうと考えています(とはいっても、このまま何もせず、今までの生活を取り戻す方向に行く可能性も大いにありますが。そうあって欲しくはありませんが)。
一口に「防疫体制を高める」といっても簡単ではありませんが、世界の人々がそれを選べばその方向に向かうことは確かです。
当然、社会に大きな変革が生まれることでしょう。そしてそこにはさまざまな「新しいこと」が生まれます。それら問題点と課題を一刻も早く検討することが「新しい世界」への第一歩となることでしょう。
例えば、これは今検討されている「脱炭素社会」も入って来ます。環境問題は大切です。それから渡航制限なども視野に入ります。海外旅行(何キロ以上の長距離移動)も一人、年2回まで……とか、多少の不自由は受け入れる必要があるでしょう。
人間の居住地域の制限も考えなくてはいけません。これは野生動物との境界の問題です。
またどこまで食肉するか、という食料問題も視野に入ります。
いろいろな課題が見えてきます。そして何より、「ウイルス研究」という、「今すぐには役立たないけれど、必ず役に立つ日が来てしまう」ということに多くの費用と人材を投入し、それを社会の人間が認め、応分の負担するという英断が必要となります。
また、地球においてはこれらすべての課題を「経済に結びつけて考える」ことが大切だということです。
社会の変化によって無くなる産業もあるでしょう。
反面、新しい産業も生まれます。これらの「移行期」への備えも必要となります。大変ではありますが、実に有意義な作業でもあると考えます。
そしてチャネリングで得た情報の中に、最も重要で示唆のある情報がありました。
それは、「人類は自然発生的なウイルスに対抗する能力はあるが、人工的に作られたウイルス、自然環境ではなく、過度な人工的環境に適応したウイルスには、なすすべがない」という警告でした。(2021年10月)
「今の状況(パンデミック)の中で、やる(オリンピックを開催する)というのは普通ないわけで……」。という言葉で、オリンピック開催を牽制したのが政府コロナ分科会の会長でした。
このコロナ禍とオリンピック開催では「普通」でないことが多々起こりました。
オリンピックの開催延期なども戦争を除き史上初のことですが、開催が近づくにつれ関係者の発言なども「普通」でないものが多くなりました。
組織委員会委員長の「女性蔑視発言」からの辞任、開会式演出に関わる人たちの度重なる辞任、まん延防止等重点措置、緊急事態宣言下にも関わらず「一般イベント以上の有観客特例」検討。一般国民には「禁酒」ともいえる自粛要請を出しながらの五輪会場内では飲酒を検討し、一夜にして撤回……等々、「普通」ではない出来事と判断が続きました。
五輪関係だけでなくコロナ対策においても、外食産業に対する酒類提供を自粛させるために、政府が卸業者や付き合いのある金融機関からプレッシャーをかけさせるという愚策。
ワクチン接種が進み、管理が出来なくなると、「想定より進み過ぎたので、接種を控えるように」という指示が出て、挙句は「これはオペレーションが良く、ワクチン接種が進んだ証拠!」と胸を張る始末。オペレーションが良かったのは市町村や一般企業の努力であって、当の政府は「想定外だった」と言っているこの不思議。
まったく「普通」ではありません。
この「普通」と言う言葉は、一体「何をもってして普通と考えるか」という定義が難しいものです。
今までは、この「普通」と言う言葉は結構ネガティブな感覚で捉えられることも多かったように感じます。
例えば、「普通の人だね」と言われれば、これは「あまり才能も特徴もなく、平凡だ」と言われているようなものです。また「普通のアイデアだね」と言われれば、「あまり優れたアイデアではない」という感じです。
子どもたちの教育においても、「個性的な人間になれ」とは言われますが、「普通の人になれ」とは言われません。
反面、非常識な行動や判断を行うと、「普通は違うだろ!」とは言われることでしょう。
ですが、このように考えて行くと「普通」という言葉の意味に、ある基準が見えてはこないでしょうか。
発想や行動が「個人的範疇」にあるときには、「普通でない」「個性的」なほうがポジティブに感じられ、それが「公共の利益」に関わることは「普通」であるほうが良い。こんな感じでしょうか。
まさに民主主義の基本である、個人の尊重と多数決の原則に関わる感覚だと思います。また個人的にも、自分に都合が悪いと、「それは普通違うでしょ!」とか、「それは普通じゃない!」。自分に都合が良ければ、「それは普通そうだよね!」などとなります。
なかなか便利な言葉です。
こうして考えてみると、最近のコロナ禍や五輪等に代表される社会的出来事に「普通ではない」ことや発言が多いのは、発言者が「誰に向けて」、「どこに向けて」発しているかかが不適正だからだと考えられます。
「特段に個性的な(普通でない)」アイデアでも、公共の利益にかなうことであれば、その評価は良い方向に向かうでしょうし、反面、発言者が「ある特定の利益を持つ人(公共の利益にならない)」に発信している場合には「普通ではない」という評価になります。
普通でない人々が多くなるというのは、「本質を考えられない人」が増えているということでもあり、実は大変危険な社会状況となっているとも言えるのです。
「普通」という言葉の使い方は本当に難しいものです。
独創的な「普通でない」アイデアであっても、それが多くの人に利益をもたらす有意義なことなら素晴らしいアイデアでしょう。芸術や文化的な活動において独創的で普通でないものでも人々に大いなる感動を伝えるものもあります。
結局、「普通」が良いのか、「普通でない」ほうが良いのか……は、「どのくらい相手のことを想い発信するか」にかかっている、「発信する人間の想いのエネルギーによる!」ということになるのでしょう。
しかしながら、「特定の利益者に対する想い」も「相手を想う」ことには違いがないのですから、これまた厄介なことです……。
自宅での自粛が未だに続く社会状況ですが、そんな中で、こんなことを考えてみるのも、社会を良い方向に変えて行く原動力になると思います。原則論を考えることで、これから先の道が見えてくることが多いのです。
皆さんは、この「普通」という難問をどのように考えるでしょうか。(2021年8月)
「人間には肉体的部分とエネルギー的部分がある!」……これは人間の構造を知るうえで基本となる考え方です。そして、未来創学アカデミーにおいても根幹をなす考え方となっています。
この、「人間の構造」ともいうべき仕組みを理解すると、自分のさまざまな能力を高めようとするとき、とてもやりやすく、効果的に行うことが出来ます。それはエネルギー的能力を使おうとするときの「スイッチ」を入れやすくなるからです。
古今東西を問わず、人間には「霊」「お化け」「スピリチュアル能力」「生まれ変わり」などなど、目に見えない「何か」があるとされています。
現代ほど科学的な思考が発達していない時代、宗教観と相俟って「霊」的な表現が多用されたと考えられますが、現在でもこの分野は決して科学的解明が進んだとは言えません。それでも皆さまが、さまざまな現象を論理的に考えようという姿勢になってきていることは、私としては喜ばしいことだと思っています。
人間の構造はごく簡単に言えば、先にお話ししたように、「肉体的部分とエネルギー的な部分」があります。現在の人類には、まだ肉体が必要なのです。というのは、生物の「形態」は、存在する惑星の形態によって進化するということ。つまり、固体の惑星上では物質である肉体が必要で、ガス体の惑星の生物はガスに近い構造、エネルギー体の惑星にはエネルギーの生命が……という具合です。チャネリングで明らかにされているところでは、人類の進化段階は9段階くらいあり、その最終進化形は、エネルギーのみで存在する人類……のようです。
昔から科学者も、さまざまな形で地球外生命との意思疎通を行おうと考えているのですが、現在でもまだ確固たる証拠はないようです。
それでも最近アメリカが公式に、UFO(未確認飛行物体)の存在に関する報告書を発表しました。「UFOは存在する。しかしその実態は不明」ということのようですが、錯覚や誤報を覗けば、これらを使う人類は、第6段階くらいの進化までといえます。それは、まだ肉体を有する段階ですから、どうしても「乗り物」を必要とするからです。それ以上の進化段階の人類はテレパシックなコミュニケーション手段をとります。
地球人は現在、第5段階の進化過程を過ごしていますが、すでに「宇宙船」を運用しています。
これは地球外生命から見るとりっぱな「UFO」となります。逆に言えば、地球人すら使っている宇宙船を、「他の人類が使うことはない」という考え方の方がおかしいと言えます。
話がちょっと逸れましたが、このように、地球と言う惑星上に存在する以上、人間に肉体が必要なことは述べたとおりです。
そして人類が宇宙的な長い歴史の中で進化を繰り返し、エネルギー体の生命へと進化して行く前段階として、人間にもエネルギー体(アカデミーでは「生体エネルギー」と表現しています)があるのは当然と言えます。ですから人間には肉体とそれを有効に動かすためのエネルギー源としての生体エネルギーがあるということになります。
この構造の詳細は別の機会にお話しするとして、このシステムがあるからこそ人間は「身体能力」と「エネルギー的能力」を発揮できるのです。
「身体的能力」は皆さまも当然、良くわかるものでしょう。運動能力や知力、視力や味覚などの五感もこれに入るでしょう。
「エネルギー的能力」も自覚は出来るのですが、身体的能力に比べて「あやふや」な感じがするものが多いので、実質的、実用的能力と認識されにくいのです。
例えば第六感などがこれに当たります。
第一印象や勘などですが、まさに「当たるか外れるか」と言う感覚に思えるでしょうけれど、よく考えていただくと実は身体的能力も同じで、訓練した能力が「常に発揮される」ことは稀でしょう。ですから人は努力を続けます。
しかし、エネルギー的能力となると発揮する努力をする以前の問題です。身体的能力と同じように認識し、訓練と努力をすれば、この能力もあなたの「実力」となるのです。
エネルギー的能力は、大きく分けると三つの能力にわけることが出来ます。
一つ目が「ヒーリング能力」。能力というと大袈裟なので「力」としましょう。これは主に「治癒力を司る力」です。このパワーの不思議なところは「自分」だけでなく「他の人」にも作用できるというところです。
二つ目が「チャネリング力」。宇宙のさまざまな世界や意思を感じる力……というところでしょうか。
三つ目が「リーディング力」です。第一印象、勘、予測力などがこれにあたります。
ヒーリング力とリーディング力が生活の中でも大切な能力かも知れません。
チャネリング力はかなり趣味に近く、身体能力で言えば、運動が好きか芸術が好きかなど、趣味に近い使い方になるでしょう。またヒーリング力は医学の発達などによってだいぶ代替できることもあるでしょう。
そのような意味では、「相手を読む」「先を読む」「勘を鋭くする」などに関わるリーディング力はどなたにも必要な能力と言えるのではないでしょうか。
ヒラメキなどが鋭くなると生活にとても有効です。
これを鍛える方法は「普段から予測をする訓練をすること」です。
難しいことではありません。いろいろな場面で「この人はどんな人かな~」とか、「この先はどんな感じになりそうかな~」など、常に「読んでみる」ことです。そしてそれが当たるか外れるかを確認しましょう。最初の内ははずれる確率が高いかも知れませんが、続けているうちに必ず読みは鋭くなるはずです。
その理由は、そのように意識することにより、あなたのエネルギーが外に向かって発射されて行くからなのです。
普段はそのようなことをなかなか「意識」することもないでしょうから、あなたのエネルギーは比較的「内向き」です。
エネルギーが外に向くことにより、相手や社会のエネルギーを感じやすくなり、相手の雰囲気や社会の流れ(人の想いの束)をキャッチしやすくなるのです。
これは大変有効な能力だと思います。
是非、これからは体だけでなくエネルギーも鍛えていただきたいと思っています。(2021年7月)
お門違い!
◆ワクチン担当大臣が言いました。
「ワクチンの供給には全く問題がない。少し気長にお待ちいただきたい」。
伝染病対策は「気長に待つ」ものなのでしょうか。もうすでに一年半にわたって待っているのですが……。
それを言うなら「最善を尽くしていますので、今しばらくお待ちいただけないでしょうか」ではないですか。
◆内閣官房参与を務める大学教授が言いました。
「日本はこの程度の『さざ波』。これで五輪中止とかいうと笑笑」。
そうだとすると、「さざ波」にさえ対処できない政府を国民はどう考えればいいのでしょう。
「さざ波」で医療崩壊する日本社会はどう考えればよいのでしょう?!
◆与党外交部会長が言いました。
「水際対策が強化されていないのはゆゆしき問題。菅総理に恥をかかせたと言わざるを得ない」。
誰に向かって政治をしているのでしょうか。
これを言うなら「水際対策が強化されていないのはゆゆしき問題。国民に顔向けできない」ではないでしょうか。
◆与党幹事長代理が言いました。
「幹事長が発言しているんだから、根掘り葉掘り、党の内部のことまで踏み込まないでもらいたい」。
あ~、そうですか。そのセリフは国民の税金投入をやめてから言っていただきたい。
それならばこれからは、党の運営費は議員の報酬から活動費として集めてください。
民間では当たり前なのですが……。
◆厚労大臣が言いました。
パンデミック対策について「わが国は私権の制限に対しての法律がない」。
憲法には「何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業の自由を有する」とあります。だから厳しいロックダウンは出来ないということらしい。
過去、「公共の福祉」を理由にハンセン病患者を強制隔離し、後にこれが問題となったことが、今でも足かせとなっているという。
しかしながら、その当時の医学的見地と現在のものとは雲泥の差があり、現在のコロナは世界中での解明が論文としても発表されてもいて、このパンデミックにおいて、多少のロックダウンは当時ほど大きな問題を起こすとはなかなか思えない。
結局、当時は当時で判断を誤り、現在は現在で判断を誤っているのではないか……と言わざるを得ない。
でも、いつも判断を誤る政治家さん達に私権の制限をされるよりは、自粛の方がましか……。
あきれた物言い!?
◆与党議員の「政治資金パーティー」が開催され、そこに「厳しい発言」で有名な日本医師会会長が参加していました。
ご本人たちにとっては「必要火急」な用事でしょうから開催なさるのでしょう。そして「出来る限りの感染予防策を取っている」……とういうのは今の社会では当たり前のこと。
百貨店に営業自粛要請を出し、テーマパークに「無観客で!」というわけのわからない要請を出しているご本人たちは、このバランスをどう考えているのでしょうか。不思議です。
後の記者会見で、「振り返ってみますと、全国で多くの皆さまに、我慢を続けてくださっている中で、慎重に判断すればよかったなと思っています。緩みということは、全くございません」。
なるほど、気持ちも緩んでいない中でのお医者様トップの判断がこれですか。
◆同じく与党議員と野党議員が、国会の会期中でもあり緊急事態宣言中で地方行事参加禁止の中、地元でのお祭りに参加したようです。
その言い分は、「事前に検査をした上で、2年ぶりの開催となった参加者の思いを聞く視察として訪れた」、「凧を揚げるのは慎重になるべきで申し訳なく思う」、「検査を行い、陰性を確認し対策を行った上で臨んだ。不快な思いをさせた点についておわび申し上げる」等々。
「意見を聞く」なら皆さんが要請しているテレワークで充分ではないでしょうか。国の舵を取る職業の方にしてはどなたも「慎重さ」がなさ過ぎると思うのは私だけでしょうか。
また「市民に誘われ、凧を揚げたことが参加と捉えられてしまった。自粛していた方もいた中、大変申し訳ない。反省している」とも……。
祭りの法被まで着て、「参加と捉えられてしまった」って、参加以外の何なのでしょうか。
「言葉のプロ」がこれでは日本の未来はどうなるか!?
◆多くの自治体首長がワクチンの優先接種を受けたという事。それぞれ同じような理由を挙げています。
曰く、「自身が接種会場となる診療所の設置者で医療従事者に準ずる」、「国の通知に従った」、「実質的に自分は病院長と同じような立場」、「行政活動、ワクチン接種事業を停滞させないため」等々。
私個人は、基本的には問題がないと考えています。
更に言えば、すべての議員さん達も医療従事者に次いで、全員ワクチンを受けていただきたいと思っています。但し、「国民のために働いているのであれば!」。
この問題がここまで大きく成るのは、結局「議員や首長=政治家が信用されていない」ことの表れでしょう。もし信用があるのなら、誰もが「是非優先的にどうぞ!」と言うでしょう。
これらのように「言葉」には、自らの「思い」が出るものです。
政治家も経営者も教育者も、そして評論家や講演者……も、言葉を使って仕事をしている方々は特に日頃の考え方が大切で、自らの生き方さえ言葉には表れてしまいます。
自分の発言によって、人格までも読み取られていることを意識しましょう。(2021年5月)
世界はまだコロナ禍に翻弄されています。
しかし、こんな時でも変わらないのが人間の欲望なのでしょうか。
この世界的パンデミックに直面して、本来ならば全世界が手を組んで、その対処に当たるのが本筋なのでしょうが、実際は、我先にこの難関を抜け出し、覇権を握ろうとする動きが各所で見られます。
その強権体制を存分に発揮し、いち早くパンデミックを克服しつつあるように見える中国は、その経済力、ワクチン、軍事力などをもって、世界に覇権を広げようと動いています。そしてそれに呼応するようにアメリカも自らの覇権を維持すべく、米中問題は全世界を巻き込んで、「新冷戦」と言われています。
もちろん米中関係だけでなく、世界のいたるところで紛争は続きます。
世界戦争が終結してから早や80年弱となりますが、その記憶を留めている人がいるうちはまだ抑制が効いているのか、未だに「世界戦争」が勃発していないのは幸いです。一旦戦争が起これば、パンデミックとは比べ物にならないような狂気が訪れてしまうことでしょう。
一人の人間を考えると、人間同士が向き合ったとき、好んでケンカをしようとする人はごく稀なのでしょう。しかし人が集団になったとき、そこに争いは絶えません。「闘争本能」……これは人間の持つ性なのでしょうか。
半面、人は「理性」も持っていて、これらの本能を押さえる能力を持ち合わせています。これが人間の「神秘」です。
本来は争いごとに巻き込まれたくない。なのにすぐに争いになってしまう。人類はこんな矛盾を抱えています。
これは解決できない問題なのでしょうか。
チャネリングなどで宇宙に目を向けると、これらの問題をすでに解決している惑星は存在するようです。
私たちは出来る限り、そこから「学び」、そんな争いのない社会を目指すべきです。もちろん一朝一夕に到達できるものではありませんが、その解決策を理解し、物心両面において改善をして行けば、これは決して夢物語ではありません。
多くの宗教の教えの中にも平和の追求は掲げられていますが、これはそれら教えが始まったときには、その根底にチャネリングがあり、そこに垣間見た世界を「理想郷」と考えたのだと私は思っています。しかしながら、紀元前にさかのぼる社会において、それらを受け取る民衆の宇宙への理解度などにより、それは「宗教」という形を取り、「科学」にはならなかったのだと思っています。
現在わかっている科学が絶対でないことは当然です。
科学は「未知のものを探求し、証明する学問」なのではないでしょうか。そうすると現在ではまだまだ未知の分野であるチャネリングなども、新しい人間のコミュニケーション手段として認知され、ひとつの能力として科学的に証明される日が訪れると考えています。
そして、他の惑星の「あり方」が研究され、科学的に応用できる技術や文化も、地球に導入される日が間違いなく来るのです。
惑星が「ひとつにまとまる」ためには何が必要なのでしょうか。
これには宇宙の生物的形態が大いに関係しています。宇宙には2形態の生命が存在しています。
ひとつは「身体を持った進化段階」の人類。もうひとつは「エネルギーのみで存在する進化段階」の人類です。
後者は我々とはあまりに形態が違うので、技術的に学ぶところはあまり多くはありません。しかし、「精神面」「考え方」には大いに学ぶところがあるのです。この辺については別の機会にまた詳しくお話ししたいと思います。
さて今、我々が学び、実現できるのは、我々と同じく「身体を持った進化段階」の人類がおこなってきたことです。
大まかに彼らの生活を見てみましょう。
まず「貨幣」ですが、その多くが貨幣をすでに使っていないか、使われていたとしても惑星全体に共通した単一貨幣です。地球にある国や地域によって発行される貨幣は存在していません。
そして「エネルギー」。エネルギーの種類は惑星の組成によって異なりますが、どこの星においても、惑星にほとんど悪影響を及ぼさない種類のものが使われています。
そして「食料」です。肉体を持っている以上、外部から栄養素を取り入れる「食事」は欠かせないものなのですが、これも惑星から無尽蔵で生成できる技術を持っています。
この様に書いてくると、皆様もお気づきになることでしょう。すでにそのような流れが地球でも始まっているのです。
最初の「貨幣」ですが、すでに地球でも「仮想通貨」「デジタル通貨」などの国を軽々と超えてしまう「概念」が出来上がっています。
そして「エネルギー」も、最近「カーボン・ニュートラル」、「クリーン・エネルギー」「再生可能エネルギー」などに関心が集まり、実用化に向けて世界の意識が一致しようとしています。
これらの流れはまさに「必然」なのです。
ただ残念なのは「食料」です。この分野は、人工肉などの開発はされてはいますが、まだまだ「産地直送の新鮮な食材」「健康に育てた畜産品」などが良いとされ、せいぜい考えられても「オーガニック」くらいでしょうか。 この分野は多いに開発の余地が残されています。
統一を果たした多くの惑星では、前述した問題などがすでにクリヤされています。
そこに向かうのには大切なことがあります。
それは「意識を変えること」です。
さまざまな問題に対して、「世界が一つにまとまるために」という考え方が必要です。「自分の利益中心」や「自分だけが」という考え方、そして「今までそうだったから」という考え方……これらが進化の妨げとなっています。
みんなが空腹になることなく、金銭の多寡でもなく、それぞれの趣向に応じて生きられる。そんな社会に向かえたらステキです。
そんな進んだ社会でも、地域によって大いに違っているものがあります。それは地域による個性と文化です。
宇宙のこんなに進んでいる社会でも、これらの「違い」は尊重され、楽しまれているのです。(2021年5月)
※このコラムは学報30周年記念特別号に掲載されたものです。
昨年、未来創学アカデミーは創立30周年を迎えました。
この長きにわたってアカデミーが活動して来られたのも、会員の皆様、そして関係者の皆様、また運営にお力をいただいている役員の皆様のご理解とご支援、ご協力、ご参加の賜物と、私はじめ事務局のスタッフ一同、30周年記念誌の編纂に当たり、改めて心より感謝を申し上げます。
昨年の世界は、100年に一度とも言うべき大災厄に見舞われ、大混乱が生じ、今年もそれが続き、世界の祭典であるはずの東京オリ・パラ大会を始め、経済、生活などあらゆる社会活動が滞っています。
私たち未来創学アカデミーも例外ではなく、本来なら皆様とともにお祝いをする予定でおりました「創立式典」
も開催することが叶わず、153回の継続開催を重ねて来た、経営者懇談会はとうとう一年間開催することが出来ませんでした。
夏の軽井沢セミナーも中止となり、年間では3回の定例講演会の開催のみとなってしまいました。
皆様と直接お会いできないことは大変寂しいことであり、テレワークでは補うことのできないオーラ・コミュニケーションを中心とするエネルギー交流が出来なかったことはとても残念なことでした。
しかしながら、皆様のご努力と医療関係者の献身的な活動、そして人類の知恵の結晶であるワクチン開発と接種により道が開けてきたことは喜ばしい限りです。
もうしばらくの我慢だと思っています。
振り返ってみると、この30年は楽しみの連続だったような気がします。
私が約40年前に始めた宇宙的チャネリングによる情報に多くの方が興味をもっていただき、「新しい人間学」として、この分野を正しく捉え、学んでいただく方がこれほど多くなったことに感謝しています。
創立当初は、今では考えられないことですが、このスピリチュアル分野は、宗教、オカルト、霊能などの分野として扱われていて、一般的には「占い又は怪しげなもの」という感覚でした。ましてや私が提唱した「人間が普通に持つ能力」「社会に活かせる学問」などという概念はまったくと言ってよいほどありませんでした。
ところが未来創学アカデミーに集っていただいた方々は、一様に「学問的」な捉え方をしていただき、まさに先進的な方々の集まりだったのだと思います。
なかでも、「宇宙的考え方、スピリチュアル能力を社会に活かす」という私の当初からの目的に関しては、会員の多くが「経営者」であったこともあり、会社経営や社員教育などにご活用いただけたことは嬉しい限りです。
また最近は、教育機関の方々にもお耳を傾けていただくという機会にも恵まれ、未来を担う次世代にも宇宙的世界観、目に見えない能力・価値観をじょじょにでも知っていただけることに明るい希望を感じています。
今回のコロナ禍により、人間同士の交流が如何に大切であるか、また危機に際し、それぞれがどのような反応を示すのかなどが如実に表れ、人間にとって本当に必要なものは何か、人生の価値観は何だったのか……などをそれそれが考える良い機会にもなったことかと思います。
人は何か大きな危機に直面すると、今までは目をつぶって見逃してきた問題点や矛盾を認識し、それを修正しようとし、新しいシステムを築こうとします。まさに今がその時なのだと思います。
アカデミーの考え方の一つに「生源保守」というものがあります。
これもチャネリングから学んだことの一つですが、「人間は活動をすると必ず惑星を傷つける。だから生きる源である惑星環境を、少なくとも壊した程度と同程度は保つ努力をし、守らなければ、結局自分たちに跳ね返る」という進化した人類からの言葉です。
彼らもさまざまな苦難を乗り越え、このような生活習慣を確立したのでしょう。
例えばそこから学ぶとするならば「核分裂技術」などは、このうえなく有害な核廃棄物が処理できない以上、まだまだ実用化には適さない技術だということになります。
また多くの星々が、今の地球のようにウイルスの影響を受け、混乱した歴史を持っているというチャネリングもありました。その後の世界は、生活圏を限定し、人の行き来を制限する道を取った文明もあります。
また疫学研究を最重要課題と認識し、さまざまなウイルス分析を行い、生活するという文明もあります。
そこにはさまざまなウイルス後の文明があるのですが、そこには共通した事柄もあるようです。
その一つが「高速移動手段」の制限です。
つまり、コミュニティーの縮小とまではいかなくても、「遠いところ」にはあまり行かないことを選択する文明が多いことがわかっています。「短時間で長距離を移動する」ということには弊害があるのでしょう。
地球には、「進化した人類」には奇妙に映ることが沢山あるようです。
その一つが「食料」です。
チャネリングにおいて「地球人類の食事の仕方は大変原始的」と言われたことがありました。私たちは「朝採れ野菜」「産地直送」などといって、もぎたて獲れたての新鮮な食料が良いと考えていますが、進化した惑星では「栄養素を惑星から抽出分解し、再合成して食料にする。だから生物を殺生して食料にすることはほとんどない」そうです。
宇宙にはいろいろな考え方と、それに基づいた技術開発があることがわかります。
そこには多くの経験とさまざまな視点と思考があります。
それらをすぐに地球の文明・文化にあてはめることは環境や進化の違いで難しいかも知れません。しかし、これからは少なくとも私たちはもっと大きな視点で地球を眺め、宇宙に学ぶ必要があるのだと思います。
これからも未来創学アカデミーは「人に役立つ」、そんな情報を発信し続けたいと思っています。
(2021年4月)
ここのところ、また五輪がらみでいろいろな騒動が起こっています。
これほどまでに事がスムーズに運ばない大会も近年稀に見る事態ではないでしょうか。さまざまな事柄が捻じれ合い、すれ違い、問題が多発しています。
この原因は何なのでしょうか。
私は、その大きな要因の一つが「感性のズレ」だと感じています。
そもそも「感性」とは何なのでしょうか。Wikipedia を覗いて見ると、「人間の持つ知覚的な能力のひとつ。その定義は、哲学的、心理学的にさまざまに行われ、事物に対する感受性、あいまいな情報に対する直感的な能力。無自覚的・直感的・情報統合的にくだす印象評価判断能力。理性よりも下位にある動物的感覚……」などと書かれています。
簡単に表現すれば「物事を理性ではなく、感覚的に感じ、判断する能力」とでもなるでしょうか。
学問的言葉の定義は別としても、誰もが持っている感覚・能力です。
では、この大会問題と感性とはどんな関係があるのでしょうか。
以前も、このコラムでお話ししましたが、今回の五輪東京大会を招致しようとした2013年、日本国民の関心度は 47%だったとされています。ライバルであったイスタンブールが73%、マドリードは78%です。関心度は他の候補地に比べ圧倒的に低く、国民の半数以上が招致に前向きではなかったという事実があります。
招致が決まったときのシーンを皆さんも覚えていらっしゃることでしょう。招致に参加したアスリートたちの狂気乱舞した姿がメディアに大きく取り上げられ、「オ・モ・テ・ナ・シ」という言葉はこの年の流行語大賞にも選ばれました。
しかしながら、このシーンを多くの国民は冷静に眺め、また違和感を持った方も多かったと思います。五輪がどうのというようなことではありませんが、今回の躓きの始まりは、この一般国民と当事者の「感性のズレ」にあったと考えられます。
当時、世界は2008年のリーマンショックにより、まだまだ不況のさなかにありました。ライバル候補地は1964年の東京大会のように、五輪をきっかけに経済成長を狙い、その熱気が関心度にも表れたようです。日本はと言えば、多少の回復が見られてはいましたが、二極分化は進み、多額の費用を必要とする五輪大会を冷めた目で見る傾向がありました。
そんな国民と、政府・関係者との「感性のズレ」から始まった大会準備はその後、皆様も知るところの、問題だらけの道をたどることとなります。
感性のズレはこれだけではありません。大会のロゴ問題。これは専門的な著作権上ではあまり問題となるものではないらしいのですが、組織委員会はトラブルを嫌気し、すぐに取り下げを行いました。当時、多くの国民が「それならこれでいいんじゃない!?」という意見が多かったのが、「桜の輪」をモチーフとした、招致用エンブレムです。
しかし、これは採用されることはありませんでした。理由は簡単で、「招致用だから!」ということ。
ここでも国民世論を読む、感覚・感性のズレが表れています。その後も、決まっていたメイン・スタジアムのデザインの変更、一部競技の札幌開催などドタバタが続きました。そもそも東京に住む人なら近年の酷暑のなか、7~8月に開催される東京大会が、どれほど厳しいものかは想像がつくはずです。そして開催に致命的なコロナ・ウイルスで五輪史上かつてない延期が決まり、現在に至っています。
そしてダメ押しは、開催を見極める大切な時期である今、組織委員会会長辞任という大事件が発生。東京オリ・パラは荒れに荒れています。
ウイルス禍は別としても、一連の騒動は、そのほとんどが、中心関係者の「世論と社会の雰囲気を読めない感性のなさが原因となっている」というのは決して言い過ぎではないでしょう。
五輪自体を問題にしているのではなく、組織を運営する「人」を考えるのに大変わかりやすい例だと思うのです。
今回の騒動の場合、五輪全体を見回しても、「誰のための、何のための大会か」という部分が注目されます。何故、感性がズレたのかと言えば、「関係者が何処を向いていたか……」ということでしょう。
ここには大きな利権が動きます。また最近の運営費は莫大で、予算も当初の約3千億円から、何と現在では3兆円に届こうとしているようなのです。そうなると、アスリートや国民の意見よりもスポンサーなどの方を向かざるを得ないのは当然かも知れません。基本的には誰もが「五輪」という大きなイベントを成功させようと考えて動いているとは思うのですが、それぞれが「何処を向いているか」で、「感性のズレ」が生じてしまうのです。
アスリート・ファースト、国民ファーストの意識が少ないから、このような混乱が次々と生じたことはまず間違いがないでしょう。
今回のこの問題は、さまざまな「流れ」をつくる上で大変参考となります。
冒頭、「感性」の定義として「理性より低位におかれる……」というものがありました。それはある意味もっともで、人間は考えることが出来、理性的に振舞える動物であり、それだから「感覚より理性が上」という考え方が出てくるのですが、いつもセミナーなどでお話しするように、広大な宇宙の中の進化した人類は、最終的には魂だけで生きるようになり、肉体を必要としなくなります。
この詳しい説明は別の機会に譲るとして、そのような社会では、感覚すなわち「感性」が絶対的なものとなります。簡単に言えば、感性と理性がイコールとなるのです。
私たちは、まだ肉体を持っていますので、「感性よりも理性が上」と考えがちなのですが、実はこの「感性」は、人が生きる上において宇宙的には「理性と同等の感覚」と言えるのです。
それでは、この大切な「感性」を「どのようにしたら有効に使えるようになるか」と言えば、それは「何を意識して生活するか 」ということになります。
個人の生活でも、組織や集団のリーダー、またそれを構成する人たちが、「何(又は、どこ)を見ているか」ということが大切になります。
「周りの雰囲気を読もう!」、「対象になる人々を注視しよう!」、「誰のために行うかを明確にしてみよう!」……。
このように意識することで、あなたにも相手のエネルギーが見えてくるのです。そうすると、行おうとする行動の最適なバランスを感じることが出来るようになるでしょう。
これは決して「ポピュリズム」ではありません。多くの人が望むからと言って、それに「迎合」するわけではないからです。
感性を働かせることによって、「何が伝わらない原因か」、「何が説明不足なのか」、「本当は何を求めているのか」……。それらを感じることが出来れば、自分が「何をするのが良いのか」、「どうすればスムーズに事が運ぶのか」などが見えてきます。
これからの時代は、ますます「新しいこと」に向き合う時代になるでしょう。
そんな時に、「感性」はとても重要な感覚であり、判断のデータとして必要なものになります。
才能を向上させる方法として、「感性を磨く」という言葉がありますが、これは難しいことではなく、自分が興味を持った対象を「注意深く見つめる意識を持つ」こと、そして「相手のエネルギーを感じる」ことなのです。
「何のため、誰のため、何を注視するか」があなたの人生の流れを決めるということです。
「感性」を忘れずに!(2021年3月)
※文章中の「五輪」はオリンピック・パラリンピック双方を指していますのでご了承ください。(2021年3月)
2021年に入り、一か月が過ぎますが、残念ながら世界中でコロナ禍が収まる気配はまだありません。未来創学アカデミーでも、予定していた「新春セミナー」が取りやめとなり、大変ご迷惑をおかけし、また残念に思っています。
そうは言いながら、この事態も人生の中では一瞬のことですので、今しばらくいろいろなことを考え、生活を改善しながら前向きに進もうと思っています。
今年のキーワードは「アンバランス」です。
このキーワードは私が頭で考え抜いて決めるものではありません。「その年を表す言葉は何か」を考えていると、いくつかの言葉が浮かんできます。その中から、最後まで消えなかった言葉をキーワードとして発表しています。
昨年のキーワードは「分断と縮小」でした。
発表したのが2019年の終わりですが、この時点では世界的に景気も高揚感があり、2020年があのような状態になるとは誰も創造できなかったでしょう。しかしながら、キーワードは浮かんできたのです。
そしてアメリカと中国との経済戦争とも言うべき状態やコロナ・ウイルスによる全世界的な鎖国ともいえる交流分断、そして経済の縮小という、まさにキーワードを地で行くような一年となりました。
さて、今年の「アンバランス」ですが、大きく言えば昨年から続く災厄からの立ち直りに、国ごとの差が出てくるために、今まで言われていたグローバル化という概念が崩れてゆくということです。
理想は「みんなで一緒によくなろう!」ということですが、残念ながら、そのような方向とは反対に、国々で大きな差が出てきます。二極分化がさらに進むということです。
これは、それぞれの国の体制や教育にも関係しています。
コロナ・ウイルスによる危機は、社会主義や共産主義の方が、立ち直りが早いでしょう。それは個人の自由を制限できる体制ですから当然であり、また中国のように、体制は共産主義で、反面、経済活動が資本主義の手法を取り入れたものだと、今後当面の経済回復は早くなることでしょう。
その他にも、発展途上国と称される国々にも発展、回復の可能性はあります。それは社会インフラが遅れていたのが幸いし、最新のITインフラを導入しやすい上、人件費も先進国に比べて低い水準ですから、1960~70年代の日本のような高度成長の可能性があるということです。
反対に、多くの歴史を抱え、社会インフラがほぼ確立し、精神的にも固定された観念がぬぐい切れないヨーロッパ諸国や、戦後に「近代的」インフラを確立し、高度成長の成功体験を持っている人々が社会の主要部分を握る日本などは、この急激な変化に追いつけない可能性があるので、注意が必要となります。
教育の分野で言えば、「新しい時代」「新しい価値観」に適応しやすい教育を行ってきた国ほど、コロナ後の適応は早くなることでしょう。例えばアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、中国などです。
日本でも、このコロナ禍によりテレワークなどの新しい働き方が出てきましたが、基本的に日本国民にはそれらを受け入れる精神面も、社会インフラも欠けていて、実際、いくら政府がテレワークを叫んでも、なかなか実現しない現実があります。
これは当然のことで、日本人は「個性を尊重」する教育に慣れておらず、集団生活の輪を尊ぶように教育されているからです。それが「メンバーシップ型雇用」と言われる日本型の就職に表れていますが、それを急に「ジョブ型」といわれる職種別採用に切り替えられても、小学校から高等教育まで、何十年と集団型教育を受けてきた学生には酷というもので、この切り替えには「長い時間」、または「相当の覚悟」が必要になるでしょう。ですから日本はコロナ後の世界の価値観に追いつきにくい状況にあると言えます。
欧州も精神的価値観はなかなか変えにくいものがありますが、それでも日本にくらべて「個性」を尊重する教育があるようですから、この面では優位です。
アメリカなどはもともとの教育が「ジョブ型社会」を前提としていますので、こちらも優位でしょう。
覇権のバランスも崩れてゆく可能性があります。第二次大戦後、創られてきた社会主義、共産主義、自由主義という社会体制では対応できない世界になってゆく可能性が高く、こちらも新しい体制を考えて行く必要があるでしょう。
前述しましたように、中国などは国家体制が「共産主義」、経済が「資本主義」という双方の良いとこ獲りを行い、著しく発展しています。しかしながら、これからは「お金で頬を叩く」ような発展がどこまで許容されるかが焦点となります。人権問題、個人の尊厳という問題を含め、これがベストな体制とは思えません。
これらのように、世界には新しい方向と新しい価値観が生まれて行きます。
それでは私たち一人ひとりの生活はどうしたらよいのでしょうか。
簡単に言えば、「今までの生活の価値観に捉われず、新しい生き方を探す」ということになります。
人間はどうしても「慣れていることを守りたがる」という習性を持っています。それをしていれば「楽」だから致し方はないのですが、「今日と同じ明日が来る」と考えるのは、実は錯覚であることが2020年という年に証明されてしまいました。昨日と同じ今日は来なかったのです。
今までも、人間はさまざまな自然災害や戦争などの人災を経験してきましたが、人間の素晴らしいところは「そこから何かを学んできた」というところです。
幸いなことながら世界的な戦争は、先の大戦後、70数年にわたり起きませんでした。
これは素晴らしいことです。
世界各国でさまざまな自然災害も発生していますが、それぞれが努力をし、立ち直ってきています。今回もそんな変革の時に出来ればよいと思います。
まずは「何が問題なのか?」ということを考えてみてください。
そして「自分が生きてゆく上で大切なことは何か?」というところまで落とし込んでゆくことです。
2011年に日本は大変な災害に見舞われました。
そしてそれは地球上稀に見る、原発メルトダウンという人災に発展してしまいました。以前から原発の問題点は指摘されてはいましたが、「経済優先」の観点から無視され、安全性そのものも経済活動ありきで「安全であることを裏付ける」ために作られた安全性となり、世界的に原発の危険性を知らしめる不名誉な結果となったことは記憶に新しいことです。
しかしながら、それにも関わらず政府は原発を推進する政策をとりました。そして代替エネルギーの推進を渋ってきたことにより、世界のどの国よりも化石燃料依存が高まってしまいました。
そしてここへ来てのコロナ禍で、やっと「脱炭素社会の実現」を唱え始め、世界に追いつこうとしています。何から何まで遅いのです。これが「古い価値観(利権も含め)に捉われている」悲劇です。
過去にも似たようなことがありました。1970年代の光化学スモッグに代表される大気汚染に対していち早く動いたのは汚染の間只中にいる日本ではなく、アメリカでした。
当時、環境政策の最先端を走っていたカリフォルニア州が、自動車すべてに当時では考えられないほど厳しい排気ガス規制をかけました。自動車業界には激震が走りましたが、メーカーの努力により、今では日本車は世界一の環境性能を誇っています。
しかし昨年あたりから、それも急激にEV(電気自動車)に取って代わられつつあります。
社会は常に、「今日と同じ明日は来ない」ということを証明しています。
ですから、我々は「常に新しい方向を見ながら、創造性を持って進む」必要があります。
今年、コロナ禍は回復傾向に入るでしょう。しかし次に広がる世界は、昨日と同じであってはいけないと思います。社会全体を見回して、「経済優先に戻ってよいのか?」「今までのような効率優先社会で良いのか」「お金を持ったものが社会の勝者なのか?」……。さまざまな問題点が浮かび上がります。
生活に経済は必要ですが、それはどの程度必要なのか。生活の中心は経済なのか……。
私は、興味と好奇心の結果としての経済は否定しません。しかし、お金を儲けることが最優先の経済には疑念を持っています。そしてそれが間違いであることは昨今の地球環境が証明しています。
人間の活動はもっと緩やかで、人にも自然にも優しくなくてはいけないと考えます。
宇宙におけるチャネリングでもそれは示されています。戦争やウイルス禍を経験した人類は、どこの惑星でも生活を一変させ、生活スピードを落としています。これは決して後退ではありません。
人間は欲望に任せて突き進むと、必ず惑星のしっぺ返しを受けています。
そこから学ぶことは、「欲望を制御し、着実に考えながら進む」ということです。一見じれったいことのように感じられますが、「出来るからやってしまう」ことと、「行動の結果も予測しながら動く」のとでは、大きな差がでます。
もう少し続くであろう、この不自由な生活の中で政治や社会情勢を考える機会を得ていることは、地球から与えられた仮題なのでしょう。
個人の生活でも同じことが言えます。
昨日までのあなたはどんな生活でしたか。それは物質的な生活だけでなく、精神的なものも含まれます。
無理をしていませんか。無茶をしていませんか。自分の心に反してまで行動していませんか……。
いろいろ考える部分はあると思います。それらを改善して行くためには、何があなたには足りないでしょうか。他人に良い影響を与えるために、あなたは何ができますか。
これらのことを是非考えてみてください。
「そんなことを言ったって、目先の仕事に追われているし、お金も必要! 綺麗ごとでは生活できない!」という声が聞こえて来そうです。
しかし、これは「綺麗ごと」などではなく、自分の生きている惑星を守ることにもつながり、自分たちの子孫にもつがり、生きている間の自分の人生にも降りかかってくることなのです。
今年の「アンバランス」というキーワードは、すべてこのようなことを考えるためにあるのでしょう。
世界の何がアンバランスで、どうしたら「少しでも」バランスよくなるのか。自分の生活のどこがアンバランスで、どうしたらバランスよく生活できるのか。特に自分のアンバランス感はご自身が最もよく感じ取れることです。この点をじっくりと考える時間が、今なのでしょう。
アンバランスな人間減が創る未来はアンバランスになることでしょう。バランスを取ろうとする人々が創る社会はきっと今よりも進歩していると思います。
個人が社会に対して出来ることは小さなことかも知れませんが、自分を変えて行くことは自分の全てに影響することが出来ます。
今年のキーワード「アンバランス」は、このようなことを私たちに教えようとしている宇宙の声なのだと思います。
現在の社会の混乱は、昨日までの自分たちの行いの結果です。
地球は常に、私たちに「考える」テーマを与えているのだと思うと良いでしょう。
新しい自分を確立できた方こそ、今後を有意義に生きられる人になるでしょう。(2021年2月)
皆様には心より新年のお慶びを申し上げます。
昨年は「コロナ禍」に明け暮れ、振り回され、本当に100年に一度の災厄に見舞われてしまいました。
今年もまだまだその影響は続き、混乱が予想されますが、皆様とともに、是非とも前向きに進んでまいりたいと思っております。
当アカデミーにおきましても、さらに皆様のお役に立つ情報を発信してまいります。何卒宜しくお願い申し上げます。
今までも、世界各地でさまざまな災害が起こってはいますが、世界規模で交流がストップする事態は、今、地球上に生きているほとんどの人が初めて経験することでしょう。
人はいろいろな経験や、そして置かれている社会状況によって価値観は変わるものです。
生まれた時からスマホが身近にあるデジタル・ネイティブ世代と、黒電話、プッシュホン、携帯、スマホ……と移り変わりを経験してきた世代とではおのずから通信に関する価値観が違うことでしょう。音楽にしてもレコード、カセット・テープ、MD、CD、ストリーミング……それらを知っている人間と、生まれた時からストリーミングである世代とでは受け取り方が変わります。
どんな違いがあるかと言えば、製品、商品への価値観が全く異なることでしょう。
音楽で言えば、趣向品と消耗品ほどの違いでしょうか。
時代背景によっても価値観は全く異なって行きます。
バブル世代と、その後の長い不況の中で育った世代とではあらゆる部分で価値観が違って当然です。
2020年は、すべての世代に等しく試練を与えました。
これほどまでに世界観、社会観、人間観を考え、変えてゆかなくてはならない機会は今までなかったことでしょう。それもあらゆる人種、世代が同時に「新しい生活」を考えることを強いられました。
しかしながら、ウィルス禍はないに越したことはありませんでしたが、視点を変えれば「あらゆる分野の見直し」の良い機会だったのかも知れません。このようなことでもなければだらだらと続けていたことも多かったことでしょう。
それらを正面切って変えることが出来ました。
そしてそれらは「新しい生活」として定着し、「新しい日常」になってゆくことでしょう。
一年前のコラムのテーマは「2020年は新しい生活を考える年に!」でした。図らずも、そのような状態になってしまいましたが、これは宇宙的波動に沿ったことなのだと感じています。
そんな中で、今年、是非考えていただきたいことがあります。
それは「自分をデザインする!」ということです。
人は一人で生きるものではありません。ですから、人間のエネルギーの塊である「社会の雰囲気」に大きく影響されます。
景気が良いときには浮かれてしまいますし、景気が悪ければ鬱的にもなってしまいます。どんなに努力しても社会状況によってはそれが生かされないこともあると思います。
まさに就職などはそうで、2019年までは「売り手市場」と言われていましたが、たった一年でその状況は変わりました。そして会社は「メンバーシップ型」雇用をやめ、一気に「ジョブ型」へと変容しようとしています。
これらのように社会は経済のみならず、個人の都合など関係なく、大きく変わってしまうことがあるのです。
昨今、国をあげて「デジタル化」が叫ばれています。
これはチャネリング情報でもお話ししているように、宇宙的必然でもあります。必要なことだと思います。そして、それにより私たちの生活もどんどん便利になってゆくことでしょう。
今回新型コロナワクチンが、今までの常識では考えられないスピードで開発されました。
これもウィルスの遺伝子を完全解析したコンピュータ技術の賜物です。
日本におけるハヤブサ2、中国の月面無人調査機の成功などの宇宙探査もすでにデジタル技術なしには成り立ちません。日本をリードする自動車産業も近い将来、デジタル技術が制してゆくことになるでしょう。
産業地図は一変します。
デジタルは、これほどなくてはならない技術になったのです。政府、企業を問わずこれらに投資をしてゆくことは当然です。
しかしながら、これらの技術は良い面ばかりをもたらすものではありません。
現状の社会の中でデジタルが人手に取って代われる分野は多いことでしょう。そうすると当然、取って代わられた分野では「人手」は不要になります。デジタル化の後に来るものは、「既存の職の消滅」です。
社会の変革はこのように、「個人の都合」には関係なく進んでしまうのです。
であるからこそ、このコロナ禍を経験し、新しい生活を考えている私たちは、今こそ「自分の生き方」を考える時代に来ていると思います。
今までは多くの方が「社会に自分を合わせていた」ことでしょう。
これから大切なことは「自分を通して社会を見る」ことです。
そのためには「自分に出来ること、出来ないこと」を明確にする必要があります。「自分が譲れること、譲れないこと」を考え、許容量を広げる必要もあるかも知れません。「今まで気づかなかった自分」に気づく必要もあります。
これらを意識して自分の「あり方」を考えることが「自分をデザインする!」ということです。
今年は、このように前向きになれる皆様のお役に立てるよう、より多くの情報を発信します。
皆様も是非、「自分のデザイン」を楽しんでいただきたいと思うのです。(2021年1月)
とうとう12月になってしまいました。
「とうとう」というのも可笑しなものですが、毎年やってくる年末ですが、やはり今年は緊急事態の一年であり、今まで「普通」であったことがまったくと言ってよいほど出来なくなった特別な一年でした。
皆さんも、この「非日常」の中で、我慢を重ねられていることでしょう。
しかしながら、ちょっとだけ冷静になってみると、今年は「今までの日常」を考え直す絶好の機会にもなったのではないでしょうか。こんな緊急事態だからこそ積極的に、あらゆることを見直すチャンスに変えたほうが楽しいと思います。
12月は、ご自身のことや社会のことを見直す時間にして行きましょう。
今年は本当にいろいろなことを考えさせられたのではないでしょうか。
仕事のこと、家族関係、友人関係のこと、大きく言えば人生についてなども考えたことでしょう。そして働き方や会社の在り方、危機管理で浮かび上がった政治の在り方、こんなパンデミックの中でも繰り広げられる世界の国々での覇権争いや権力闘争……。
個人的なことから世界情勢、人間の価値観まで、さまざまなことが見えてきました。
個人的な部分では「時間の使い方」と「人間関係」が大いに変わったのではないでしょうか。
自宅でのリモートワークを始められた皆さんは、多分、人生の中で初めての生活となったことでしょう。「社員が会社に行ってはいけない!」。こんな経験はまずありません。
でも、そこで見えてきたことがたくさんあったのではないですか。
「通勤時間がないことが如何に楽であることか!」。
そして「どこでも仕事が出来る」ことから東京一極集中のデメリットも見えてきました。
今までであったなら、東京の(一件)華やかで、世界中の食べ物が食せて、忙しいことがステータスで……というようなことが、如何に幻想であったかに気づいてしまった方も多いことでしょう。
地方には素晴らしい景色と、空気、そして美味しいものもあります。そんな中で仕事をすることに豊かさを感じる様になった方も多いでしょう。
そうすると住居に対する考え方も変わります。まさに人生が変わるほどの転換です。
時間の使い方も変化し、空いた時間に何をするかについて考えるのも今年ならではです。
私個人で言えば、アカデミーでの講演会、セミナーなどの発信機会が激減する中で、今後どうすれば皆さんにお伝えすることが出来るか、何が必要で、何が足りないのか……、などを考えるチャンスにもなりました。
また、ボランティア活動などでも組織運営の無駄も見え、今まで慣習で行ってきた無駄を省き、大いに組織改革が出来たことなどもプラス点だと思います。
皆さんも来年に向けて、充実した生活のために、どこをどのように変えたら良いのか、是非考えてみてください。
そして、変化のかなり大きな部分として「人間関係」の変化があったのではないでしょうか。
人に会いたくても、このパンデミックの中ではなかなか思うようにゆきません。とても寂しいことです。
しかし反面、「ほっとした」部分もあったことでしょう。
今までは「何となく会っていた」とか「しかたがなく付き合いで……」などの人間関係があったかも知れません。このような社会状況の中で、「本当に会いたい人とそうでない人」がはっきりしてきたことでしょう。
今までは「人脈の多さ」が良いことのように言われていましたが、本来は「必要な人脈」を持つことが大切だということが、このコロナ禍で見えてしまいました。
人はその一生の中で、それほど多くの人に会えるわけではありません。
であるからこそ出会いは大切であり、そこに無駄な時間を割くことは本来的ではありません。これを機会に人脈の「断捨離」も必要なのかも知れません。
これを考えれば自分が「断捨離」されない人間になるための「生き方」も見えてくることでしょう。
社会の問題点も多数見えてきました。
日本においてコロナ禍は、欧米や開発途上国などに比べ、その重症化率は低く抑えられています。もちろん言うまでもなく医療従事者の努力が大きいのですが、世界のニュースを見ていて気付かされるのは「民族による習慣と考え方の違い」です。
日本人は比較的「マスク」に抵抗がない民族と言われています。
その根底には、マスク着用は「自分のためであり、また他の人のため」という意識がありますが、西欧諸国では「マスクをするかしないかは自由に関わる人権問題」という意識があります。
マスクの着用一つをとっても、これだけ民族性が出るのは興味深いことです。このグローバル社会の中でも「これほど意識が違う」ということを実感することは少なかったでしょう。
また、他国には日本以上に感染を食い止めている国もたくさんあります。
そこには政治体制の違いもあり、民主主義と共産主義など、それぞれの問題点を考えざるを得ない事態にもなっています。
そして各国によるデジタル技術の使い方の違いも明確になりました。
日本などはここへきてやっと「ハンコが必要か!?」などという、ある意味ジョークのようなことが政治の重要課題になっています。本当にこんな政治で良いのでしょうか。
コロナ禍は、自らの「民度」を考えるところにまで及んでいるのです。
そして、デジタル技術が進むと、次は「電力供給」に話が及ばなくてはいけません。発電の在り方も考え直す必要があるのです。
そして次には「食料自給問題」が浮かび上がります。
産業界においては「自国生産回帰」が再考され、産業構造が激変します。
このようにパンデミックは、何となく過ごしてきた「今までの生活」のあらゆる面においての問題点を浮かび上がらせました。
一人ひとりがこれらを考え、少しでも「理想の社会」に近づけられるチャンスに変えてゆきましょう。
そして来年から、良い流れに向かえるよう、ご一緒に頑張りたいと思います。(2020年12月)
このコロナ禍において、皆様の生活はどのように変化したでしょうか。
生活習慣や経済的環境などが大きく変わった方も多いことでしょう。社会のシステムも経済を取り巻く環境も大きく変化をしました。それでも人は何とか対応し、順応してゆくものです。知恵を出し合いながら、頑張りましょう!
こんな社会状況の中で、いくつか気づいたことがあります。
経済は好調であるに越したことはありません。景気は悪いよりも良いに越したことはありません。しかしながら、現実として立ち止まらざるを得ない状況になり、冷静にならざるを得なくなると、どうも「世界(私たち)は、経済に対して加熱し過ぎていたのではないか?」というのが気になる点です。
もちろん、経済が成り立たないと生活が出来ませんので、関心が高いのは尤もです。しかし、ちょっと冷静に見回してみると、こんな「大自然との闘い」の只中にあっても、米中は協力して地球規模の災害に立ち向かうどころか、覇権争いをし、経済戦争ともいうべき状況に突入しています。
日本を見ても、2011年の東日本大震災を体験したばかりで、人災ともいえる「原発事故」を経験し、今後十万年単位の後処理を負ってしまったにもかかわらず、新しい電力技術に挑む姿はほとんど口だけで、科学技術創出の予算は微々たるものであり、他国にも大きく遅れをとっています。世の中はこのような状況です。
社会の「覇権」は、当然ながら推移してゆくものであり、国の力関係、経済力にも波があります。ですから、その現状に一喜一憂するのは、ほとんど意味のないことだと実感します。
こんな社会状況の中で、目先の経済や優位性だけを追いかけることのむなしさを覚えるのは私だけではないでしょう。
そのようなことに気づくと、これからは「緩やかな発展」と「新しい価値観の創造」が人類の発展に必要な要素だと痛感します。
穏やかな発展は、地球に及ぼす影響も緩和し、人々の過剰な競争も緩和します。従って、人間同士の争いも、排除も少なくなることでしょう。
しかし、ここには問題があります。
それは人間の「本能」です。
人は、基本的に本能に従い生存しています。ですから「もっと、もっと!」という気持ちが強く発せられます。そして、この「本能」が人間を支配するまでに膨らむと、惑星に大きな負荷をもかけ始め、結局「自らを痛める」という結果につながってしまいます。
宇宙的なチャネリングは、当然ながら「現在存在している人類との交信」です。すでに滅んでしまった人類とは交信できません。
こんな当然のなかにヒントがあります。つまり「生き残った人類」には共通の特長があるのです。それをチャネリングで知ることができます。
その共通した特長は、「本能を理性でコントロールした」という、まさに当然の行為でした。
実は、こんな当たり前の正論をかなりの人類が実行できなかったのです。
いろいろな知恵があり、技術を駆使しているとは言いながら、まだまだ人という生物は愚かなのかも知れません。
そんな進化過程の生物である地球人は、百年に一度と言われるパンデミックを経験しています。せめてなら、この状態からいろいろ学んだ方が前向きというものです。
そこで、日常的な生活を振り返ってみましょう。
今年は世界中で、集団的動物である人間が、「人との交流」を制限されています。最も「非人間的な束縛」であることに間違いはないでしょう。
テレワーク、ズーム飲み会などなど、新しい技術による新しい生活も体験し、今までの「生活の無駄が浮き彫りになった」という良い面もありました。
しかしながら、やはり対面で交流が出来ないとストレスは溜まるものです。「籠り生活」の大きな問題点として、「外に対する興味が失われて行く」という点が挙げられます。
かく言う私も、危うくこの罠に掛かりそうになりました。
基本的に普段から、「定時に出勤する」という習慣はありませんので、このコロナ禍では、特に緊急事態宣言発令中は籠りがちな生活が続きました。人と接する機会も格段と減り、家族以外にはあまり会うこともありません。そうすると、ご多分に漏れず、映像を見たり、音楽を聴いたりという「受け身」の時間の過ごし方になり、ふと気づくと「感性の感度が鈍り、何事にも関心が薄れてゆく」実感を味わいました。
幸い、すぐにそれに気づき、新しいチャネリングに挑戦し、来年の予測を行い、コラムを考え、社会や政治、経済に興味を持ち、出来るだけ創造性ある生活に戻しました。
ヒーリング能力や予測力、チャネリング力など、これらの超能力は感性の感度が下がると弱くなって行きます。つまり、オーラ(生体エネルギー)への刺激がなくなるとオーラは栄養不足になり、輝きを失います。
人が生きる上において、ヒーリング能力などの自己治癒能力、リスク・マネージメントとしての予測能力、人間関係維持の第一印象などを感じるリーディング能力などはとても大切なものです。
皆さんは如何でしょうか。この「引き籠り」の生活の中で、感性が鈍ってはいないでしょうか。
感性=超能力の源は「好奇心」です。探求心とも言えます。
これが減るとオーラの輝きは減って来ます。そして数々の超能力も減衰してしまいます。人は、ただでさえ年齢が進むと好奇心は減ってくるものですが、ちょっとした切り替えによってそれは補えるものです。
気を付けなければならないことは、現在のように、海外旅行にも行かれず、国内旅行と言っても常に感染に気を使い、人込みをさける努力を強いられ、息苦しいマスクなどをしなくてはならない閉塞的な状態の中で、さまざまなことに対して関心が薄れてしまうことです。
今こそ、好奇心を呼び覚まし、理性を高めることが大切になってきています。(2020年11月)
自然界というのは不思議なものです。
熱帯魚観賞などに興味のある方には名前の通った魚に「プレコ」という種類があります。水槽の中に飼っておくと、ガラス面についた苔を餌にして、水槽を掃除してくれるなかなか愛嬌のある魚で、マニアには結構愛されているようです。
この種は「ナマズ」の一種なのですが、自然界では30㎝から50㎝くらいにまで成長します。
そんなに育つ種なのですが、小さな水槽で飼うと、これが何と、大きくならないのです。何故か水槽の大きさに合わせて育ちます。
これは典型的な例なのですが、木々でも、例えそれが大きく育つ種類の木であっても、同じ場所に生えている場合、優勢木(大きく育つ)と劣勢木(同じ種類なのに大きくならない)に分かれてしまいます。
生物の成長は「空間」と「密度」に密接な関係があるということでしょう。
この自然界のシステムは人間にも当てはまります。背の高さなどの外見の大きさは、種族による遺伝的要素が大きく作用することは間違いありませんが、オーラの出方には自然界の「空間」と「密度」は関係するようです。
「空間」と「密度」によって、考え方や雰囲気が変わって来るのです。
わかりやすく言えば、超能力的な能力を開発しようとするとき、その多くは都会の雑踏の中で行うより、大自然の中で行う方が開花しやすいという傾向があります。
過去の例を見ても、修験堂は山奥にあることが多く、滝行や呼吸法も自然の下で行う方が効果的なようです。歴史的にも、華やかな「都」に存在した寺社などは、修行の場というより、権力の場としての様相を呈しています。
実質的には、手法さえしっかり守れば、能力開発に場所はあまり関係はないのですが、やはり、雰囲気は人間にとって大切なのでしょう。
今、この「環境の変化」がコロナ禍によって強制的に、劇的に訪れました。
物理的な部分では、「出勤停止!」。今までの会社組織では到底考えられないことです。
また会社経営者にとって、本社ビルを構えることは一つのステータスであり、目標でもありましたが、この時代、「多くの人間を一ヵ所に集める」という形式自体が問われることになってしまいました。
そしてオフィスの最先端と称された「フリーアドレス(席を決めずに自由な場所で作業する形)制」すらこのコロナ禍で不可能となりつつあります。
働く側にも変化が起こります。
今まで、満員電車に乗り、通勤していた「常識」が「テレワーク」に変わり、その時間の無駄と、会社に集まることの不合理に気づいてしまったのです。もちろん「可能な職種と不可能な職種」はありますが、まさに生活において革命的な変化でしょう。
これらに代表される社会の「大革命」が起こりつつある現在ですが、それではこの「コロナ禍」の後、人間はどのようになって行くのでしょうか。
私は、7割の人間が「今までと同じ」生活に戻ろうとすると感じています。
そして3割は変化をして行くことでしょう。
この7:3という数字は少し甘い予測だとは思っています。自然界の法則で言えば、8:2程度だと思われますが、これが人間の特長なのでしょう。7:3のどちらが良いか悪いかということはありませんが、私は是非、3割に入っていただければと思っています。
これは物質的な「富」に対する考え方の違いが関わってくる問題なので、大変難しい選択かも知れません。また人間は良くも悪くも「欲望」によって進歩をする存在であることも確かだからです。
前回のコラムで「自然には、ある程度の許容量がある」ということをお話しさせていただきました。
今回のコロナ禍、気候変動などは、まさにこの許容量の限界に近づいていると感じています。地震や火山噴火などの自然災害は、人間の影響とはなかなか考えられないことですが、それでも地下核実験や地盤に対する地上の重量物(都市)などのアンバランスが微妙に影響していることは確実でしょう。
過去の地球において、これほど地球を改造してしまっている生物は、未だかつてなかったことでしょう。これからは、新型コロナ・ウィルスだけでなく、大地の掘り起こしや気象変動により氷河が溶けることによる、まったく私たちが経験したこともないウィルスの出現も間違いなく起こり得るでしょう。
未来創学アカデミーには「生源保守」という考え方があります。
これは読んで字の如く、「自らの生きている源を保って守る」ということです。
人間が生きる上において、「自然環境を全く壊さない」ということは不可能です。ですから「壊した分は補って行く」という「保守」の考え方が重要なのです。
そんな中で、7:3ですが、今回の社会変化の中で自分の生き方を、一度立ち止まって考えて見ては如何でしょうか。
確かに都市部は魅力的です。さまざまな「欲」を満たす要素があります。食事から文化的なものまで何でも揃っています。そして「お金さえあれば」それを簡単に享受することが出来ます。楽しいです。また多くの人々に出会い、刺激も受けることが出来るでしょう。
しかし、今回のパンデミックにより、行動を制限され、人に会うことを制限されるという、経験をしたことがない稀に見る状況を体験し、あなたは何を感じたでしょうか。
「人に会う」大切さを再度認識したかも知れません。「好きな時に、好きなものを食べられる」ありがたさを実感したことでしょう。気軽に海外旅行に出かけて、いろいろな体験をしたことが懐かしく思えたことでしょう。
他にもいろいろあることでしょう。
半面、通勤など、今までどれだけ時間を無駄に使っていたかに気づいてしまったかも知れません。また多くの友人の中でも「とても会いたい人とそうでもない人」に気づいてしまったかも知れません。周りに引きずられてやっていたことが、「それほど好きではなかった」ことを理解したかも知れません。テレワークで「自然の中で仕事をすることに人間性を感じた」方も多いと思います。
冒頭でお話ししましたが、人間も「空間が狭小」で「人間の密度が高い」ところにいると、オーラの出方が小さくなる傾向があります。科学的な研究がないので数字ではお話しできませんが、都市空間に対しての「適正数」というのは、きっとあるのでしょう。
そういう意味では、日本の都市は限界を越えているのかも知れません。
先進国では共通して少子化が進み、これは仕事などの影響だけでなく、都市空間の適正密度も関係しているのでしょう。そろそろ人間は「都市空間の密度」を考える転換点にも来ているのです。そして地球環境を保守する大切さを意識する必要があります。
3割の人が考え方を変えるだけで、地球の許容量はまだまだ保てると予想しています。
今回の災害の中で、「何を学ぶか?」は非常に大切なことです。
百年に一度の貴重な体験をしてしまった今、「単に元に戻る」のではなく、「人生の豊かさ」とは何か? を自分に問い返してみる良い機会になると思います。
その姿勢が「地球の許容量」を守り、延いては人間自らを豊かにし、助ける……という環境造りになるのでしょう。折角ならば「コロナに学ぶ」「コロナで気づく」というのも、人間ならではの智慧だと思います。
あなたは3割? (2020年10月)
現在のコロナ禍により、日本のGDP値は4月~6月の第一四半期で27.8%ダウンという驚異的な落ち込みとなってしまいました。昨年までの成長率でみると、プラス2~3%を目標としているのですから、この落ち込みは想像を絶するものでしょう。戦後最大の落ち込みとも言われています。
このような大惨事の中で、これから何を考えて行かなくてはならないのでしょうか。
まずは「何故このような災害が起こっているのか」という点です。
災害はパンデミックだけにとどまらず、日本においても毎年のように発生する大規模な水害、アメリカ・カリフォルニアで毎年規模が大きくなる、自然発火の山火事、フロリダ、ミシシッピー川流域などのハリケーン被害、ヨーロッパにおける熱波、中国の大洪水、アフリカからのバッタの大発生……などなど、まさに「100年に一回」と言われる規模の大災害が、毎年のように発生するという異常事態となっています。
これらの原因の大きな要素は、明らかに「気候変動」に関わっていることは、いうまでもないことでしょう。
それでは、この「気候変動」を人間の手で何とかすることはできないのでしょうか。
それは可能だと考えています。火山の噴火や地震などの発生については非常に難しいと考えますが、上記の災害は「人が引き起こしている」という側面があることを見逃してはならないでしょう。
スピリチュアル、宇宙的な観点からみると、どこの惑星であっても星そのものには、かなりの修復力、包容力があるようです。それは本当に神秘的なシステムであり、パワーなのだと思いますが、その惑星上に発生させた(した)存在を包容する余力を持っているのです。
しかしながら、その許容量を越えてしまうと、惑星は一気に修復に入ろうとするシステムが働くようです。
当然ながら、宇宙のシステムには「人格」などはありませんから、一旦修復が始まると、それは人類に配慮することなどなく行われます。
チャネリングによる宇宙情報においても、これらの災害で人類が滅亡に近くなる状況に置かれたことは、少なからずあるようです。
現在の地球は、すでにそのような状態に陥ってしまったのかというと、幸い、まだそこまでは進んでいないようです。
しかしながら、人類がかなりの負担を、この惑星にかけてしまっていることは皆様もお感じになることでしょう。
アメリカ国勢調査局のデータによると、1930年の人口は約20億人。30億人になったのが1960年。そして2011年に世界人口は70億人に到達したと言われています。
それに伴い、経済は18世紀の産業革命以来伸び続けています。数字を見る限り、1930年以降、アメリカを中心にGDPも伸び続けているようです。
途中、世界大戦などを挟み、多少の上下はありましたが、ある意味、指数関数的に伸び続けています。日本においても、戦後の高度成長に入る手前の1960年に総理大臣になった池田首相は「所得倍増計画」を提唱しました。1961年から10年計画で国民の所得を倍にすると宣言したのです。そして日本人はこの計画を10年を待たずに成し遂げてしまいました。これが世界から日本経済の奇跡と言われているのですが、その反面、この時代、日本特有の災害にも見舞われていました。典型的なものが「公害」と呼ばれた光化学スモックや河川の汚染です。しかしながら、これらはその後の努力によって回復させることが出来ました。
このようなことから何がわかるかというと、その経済発展のスピードと、環境への影響は比例しているということです。人口が増えてゆくことは、生物として当然の本能だと考えられます。
しかしながら、それに伴う経済発展は、果たして指数関数的な伸びが必ずしも必要なのか……ということを考える必要があるでしょう。
経済というものは麻薬に近い感覚があります。「一度、その快楽を味わうと、もっともっとと求めてしまう」という特性です。そしてその快楽には必ず「副作用」があるということです。
冒頭でもお話ししましたように、地球にもかなりの許容量があります。しかし、いったんその度を超すと、地球の修復力が働き始め、人間にはコントロールが出来なくなる可能性が高いのです。
現在の状況は、かなりその限界値に近いように感じます。地球の悲鳴と怒りのエネルギーを感じる必要があるでしょう。
特に気になるのは、「デジタル」の発明と宇宙開発競争です。
これらは他の惑星の人類においても同じような技術があることから、「人類発展の必然」だと思われますが、惑星からの報復を受けていない人類との比較で学ぶとすれば、「発展には、もう少し時間をかけても良いのではないか」ということです。
デジタル技術は、短時間で社会システムを変えました。あらゆることが「安価で早く、簡単に」手に入るようになりました。半面、この技術は想像を絶するほどの電力を消費します。そしてその電力を供給するために、火力、原子力が主に使われています。火力、原子力の問題点はすでにここで語る必要はないでしょう。宇宙開発においても地球に与える影響は計り知れません。使い方によってもっとも心配なことは、オゾン層の破壊です。これは惑星にとって、予測不能な破壊力となる可能性があります。
「豊かになりたい、幸せになりたい」と願う気持ちは人類の必然ですが、その発展は「もう少しゆっくり」でなくてはならないのだと感じます。
まだ地球の修復力が動き始めたばかりの現時点で、人類がこの点に気づき、生活、特に経済発展のペースを落とすことが、このコロナ禍から学べる大きな収穫なのでしょう。(2020年9月)
最近、また新型コロナ感染者が増えてきました。
どこで感染するのかわからない、「見えない厄介者」ではありますが、再度、理性的になり、気を引き締めて生活をして行きましょう。
昨年行った、2020年の予測を振り返ってみると、まさに予測のような流れが現実に起きていることがわかります。
「予測」は、「当たった、外れた」の問題ではなく、「予防」のためのワクチンのようなものとして捉えていただくと有効だと考えます。大自然や社会の状況は刻々変化します。ですから、いろいろな視野から「想定」をしておくことは、自らを守る大きな手段になると考えています。
ですから未来創学アカデミーでは、一見突飛とも思える「宇宙情報」なども取り入れ、さまざまな視点で地球上の生活を考えています。
昨年予測した、今年を象徴するキーワードは「分断と縮小」です。
具体的には……
・覇権のシフト(中国の影響力増大)
・既存の価値観の限界
・極端な二極分化
・グローバル化の崩壊
・新しい社会システムの始まり
などです。
経済面としては……
・2020年後半は「戦時下的」低迷
・経済恐慌の恐れ
自然環境としては……
・乱れる
・食糧難の始まり
・水害(6月~、9月~)
・火にまつわる災害(9月~)
・地震注意時期(年末)
そして、健康面として……
・新型ウィルスの出現
・耐性ウィルスの発生
・精神不安定による人間関係の問題などをお話しさせていただきました。
オリンピックに関しては、昨年の夏までは「中止」を予測していました。その後「なんとかやっている」と予測を変更してしまいましたが、大方の流れを振り返ると、恐ろしいほどの一致が見られます。
あまりお話ししたことはないのですが、この「予測」をどのように行っているかというと、まずは「世界の流れ」「日本の流れ」「肉体・精神の流れ」の各波動をオーラ・リーディングし読み取り、それを視覚化します。次に各項目の詳細をインスピレーションによって具体化して行きます。最後に世界・日本地図によってエネルギーの溜まっている場所を探し、災害予測などをグラフ化してゆきます。
これは半年前くらいから始めるのですが、昨年は、年後半のアメリカの景気などは絶好調で、2020年に「戦争状態にも匹敵する景気の底割れ」と予測が出た時、私自身もなかなか信じがたいものがありました。
ただ、これらの予測には「幅」もあることがわかっています。
2011年の3・11災害の時もそうでしたが、「3月中旬頃、日本人が今まで経験したこともないような、背筋が凍るような出来事が起こる」と予測し、それは「何か核に関わる出来事」であるとお話ししました。これには「幅」があります。核戦争も考えられますし、核燃料漏れも想定されます。現実には皆様も体験の通り、地震からくる津波、そして原子力発電所の事故でした。
今回も「新型ウィルの出現」は予測していましたが、被害の度合いは予測を越えました。オリンピック中止に関しても、当初予測していたことは、自然災害出費による予算不足での開催の懸念でした。
今年の水害は6月後半から7月にかけて第一波が起こってしまい、第二波は9月中旬からが予測されています。
最近はよく「想定外」という言葉が使われます。
この言葉は「言い訳」として便利に使われることが多くなり、非難の的になったわけですが、昨今の自然災害や外交、経済などのふり幅の大きさを見ると、あらゆる事例を「想定」することの方が難しいと感じる様になった方は多いことでしょう。
しかしながら反面、これらの出来事を「想定外」で済ませてしまうことはできません。
自然災害は今までも多く発生してきましたが、近年の災害規模は、現在生きている人間が体験してきたものをはるかに超えています。その時代ごとに、専門家の方々は最大限の努力をしてきたものと思います。
今回のコロナ禍にしても必死に考え、対策をしようとしていることでしょう。しかしながら、災害は起こってしまい、被災する人が後を絶つことはないのです。
それでは今、何が必要か。
それは「想像力」です。 自然、社会状況を見て、「この状況が続いたらどうなるか」「この状況を回避するために何が出来るか」……。このように、さまざまなことを「自分のこと」として捉え、「少なくとも自分に何が出来るか」を考えることが必要です。
手短なところでは、水や食料、今回などはマスクも大切だったことでしょう。毎年インフルエンザは必ず流行します。普段から少しでも備えておく必要がありました。電気や火も必要です。
中・長期にわたっては、今住んでいる場所の地理を調べ、事によっては引っ越すことも視野に入れなければならないでしょう。物だけでなく、生活そのものを考えることが大切です。
これらは政治の想像力も問われます。
しかし彼らだけでなく、個人レベルでもさまざまな部分で想像力が欠かせない時代の流れになっています。
これからの時代は、地球の波動を感じ、想像力を働かせることが、サバイバルとなり、新しい社会システムを創ることになるのです。(2020年8月)
感染症の猛威が収まらない中ではありますが、社会では生活を取り戻す動きも出てきた昨今です。
特に最近、よく耳にする言葉に「新しい日常=新常態」というものがあります。少なくとも日本社会においては、国のインフラのほとんどすべてが崩壊した第二次世界大戦からの 年間で築き上げてきた常識が通じなくなってきたのではないか……ということです。
75年という年月は、今現在生きているほとんどの人間の一生に当たります。つまり地球上の多くの人が、今まで積み重ねてきた仕事の仕方、経済、社会状況を「常態」、つまり「当たり前」と考えていて、それが覆ることはまさに「想定外」であったことでしょう。
「社会人」と言えば、普通に考えればその多くが「会社に入り、毎日オフィスに通勤し、給料をもらって生活する」というイメージです。「経済活動」と言えば、「人と人との交流はつきもの」でした。人との交流が経済を生むということです。
戦後の何もなかった状況から、政治・経済は右肩上がりの成長が「善」であり、人生の目標であったと言っても過言ではないでしょう。
そこに感染症のパンデミックが襲いかかり、人との接触を出来る限り避ける「三密」に注意! であるとか、会社に出勤することを禁止されたり、公共交通を出来る限り利用しないよう促されたりと、今までの常識から考えればとても理解できないような状況となってしまいました。
そしてこの社会状態が当分続き、若しくは「元には戻らない」と考える人が増え、行動を変える必要があるのではないかと考えるようになりました。
これが「新しい日常=新常態」と言われるものです。
実は、これらの多くは、今回のコロナ・ウィルス騒動前から起きていた現象でしょう。
IT技術の発達により、「必ずしもオフィスにいる必要はないのではないか」、「出来る限り満員電車には乗りたくない」、「金融経済は経済の血液ではなくなった。貧富の差が広がり過ぎている!」、「お金を稼ぐことだけが幸せなのか?」、「政治家は国民のことを考えているのか?」……などなど、多くのことがすでに皆様の気持ちの中に芽生えていた問題点なのではないでしょうか。
今回の感染症パンデミックはそれらの社会的慣習、問題点を「人々が考え直す時間を持つ暇もないまま」直撃し、即座に転換を迫りました。
普段であれば、「人々の交流がない商売」などは想定もしていないことでしょう。
「マイナンバーがこれほど役に立たなかった」などということも、あまり気に留めることではなかったことでしょう。
「日本のIT政策がまったく機能していない」ということも、日常生活の上ではあまり問題にならなかったことでしょう。
政府が躍起になって進めてきた「働き方改革」は遅々として進みませんでしたが、今回の災害で一気に働き方は変わりました。そして国民も強烈に働き方を意識するようになりました。
業務のIT化に対する考え方も同じでしょう。
自然の力は本当にすごいものです。これらの慣習・問題点の転換が一気に押し寄せたのですから、混乱と驚きは当然です。
それでも我々の生活は今ここにあります。どんな状況でも、生きて進んで行くのが生物の強さです。特に人間は「考えながら進む動物」なのです。
これからの社会をどのようにしていったらこの「新常態」を楽しんで過ごしていかれるのか。考え方の転換が必要です。
まずは宇宙に学んでみる
そこで、少し視点を変えてみましょう。
今までのセミナーの中でも何回かお話ししてきたことですが、この宇宙において「人類が滅びる原因は何か」という問題です。
最大の原因は「惑星の寿命が尽きること」です。
これは、すべての生命の母体である惑星そのものが滅びてしまうので、そこにとどまり生活することは不可能です。これに対処するために人間は宇宙旅行を考え、どこか別の星に移住することを考えます。多くのSF映画やアニメにも取り上げられる題材です。
地球以外の惑星においても現実にそのような対処をしている人類も存在するようですが、「自然の法則」においては、惑星が滅びるときに、人間のエネルギーが放出されて、他の星の進化に影響するというシステムが働きます。
未来創学アカデミーではこの宇宙進化論について詳しく解説していますが、それは別の機会にしましょう。
そして惑星の寿命以外で、最も人類滅亡への重大な要因が「ウィルス」なのです。
そしてそれに続くのが「戦争」です。ちょっと意外かも知れませんが、宇宙においては、滅亡の危機は戦争よりも感染症の方が多いようです。
今回は絶滅までには至らない種類のウィルスだと思われますので幸いでした。
そして他の惑星でも、これら感染症から絶滅を免れた人類も当然います。そうすると、彼らの「感染後の世界」を知ることによって、これからの地球の、人類の在り方も見えてくるのです。
そんな中でも最悪なことは、感染症によって社会が分断し、恐怖心から自己利益のみを考え、戦争に発展し滅亡するというパターンです。
これは強烈なウィルスによって滅亡すること以上に悪夢となります。しかしながら、これは比較的多いパターンで、現在の地球でも、その片鱗が表れ始めているので、何をおいても避けなければならない事態なのです。
人間の本質が試されます。(2020年7月)
人生の中でも経験したことのないような「自粛生活」を強いられた今ですが、さまざまな人々の努力により、少しずつ回復の道筋も見えてきたことに光明を感じます。この未曾有の経験が私たち人間の生活を少しでも良い方向に向ける契機となれば、現在の厳しい経験も無駄にはならないことでしょう。
いろいろな部分で混乱が表面化してきた社会生活ですが、今の社会の混乱は、この災禍がなくてもじわじわと進行していたのではないでしょうか。
行き過ぎた金融経済などによる貧富の差の拡大は「人」だけでなく、「国の格差」としても表れています。
いつの時代もこの「格差」は存在しますが、物質的に豊かになり、それを過剰に享受している現代だからこそ、その格差の厳しさやつらさを確実に実感するという現実もあります。
世界の脆弱性も見えてきます。クライシスに直面し、政治は極端な内向きとなり、今までの理想から言えば、世界が協調し、この「見えない敵」と団結して立ち向かう良い機会であったものが、世界をリードすべき大国すらなりふり構わず自らの利益に奔走し、国は分断されて行きます。
こんな緊急事態の時こそ、その資質がはっきりと見えてくるのだと思います。
クライシスで見えてきたこと
その意味で、今回ほどさまざまな事柄の本質が見えてきたことは、近年なかったのではないでしょうか。
世界のジャーナリスト、研究者から「奇妙な成功」として注目を浴びている日本のコロナ感染状況……。それは国がほとんど直接的な方策を取らず、「自粛要請」という形で対策を「国民に丸投げ」したにも関わらず、感染爆発が起こることなく第一波の感染減少に至った現象です。
これはひとえに日本人の公衆衛生意識など国民性の賜物だと考えますが、その国民性を支えた「水」の豊かさが重要な要因にもなっています。
半面、政府の動きと言えば、非常にタイミングの悪い「アベノマスク」から始まり、経済対策の遅れが問題になりました。
緊急事態宣言が終了した現在でも未だ配布が滞る「十万円給付金」や「支給したくないのではないか」と勘ぐってしまうほど煩雑な各種支援金手続き。マイナンバー・カードに代表される便利なはずの行政ITの不便さ。第二次大戦を経験した高齢の方が、「戦争の時も、そして今回も国に見放された」とつぶやく現実です。
また、今回のウィルス禍に期待された「アビガン(フィビピラビル)」ですが、知る限りインフルエンザでの効果に関して研究上の有効性は認められてはいますが、確固たる治験がないにも関わらず数百万人分の備蓄をしているという不思議。そして今後も相当の予算が組まれ、備蓄を進めるという報道もありました。しかも日本での承認は「科学的評価は時期尚早」との理由で見送られたにも関わらずです。
これらの他にも、政府と各自治体の決定権にまつわる混乱や危機対応力に対する不安などが見えてきました。そして、その混乱の中で検察庁人事の問題などが浮かび上がっています。政治だけでなく行政そのものの在り方にも問題が見えてきました。
経済では、医療機関が必要とする防護服、マスクすら調達できないという事実。各産業においてもサプライチェーンの崩壊が危機的な状態をもたらしています。
この原因となるのはアカデミーにおいても再三指摘してきたように、中国をはじめとする他国に生産拠点を移し過ぎたことにあります。当時、今から20年ほど前ですが、この傾向が進み始めた頃お話ししたのは、「単に賃金が安い国に生産拠点を売すのは間違い! その国にしかない技術を導入するためなどの理由がなければやめた方が良い」ということでしたが、当時、この意見に耳を貸す経営者は少数でした。
9年前の東北大震災や今回のパンデミックを経験し、国内での生産が如何に大切かが見えてきたことでしょう。
これは「自国主義」を提唱しているのではありません。
「物理的」に流通が出来るかどうかの問題です。東日本大震災のような国内災害の時ですら、一部の部品やガソリンの流通に支障が出たことは皆さんの記憶にも新しいことでしょう。今回も、グローバル経済の決定的弱点が暴露されることとなりました。
金融経済のゆがみも表立っています。ご承知のように、世界経済が1929年の大恐慌以来の状態になりつつある現状ですが、奇妙にも株価は不思議な安定を取り戻し、上昇すら見せています。「金融は経済の血液」と評される時代はとっくに終焉し、実体経済とは別の「産業」となってしまっているのではないでしょうか。
政治・経済の他にも「IT技術」も大きな変化が訪れ、その在り方が問われています。
この「巣ごもり」と言われる状況の中で重要性が認識されたものが「通販」です。特にイーコマースと言われる「ネット通販」はそのシェアを拡大しました。しかしながら「ネット」とはいうものの、最後に品物を届けてくれるのは「人間」です。これは避けられません。「最後のワンマイル問題」と呼ばれる運送です。どんなにデジタル技術が発達しても「技術と人」とは切っても切れない関係があります。
そして、行政における「オンライン」の脆弱性も露わになりました。給付金、その他におけるオンライン申請はことごとく失敗し、挙句の果てには「オンラインより郵送の方が早い」というジョークのような状態になりました。そしてオンラインを中止した自治体も続出しています。
生活面でも大きな変化が訪れました。
教育は混乱し、オンライン授業の可、不可による教育格差が表面化し、果てはグローバリズムを取り入れ、急に9月入学まで検討される混乱。
ここ最近「働き方改革」という言葉が叫ばれ続けましたが、現在ほど「働き方改革」がなされたことはなかったでしょう。「会社に行かなくても仕事は成り立つ!」ことがわかり始め、「満員電車通勤の無駄」が認識されつつあります。本社をなくし、従業員全員が自宅オフィスという企業まで出はじめました。
また、なくてもよい会議などが浮かび上がり、「会議の内容」も精選されつつあります。
さまざまな集団、団体などにおいても「今までほど集まらなくても十分に活動できるのでは!?」という認識も芽生え始めています。
このように、さまざまな社会生活の根本的な問題点が浮かび上がったのが、今回の「コロナ禍」の副産物と言えるでしょう。
これからどうなる? 未来を創る具体策は!
それならばこれを機に、より良い社会造りを考えるのが人間の進歩なのではないでしょうか。
さまざな分野で見えてきた問題点を、それぞれが解決して行く道を考えてみましょう。
今回のことでいろいろな問題点が見えてきた政治。
大問題の一つは、「この危機におけるリーダーは誰であったのか」という点です。形式的には首相なのですが、窓口が首相なのか、厚労大臣なのか経産大臣なのかよくわかりません。とは言っても日本の場合「総理大臣」に多くの権限はありません。それが日本の良さでもあり、欠点でもあります。
大統領に大きな権限があるアメリカやブラジル、ロシアなどが良い結果を出しているかというとそうでもありませんが、日本も「代表者に強い権限を与える」直接選挙を考えても良いでしょう。
他方、自治体の代表者が注目を集める場面もありました。ならば道州制のような形態にして、すべての衆参議員を無くし、「中央政府の構成者は都道府県の首長が務める」ということもあり得るのです。
いずれにしても今回わかったことは「緊急時に対応できない政府、政治家はいりません!」ということです。
産業分野では、生産の「自国回帰」は絶対に必要な事でしょう。生活に必要な物資は特にです。ウィルス問題は今回に限らず起こりうることです。すでにアカデミーでは15年前から議員の方を通して政府のウィルス対策を申し入れていましたが、これも未だ実現することはありませんでした。
ワクチンに代表される薬、マスク、防護服などはいうに及ばず、更に考え直さなくてはならない課題は「食」の問題です。家電製品・衣料などは多少途切れても命にはかかわりませんが、まだまだ世界中でさまざまな災害が想定される中、少なくとも国民が食に困らない体制を官民で作り上げることは急務です。
特に日本の場合、その優れた技術力による缶詰技術やフリーズドライ技術、また伝統的な漬物などの細菌技術もあります。そしてパッケージ技術も秀逸です。フードロス問題もありますので、とにかく「保存食」を含め、今後は加工食品が最先端産業になることは間違いないでしょう。
ITにも注目が集まりましたが、国のIT政策は世界に比べ大幅に周回遅れです。今までのIT担当大臣の資質を見ても一目瞭然でしょう。
日本のIT化を妨げる大きな問題は二つ。
一つは今まで培ってきた「アナログ・インフラ」です。戦後、こつこつと築きあげてきたインフラを一気に捨て去ることが出来ませんでした。
そして二つ目は、基本的行政事務は「役所に来い!」という「お上意識」です。
これらの問題点は「意識」の持ち方で変えることができるのです。すべての行政マンに「お上意識がある」とは思いたくはありませんが、官民挙げて意識を変えなくては効率的なIT化は望めません。
しかしながら、このIT化にも大きな落とし穴があります。
以前もお話ししましたが、ITの最大の欠点は「電力」です。昨年の千葉、その前の北海道ブラックアウトのように「電力消失」は現実問題です。これからはIT化と共に、その利用の基礎となる電力の確保、すなわち地域ごとの小規模発電、蓄電池の開発が必須です。
原発が事実上安全ではないと分かった今、これらの実現には大胆な発想転換と民意が必要となります。
生活においては、今後確実に少数の富裕層と多くの一般層に分かれてゆくことでしょう。
しかし今回の緊急事態を経験し、「貨幣」への考え方が変わった方も多いことかと思います。それは、「お金がたくさんあっても使えないときは使えない!」「人生の楽しみはおカネの多寡ではなく、別のところにある!」ということに気づいてしまった方が多いのではないでしょうか。
そうすると経済も変わって来ます。そして働き方、延いては人生観すら変わるはずです。「食べることさえ出来れば、実はおカネは多く持っている必要がない」「仕事はお金のためではなく楽しみのためにするもの」……このような考え方が主流となることが確実です。そこには新しい社会スタイルや新しいマーケットも生まれます。
これからの社会・経済は「ゆっくりと成長」する方向に向かうことでしょう。人間的でない効率化やスピード感が社会に多くの歪を生んでいます。これからの成長とは「指数関数的成長」ではなく「人間のスピードに合わせた成長」となるのが理想です。
そのためには各自が「新しい社会システム」を考えることが必要であり、今回こそが、「社会改革の好機」と前向きに捉えたいものです。
(2020年6月)
最近は「百年に一度!」という言葉が頻繁に聞かれるようになりました。
昨今の自然災害は特にそうで、今回のようなウィルス蔓延も1918年に始まった通称「スペイン風邪」から約百年ということになります。その間にも天然痘、ペスト、ポリオ、はしか、エボラ、エイズ、サーズ等々さまざまなウィルス禍があり、その他、地震、噴火、津波、台風など多くの災害もあります。すでに大災害が「百年に一度」ではなくなっていることは明白です。
その原因は何なのでしょうか。
そこにはさまざまな要因があります。温暖化、地軸の傾き、気候変動……等々。しかしながらすべてに共通する大きな原因の一つが「人間の活動」にあることは間違いないでしょう。
地球の許容量を超える人口増加。食料を確保するための際限ない開発、自然破壊。工業などによる汚染……。スピリチュアル的に見れば、経済第一主義による人の波動の乱れなども挙げられるでしょう。地球にとっては人間が今回のウィルスのようなものなのかも知れません。
そうは言っても、人もウィルスも動物も植物もそれ以外のすべての存在が地球上に必要であり、それが必然なのですから、何が悪いというわけではないのです。ただ、植物や人以外の動物などが比較的自然バランスを取りながら存在しているのに比べると「人間」の存在は確かにアンバランスなのかも知れません。ここまで自らの生存の前提である惑星を傷つける存在は他にあまりないでしょう。
今回の、戦後初めての世界的危機にある今、地球は、そんな「人間の在り方」を考える時間を与えているのかも知れません。
もちろん人間は、自然界そのものをコントロールすることはできません。しかしながら、そこに与える影響は自らコントロールできるのです。「コロナ後」を見据えて、地球に対しての影響を考える義務があります。それは人間が自らを助けることにも通じることになるでしょう。
難しい地球の自然システムのことは別としても、個々人が自分たちが暮らす「社会の在り方」くらいは考えられるのではないでしょうか。
人間と、その人間が造り出す集団が「社会」です。人は非常時にその本性が見えてきます。今まで「当たり前」と感じていたことが実は不自然であったり、それまで「大切」と感じていたことが実はそれほどでもなかったり、ということを感じている方も多いことでしょう。
その感覚こそが大切なのです。ごく身近なところでは、「コロナ離婚」「コロナDV」などということが多発してきているようです。今までは「なんとなく」暮らしていた家族が、この社会状況の中で強制的に一緒にいる時間が長くなっただけで、意見の食い違い、イライラがつのり、離婚やDVを起こしている……。まさに今までの時間はなんだったのでしょうか。家族の在り方を考えさせられる事態です。 政治にも綻びが見られます。今回の事態はほとんどの人が初めて体験する状況であり、過去の経験が役に立ちにくい状況です。
同じようなパンデミックはあったにせよ、時代背景、社会背景が全くと言っていいほど違います。
そんな時に、政治も本音が見えるものです。
どこの国の判断が最も「国民のため、世界の人々のため」になっているかもはっきりとみえています。今は緊急事態ですから、対処ひとつ一つを挙げて、その是非を論じても致し方がありません。しかしながらこの流れの後、まさに「コロナ後」に、この非常時に「如何に政治は国民を考えたか」「経営者はどこまで雇用者のことを考えたか、社員はどこまで会社のことを考えているか」「宗教は何をしたのか……」さまざまな検証が必要になることでしょう。
この検証が「新しい社会」を導き、社会の在り方を正し、人の生き方を変え、それが地球のためにもなっていくことでしょう。人々はこの機会に考えなくてはならないのです。コロナ禍が去れば「それですべておしまい!」というのではあまりに進歩がないと思いませんか。
例えば、経済。グローバル経済の利点はありますが、「低賃金」を当てにしてどんどん他国に自国の必需品まで作ってもらう……。これが正しいのでしょうか。
例えば、政治。緊急時に先守すべきは、個々の生活なのか金融経済なのか。強制的な措置がとれる独裁政治か、時間がかかっても皆の意見を聞く民主政治か……。今回、首相の対応に批判もありますが、そもそも誤解があるのかも知れませんが、
日本の「首相」に「大統領」のような権限はまったくありません。それに近い権限を持つのは都道府県知事などの「首長」です。一国の代表が「直接選挙」でなくてよいのか……。
例えば行政。緊急時においても、あくまで省益と権益、前例踏襲……でよいのでしょうか。
政治や省庁は基本的に「何をやっても」批判はされがちです。それでも「国民のために最善」と考えるなら、説明を尽くせば国民も納得するはずです。この「説明」すら省いてしまったら……。
また今回、多くの横文字が氾濫していますが、その最たるものは「テレワーク」かも知れません。
そのテレワークで最も遅れているのが「IT企業」だという話しも聞きます。機密保持のために特定場所以外では作業をしないのが鉄則であるとのこと。その発注元には官公庁も多くあります。率先してテレワークの推進をするはずのところがこのありさまです。そしてそれは、考え方次第で変えることが可能なことのようです。
今回、政治や国の在り方から産業、家庭にいたるまで、あらゆる価値観が急激な変化をしていますが、実は、それは今に始まったことではありません。何も考える必要のない、平和過ぎた時間の中で、多くの矛盾に目を瞑ってしまった結果、すでに社会の中に溢れていたのでしょう。
理想の暮らし方とは何か。理想の政治とは何か。理想のグローバリズムとは何か……。
今は、より良い地球を後世に残すために社会を変えて行く最大のチャンスなのです。
最後に、今回のパンデミックに際し、プロ意識とプライドをもって最前線で活動している医療関係者、そしてバックアップをしているすべての皆様に心から感謝します。(2020年5月)
社会は大変な事態に見舞われてしまいました。
新型コロナ・ウィルスの感染拡大によるさまざまな被害に合われているすべての皆様にお見舞いを申し上げます。しかしながら、この事態は他人事ではありません。更なるご注意と対策をお願いしたいと思います。
ウィルス感染は自然との闘いとなりますので、決して軽く考えたり、「自分は被害に合うはずがない」という思い込みは危険です。
事実、私は幼少期にポリオ・ウィルスに感染し、生涯身体障がいを持つことになってしまいました。
ですからウィルス感染の恐ろしさは身をもって知っています。
最も必要なことは「感染しない。感染させない」ということ。誰もが加害者になってしまう可能性があるところがこの病気の恐ろしいところです。なかなか先が見えない状況ですが、もうしばらくの間、自制していただければと思います。
しかしながら最近、この「お見舞い申し上げます」という書き出しで始まることが多いように思います。
昨年は全国的な台風や水害により、多くの場所で甚大な被害が発生しました。千葉での大停電、箱根の豪雨などなど、全国で数えきれない被害があり、未だに自宅に帰れない方も大勢いらっしゃることでしょう。そこにこの感染です。まったく不安定な世の中になってしまいました。
そうは言っても、社会では人災、天災に関わらず常に災害は勃発します。私が生きてきた中でもポリオ・ウィルスの大流行から始まり、オイル・ショック、バブル崩壊、阪神淡路地震、9・11 テロ、リーマン・ショック、3・11 東日本大震災……その他、多くのショッキングな出来事が発生しています。75年前には日本も戦時下でした。それでも人々は何とか明日のために立ち上がって行きます。今回ももう少しだと考えています。
最近「時は流れてゆく」と実感したことがありました。それは、この原稿を書いている時に見たニュースでのことです。この時期、東日本大震災の話題がよく放送されていますが、幼稚園の先生が園児に向かって「皆さんが生まれる前に、この場所で大地震と大津波が来て町がなくなりました……」と話していたことです。
私にとっては、まだごく最近の出来事ですが、園児たちにとっては「生まれる前」の出来事なのです。社会というものは常に前進しているものなのだということをつくづく実感しました。
このように次々と起こるさまざまな災害ですが、大切なことは「そこから何を学ぶか」ということと「如何に予測をするか」ということでしょう。
「想定外!」を如何に無くすかで人の真価が問われます。
人間は初めてのことには戸惑います。しかしながら、この二点を考えることでかなり冷静な対処が出来るはずなのです。そして、次世代に対処法を残すことができます。目先の対処と利益だけを考えていると大きな問題に発展して行くのです。
アメリカを襲った2001年のテロにおいてアメリカは冷静さを失い、イラクを攻撃し、滅ぼしてしまいました。ですが、そこには「大量破壊兵器」という攻撃理由になった事実がなかったのです。その後の世界情勢はご承知の通りで、アメリカも泥沼の中東情勢から抜け出せずにいます。
東日本大震災により、原発のメルトダウンという世界最大級の事故を起こしてしまった日本も「想定外」を繰り返すばかりか、その後も原発の重要性を説き続け「重要なベースロード電源」なる言葉を作り出し開発を続行しようとしています。
もっと冷静に事態を把握して、さまざまな新しい電源を確保して欲しいものです。
現代はITが重要で、現在のコロナ状況下でもテレワークやネット通販、ビデオ授業等々で大きな活躍をし、重要なインフラとなっていますが、この技術の最大のネックは「電力」です。電気を消失するとすべてを失います。IT技術も「タイトロープに乗った」極めて脆弱なシステムと言えます。ですから「電力」の確保は現代社会では最優先事項と言えるでしょう。原子力が「使いこなせない技術」とわかっている以上、一刻も早い転換が必要なはずなのです。
今回の新型コロナ・ウィルス禍においても考えるべきことはたくさんあります。
日本の感染拡大はヨーロッパ、アメリカなどに比べると比較的抑制されている感じがします。「感染者数」は各国で検査手法が違いますので比較にはなりませんが、「死亡者数」は参考になります。何故、この傾向が出るかというと、それは「公衆衛生」に対する民族性の違いでしょう。日本人は比較的「手洗い」そして「マスクをする」という意識が浸透しています。特に手洗いに違和感がありません。
これは良し悪しではなく、日本の風土に由来しています。日本は「水」に恵まれているからで、ふんだんに「水」を使える民族だからです。
この点を見ても、明日の日本にとって重要なことが見えてきます。
今後も、この「水」が使えるように水源の確保をし、都市計画やあらゆる開発において「水を守る」という意識を持たなければならないことがわかります。
また水際対策の初動に対して政府は多くの批判を受けました。
特にクルーズ船の対応は各国から非難を浴びましたが、別の視点で見るとこれは少々気の毒にも思えてきます。それは一度に4千名弱の人間を隔離・収容する設備を日本は持ち合わせていないことです。そして、船への介入権がなかったこと。
すべてが日本の常識を超えていました。だからといって対応が正しかったとは思えませんし、以前から世界ではサーズなどの蔓延があったわけですから、そこから学ぶ術はあったはずです。
当アカデミーでもかなり前から新型ウィルスの蔓延を予見し、対策の提案をしてきましたが、実行されることはありませんでした。これを反省材料として「国家百年の計」を考える政治家を望みましょう。
また国によって、最高責任者の決断力の違いが明確にもなっています。
この評価はいろいろでしょうが、各国の大統領と日本の首相では、その地位が持つ権限が大幅に違います。日本は歴史的に「合議制」が重んじられているからでしょう。この事実をとっても、私たち国民は今後、日本の目指す形を考え、政治体制を考えなければならない時期に来ています。
このようにさまざまな事柄が今後の課題として浮かび上がって来ます。
東日本大震災のとき、各国の救助隊の方々が感心したことの一つに「日本人の礼儀正しさ・冷静さ」がありました。あれから十年足らず、今回はどうでしょうか。マスクの買い占め、高額転売から始まり、日用品の買い占め。はては「うつしてやる!」と市中にウィルスをばら撒いたりする人も現れました。
しかしながら、これは日本に限った話ではなく、その後の世界で数多くみられる光景になってしまいました。特にアメリカなどはウィルス蔓延のニュースが報じられると、「銃が売り切れ」になるという始末です。それよりも前に感染予防のためにやることはいくらでもあるでしょう。民族性と習慣の違いとは言え悲惨です。
また金融界も混乱に陥っています。ご存知のようにアメリカ株は乱高下し、世界でも同じような傾向です。
企業業績の低下が経営者の責任なら「売り浴びせ」もわかりますが、今回は自然災害なのです。株主ならばじっと我慢し、企業を支えて欲しいものですが、あっという間の「売り浴びせ、空売り」です。まさに人災。そしてかなりの利益を上げている人がいることも事実です。
「金融はそういうもの!」と言ってしまえばそれまでですが、このままのシステムでは社会の害悪にすらなり兼ねません。これもあり方を考える時期になっているでしょう。
挙げてゆけばきりがないほど問題点が浮かび上がって来ます。
以前セミナーでもお話しいたしましたが、宇宙で人類が壊滅的な打撃を受ける事態というのは戦争ではなく、ウィルス蔓延だそうです。
今回の新型コロナはこれには当たりませんが、今後、これ以上の災禍が襲うことは必ずあります。その時に必要なことは「冷静な判断」なのです。
私も常に「予測」と「現実」を比較し予測精度を上げる努力をしていますが、その点でみると、今回の事態は予測より「少し早く」「多少大きい」と感じています。
経済的には「戦争に匹敵する」と申し上げた事態は秋ごろから改善する可能性も出てきました。またウィルスに関する状況も連休明け頃に見えてくると感じています。もうしばらくは自制が必要でしょう。
昨年発表した2020年のキーワードは「分断と縮小」でした。現在、まさにこの流れになっていますが、解決策はキーワードの反対を考えるところにヒントがあります。
反対語は「協調と拡大」。
ウィルスに対しても各国のプライドをむき出しにせず、世界的に「協調」することより、その後、安定の「拡大」が待っています。
今、「人間の質」が問われています。(2020年4月)
今年に入って、私はさまざまなところで「行動に想いを込めましょう」とお話ししています。
それは「人の想いが世界さえも変える」……こんな実感がますます強くなって来たからです。
何年か前にこのコラムでも取り上げたことがありますが、最近の社会では大きな決め事に対して「賛否が拮抗する」ということが増えています。例えばイギリスのEU離脱。いわゆる「ブレグジット」です。また4年前のアメリカ大統領選挙もそうでした。
これらを数字で見てみるとよくわかるのですが、ブレグジットは離脱賛成52%対、反対48%。また前回のアメリカ大統領選挙では、現大統領のトランプ氏は得票率46%。対するクリントン氏は48%となっています。このアメリカ大統領選の数字はちょっと変な感じなのですが、得票数の多い方が負けています。これはアメリカの選挙システムに原因があるのですが、それは省きます。
いずれにしても圧倒的賛成、圧倒的勝利ではありません。そして、この「僅差」での決定の後に何が起こったかというと、皆様もすでにご存じのように「大混乱」が生じています。
ブレグジットの国民投票が行われたのは2016年のことです。そして今年2020年、やっとEU離脱は行われましたが、その間イギリス国内は大混乱し、離脱をした今もEUとの間では収集がつかない状態が続いています。アメリカはどうでしょうか。トランプ大統領就任以来4年。アメリカ国内の景気は金融関係者も首をひねるくらい「不思議」な景気が続いていますが、世界に与えた悪影響は計り知れず、中東問題などはこじれに拗れていますし、米中貿易戦争の影響は当事者のみならず、各国に波及しています。
これらを見るだけでも「意見の収斂が出来なかった事例は混乱を招く」ということがよくわかると思います。
ここに年末の予測でも申し上げた「従来の社会システム破綻」が見られます。民主主義に従えば「一票でも多くとった方が勝ち」「過半数の賛同を得れば、それで決定」。これが原則です。しかしながら、これで済まないのが人間社会でしょう。
民主主義の原則である「過半数」を得たならば「それに従わなくてはならない」のも原則かも知れません。しかし「僅差」であればあるほど「ほぼ同数」なのですから意見の通らなかった人々から不満が出るのは当然です。
日本語には「おおかた」という言葉があります。
ご存知のように、これは「ほとんど」とか「大体」という意味で使われますが、ものごとは「おおかた」の理解がないとスムーズには進みません。これは、人の「想いのエネルギー」が大きく関係しています。それは「やる気」「乗り気」などに表れ、ものごとの実行に影響してしまいます。そんな「想いのエネルギー」は、いろいろな「流れ」や「チャンス」を変えるパワーもあり、良いことも、そうでないことも、引き付けてしまう可能性があるのです。
それが典型的に表れてしまっているのが、今回開催される東京オリ・パラ大会ではないでしょうか。
今回の東京大会の招致運動が始まった当初、東京大会への関心は47%。対してイスタンブールは73%でマドリードは78%となっていました。過半数以上の都民は大会招致に関心を示していなかったようです。最終的に招致委員会の調査によると東京都民の関心度は67%になったようですが、この時点でイスタンブールは73%、マドリードは80%。比べてみると圧倒的に関心度は低かったのです。
そのような「想い」の上で開催が決まった東京大会ですが、その後のゴタゴタは皆様もよくご承知の通りです。
最初の躓きは大会の象徴でもある「ロゴ」にクレームが付き、デザイナーが降板し、すでに発表され多くの場所に張り出されたロゴが撤回されました。そしてこれまた象徴とも言うべきメインスタジアムでもトラブルが起きます。正式に採用された建築デザインがその見積において実現不可となり、設計者ごと変更となりました。しかしながらスタジアムは遅れることなく建設され、無事竣工! この辺のところは日本の「底力」と言えるでしょうか。
トラブルはまだまだ続きます。
開催のカウントダウンに入った昨年末になって急遽大会の花形「マラソン」の開催地変更です。こうなってくると「東京大会」というよりも「日本大会」のような印象を受ける方もいらっしゃるでしょう。それはそれで良いのでしょうが、開催を熱望した、イスタンブールやマドリードに申し訳ないような気分にもなるのは私だけでしょうか。
そして2020年が明けると、突然のウィルス感染による混乱。
大会出場への選考大会があちこちで変更や延期となってしまいました。ウィルス問題は自然現象なので別としても、オリ・パラは素人が運営しているわけではなく、あらゆる分野のプロ集団が集まって運営しているはずなのですが、こんな状況なのです。
今では東京大会の無事開催を祈るばかりです。
オリ・パラに苦言を呈したいのではありません。
これはほんの一例としての話題です。ブレグジットやアメリカ大統領選を見ても「僅差」「意見の不統一」は同じようなトラブルを抱えます。
このようなことで実感する「ものごとをすすめるときに大切なこと」は、やはり「想いを込めないと悪い影響を引き込む可能性が高くなる」ということ。そして何かを実行するときには「おおかたの理解を得ること」です。特に大勢を巻き込む政治やイベントなどではこれは必須で、「僅差」になった場合には「もっともっと説明と議論が必要であり、簡単に決めてはならない」ということだと思います。
これはイベントだけではなく、個人の行動にも言えます。
つまり、「想いのパワー」が行動に大きく影響するということ。
自分の行動に「想いを込め」「深く考える」ことによって人のパワーは増大し、オーラが輝き、そこには必然的に理解者や協力者が集まってくることでしょう。そして勘が働くようになり、リスクの波が見えてくる可能性が高くなります。人生を輝かせるためにはやはり「想いのパワー」を大切にすることです。(2020年3月)
今年のお正月は、皆様どのようにお過ごしになられたでしょうか。すでにすっかり新年気分も抜け、お忙しい毎日のことと思います。
きっと多くの皆様が、穏やかで静かな一年の始まりをお迎えになったことでしょう。しかしながら社会に目を向けると、必ずしも平穏とはいかないようです。
今年2020年の予測講演でお話しした流れが早くも表れてしまいました。
今年の大きな特徴として、世界のバイオリズムが、まさに「戦争を表している」とお話ししました。現実的に世界大戦にもつれ込む可能性は低いと思われますが、争いの種は政治、経済、民族、宗教などに広がる可能性がある流れです。
また自然災害においても、「今年も引き続き、水、そして火の災害が心配。そして、その中には噴火も含まれている……」ということもお伝えしています。また、「未知のウィルスなどが表れてくる」というのもありました。そして「既存の社会システムが古くなり、人々の感覚と合わなくなることによって大きな混乱が生じている」ということは、すでにこのコラムでもお話しさせていただいたことです。
その他いろいろと予測をさせていただきましたが、この中のほとんどがすでに表面化してしまいました。
新年早々、アメリカがイランの軍人を暗殺し、イランはすぐさまその報復攻撃を行いました。2020年はミサイルの応酬で始まっています。現在は一旦、小康状態にあるものの、イランは民間旅客機撃墜というミスまで犯してしまったのです。発端は何であれ、大きな犠牲を払ってしまいました。
そして今、日本でも発症例が出てしまった「新型コロナ・ウィルス」問題。大袈裟に騒ぐのも問題ですが、感染経路・ワクチンなど、詳細が未知なウィルスが出現しています。
自然災害という意味では、若干「災害ベルトライン」からはずれていましたが、フィリピンにおいて早くも火山噴火が起こっています。多くのことが、すでに予測通りの傾向になって来ています。幸い、まだ「米中貿易戦争」などの経済状況は、小康状態を保っていますが、ぎりぎりの「綱渡り」というところでしょうか。
また日本においては「保釈中の容疑者が国外逃亡する」という前代未聞の事件も起きています。日本の司法制度の是非は後の議論になるにしても、「大きな失態」であることは否めない事実です。
これも「今までのシステムが通用しなくなっている」表れといってよいでしょう。
予測が当たっているかどうかという話はさておいて、これら多くの問題が発生する根本を考えてみる必要があると思います。
戦争が起きる根底には何があるのでしょうか。何故、民間機が撃墜されなくてはならなかったのでしょうか。何故、ウィルスは拡散してしまうのでしょうか……。
そこにはすべて共通した「原因」があります。
それは「人の意思」です。
人と人とが憎みあうのも、また手を取り合うのも、社会の人間関係を動かすものは「人の意思」です。
何故、民間旅客機が撃墜されなければならなかったのか……。
そこには人の「疑心暗鬼」があります。恐怖心が強いと、風にたなびく柳の木まで幽霊に見える……そんな例えもあるように、疑心暗鬼の中では、すべてが敵に見え、強迫観念によって十分な確認もせずに撃墜してしまうという狂気がまかり通ってしまうのです。
ウィルスのパンデミックは何故起こるのでしょうか。
ウィルスの発生そのものは自然災害に近いものでしょうけれど、人間の「大したことはないだろう」という気のゆるみ、意識が問題です。「大したことはない」と考え、自宅で一人でいるならば、それは自分自身の問題なのですが、その緊張感のなさゆえに、予防措置も取らず公共の場に出たり、仕事に行ったりしてしまいます。その「気のゆるみ」が流行=パンデミックを増長させてしまいます。これも「人の意識」によってある程度は防げる「人災」です。
火山噴火や台風、水害などまで「人の意識の産物」とは言いませんが、防災のかなりの部分は、このことによって抑え込むことは可能でしょう。
このように世界で起こる現象の、そのほとんどは「人の意識」によって引き起こされます。またそれは反面、不幸を防ぐパワーにもなるのです。
そう考えると、意思のパワーがどれほど強いものであり、大切なものか、わかると思います。
人はよく、「オーラが輝いている人」という表現を使うことがあります。
オーラは生命のパワーの輝きのことです。人間の場合でも、前向きで、目標がはっきりし、力強く生きている人は「オーラが輝いて」見えるのです。一気にすべての考え方や行動を変えることはなかなか難しいでしょうけれど、もしあなたが「オーラを輝かせたい」と考えるなら、自分の出来るところから少しずつ変えてゆけば良いでしょう。
どのように生きてゆけばよいかわからない……、目標が定まらない……、やることが見つからない……、自分の才能がわからない……等々、人が踏み出せない理由は無限にあることでしょう。そして前向きになれず、悩み続け、オーラは曇って行きます。でも大丈夫! たった一つの点に注意すれば、人は前に進めるはずなのです。
それは「すべての事柄は一気に解決はしない」という真理を踏まえること。
悩みというものは「理想の自分」と「現在の自分」とのギャップで生じます。このギャップを「一気に」解決することは、まず無理です。ですから大事なことは、まずは出来る範囲内で「一歩だけ」進むことです。ほんの少し、改善することです。
ほんのちょっとでも前に進めれば、その意識のパワーによってオーラが輝き始めます。そうするとその輝きが、またあなたに力を呼び込みます。それがスパイラルになり、指数関数的にパワーが上がって行くことでしょう。人の意識は、そんな力を持っているのです。
今年を象徴するキーワードは「分断と縮小」となっています。こんな社会にならないように、私たちひとり一人がより良い社会を考え、意識=意思の力によって、社会のオーラを変えて行ければ……と考えています。(2020年2月)
皆様には心より新年のお慶びを申し上げます。
昨年は皆様のご協力により様々なイベントも盛会で終了することが出来ました。何よりもご協力いただきました関係者、ご参加いただきました皆様に感謝申し上げます。
皆様に支えられてきた未来創学アカデミーは新年度で創立30周年を迎えることとなります。これからもますます皆様のお役に立てる情報を発信してまいりますので、更なるご理解とご協力をいただければ幸いです。
さて、昨年のキーワードは「破壊」でした。
本来の意味での「破壊」と、「創造的な破壊」という意味も含め、混乱が伴う時代の幕開けとなったような一年でした。さまざまな問題点が浮かび上がり、社会の混乱を招いています。人間の引き起こす問題、災害など人智の及ばぬ問題などが多方面で表面化して来ました。
これらの問題点を少し掘り下げて見てゆくと、いくつかの共通点が見えて来ます。
人間の引き起こす社会問題としては、行き過ぎた「自国ファースト」や「保護主義」「大衆迎合政治」などがあります。世界的な混乱を生んでいるトランプ大統領のみならず、というかそれを見習ってか自国主義を標榜する国が増えています。
「自国を大切にする」という考え方に異論はないと思いますが、反面、この考え方には「自国だけが良ければいい」ということになりかねない側面もあります。
これは個人にも言えることで、「まずは自分の生活が大切」なのは当然なのですが、周りを顧みず、「自分だけが良ければ……」という考え方は、ほとんどの人は支持しないでしょう。しかしながら現在の「自国主義」は、残念ながら後者となっています。
先日、COP25(国連気候変動枠組み条約締結国会議)がマドリードで開催されましたが、期待通りの合意には至りませんでした。気候変動は全人類的問題なのですが、残念ながら経済問題優先の国が目立ってしまいました。
また、一時期大変話題になったTPPなどはすでに忘れ去られた感があり、貿易はどれだけ自国に有利になるかの競争のようです。
国際的な組織の機能不全も目立っています。
例えばWTO(世界貿易機関)。すでにアメリカの横やりで上級審理が出来ない状態に陥り、完全に世界貿易の仲裁機能は失われています。NATO(北大西洋条約機構)は、激変する世界の枠組みに対応できず、マクロン仏大統領が「脳死」というまでの状態に陥っています。
世界の国々やさまざまな組織が分断を始め、システム不良になっているのです。これが世界の現状で、そこに地球的な気候変動、災害が多発して、今度は作物や風土にも大きな影響を与え始めています。今年2020年もこの傾向は続いていくと予測しています。
分断は各地でますます発生し、「表面的」にはさまざまな交渉も行われることになるでしょうが、「自らの都合」だけが前面に押し出される結果に終わる可能性が高いでしょう。これはアメリカ大統領と北朝鮮委員長会談のようなもので、「表面的に見れば歴史的出来事だが、実質としてはまったく内容がない」と言えばわかりやすいでしょうか。しかしながら、この「一件、意味がない」ように思われる出来事も、「ないよりはまし」と言えます。まだ「戦争」は回避されていますので。
以前にもセミナーでチャネリング情報の一環としてお話ししたことがありますが、人類が滅びる要因は、そのトップが「対処できない病原菌」などの病死。
そして次が惑星の寿命。
三番目が「戦争」などの自滅でした。
宇宙から降り注ぐさまざまな物質、惑星の寿命に関してはどうにも手段がありませんが、行き過ぎた宇宙開発による未知の病原菌持ち込み、気候変動による封じ込まれていた病原菌の復活などは人間の手によっても防御ができるものです。また、基本的に戦争で全人類が絶滅ということはあまりないようですが、これらの要因は複雑に絡み合い、多くの武器使用による自然破壊が地球のバランスを崩し、食糧難や新たな病原菌を発生させるなどの悪化サイクルはあるようです。何よりも「戦争」だけは防がなくてはなりませんが、どうも世界はかなりきな臭くなって来ています。幸いまだ世界戦争までは感じておりませんが、それに発展するかも知れないアンバランスさを感じています。
今の社会混乱は、デジタル技術によるあらゆる分野での激変があり、その変化に戦後培ってきた思考やシステムが追いつかず、目に見える貧富の差が拡大していることに主な原因があるようですので、まだ何とか出来る可能性は残っています。
それでは今年の希望はどこにあるかというと、今年もまだまだ続くであろう混乱も、「旧システムの終焉」が訪れているだけで、実は「新しいシステム」を考え出す良いチャンスになっているという部分です。これがさまざまな問題の共通点といえるでしょう。すでに「自由主義も社会主義も、共産主義も資本主義もどれも正しくないのかも知れない」と疑うことが大切です。
ここまで見て来てわかる、今後必要な要素は「協調性」です。この価値観が今ほど必要な時代はないでしょう。世界や経済の新しいシステムはこの基準で構築される必要があります。
「自分が大切なのは当たり前」。そして同じく「他の人とも協調する」新しいシステムを創る始まりの年が、今年2020年だと感じています。
皆様も年頭にあたり、是非、「新しい暮らし方」を考えてみていただきたいと思っています。(2020年1月)
今年も残すところ一か月となりました。皆様には本年も未来創学アカデミーの活動にご協力をいただき大変感謝しております。私たちの活動は来年、早くも30周年を迎えることとなりました。
未来創学アカデミーの名称にあるように、「未来を創る新しい人間学」を探求する場として始まり、人のスピリチュアルな部分と力を理解していただき、社会に積極的に生かせる智慧とするべく、さまざまなお話しや提言をさせていただきました。
私たちも今年は積極的に「新しい試み」をさせていただき、さまざまなコラボ・イベントなども開催させていただきました。多くの皆様にご参加、ご共感いただき重ねて感謝いたします。
さて、今年を表すキーワードは「破壊」でした。
まさにこの言葉に象徴されるような出来事も多々発生しています。中東でのシリアの混乱を筆頭に、イランとアメリカとの確執、米中貿易摩擦、日韓関係などは最たるものでしょう。そして今なお続く香港の混乱。ことは政治的な部分だけでなく、予測の通り、自然災害も世界各地で頻発してしまい、日本も例外ではありませんでした。また世界遺産を含む首里城まで消失してしまいました。
反面、この「破壊」という言葉が意味するものは悪い側面だけでなく、「創造的破壊」という言葉もあるように、既存のシステムを変える、または流れが変わって行くときに起こる現象でもあります。社会では環境に対する意識も高まりつつあり、若い世代からの提言も続いていますし、企業も垣根を超えた統合が起こったり、一見破壊的に見えるさまざまな動きも自然な流れに沿ったものである可能性もあります。
それはどういう意味か。
最近の社会の変革の中には、いち早く「自国ファースト」を掲げたトランプアメリカ大統領などが世界の基準を変えるような政策をとり非難されていますが、これは視点を変えると別の見え方もします。
「トランプ大統領が世界の混乱を生んだ」のではなく、「世界の混乱がトランプ大統領を生んだ」と考える方が自然なのではないでしょうか。
未だドタバタ劇が続くブレグジットも、イギリスがわがままであるという側面と、視点を変えると、「EUシステムの問題点」が見えてくる側面があります。
日韓関係にしても、当事国の問題だけでなく、韓国・北朝鮮の思惑違い、米国・北朝鮮の思惑、中国・アメリカの覇権などが複雑に絡み合っています。
これらから一つの結論が見えてきます。
それは、現在起きている社会混乱の原因は、「トランプ大統領、習近平国家主席、プーチン大統領、文大統領、金最高代表者、安倍首相などなどのそれぞれ個性的な政治家が出現してきたから起こっているのではない」ということです。
これは単なる個人の政策や考え方などではなく、社会の流れが大きく変わってきているからなのです。
もっとわかりやすく言えば、社会は「個人の意思の集合体」ですから、この混乱は我々一人一人が招いている社会現象と言えるのです。では、「これらの混乱は自分たちのせいなの?」ということですが、これもちょっとニュアンスが異なります。更にさらに簡単に言いますと「戦後、世界をリードしてきたシステムが制度疲労を起こしている」ということだと言えるでしょう。
今まで世界を大まかに分けてきた「自由主義」「共産主義」「社会主義」などが、現在の人間の感覚に合わなくなってきているのです。
自由主義は言論、経済には適しているのかも知れませんが、その結果、貧富の差は格段に広がり、混乱が起こっています。共産主義、社会主義においては政府、または元首のもと思想、経済は管理されていますが、中国などはどうみても資本主義と思われる政策を取り入れて、経済発展しています。
今まで自由主義の覇者として世界をリードしてきたアメリカですが、ここのところの中国の発展により、覇権が移りつつある実感を持っているのでしょう。そのため躍起になって「アメリカ・ファースト」を叫び、中国に対して貿易戦争ともいえる状態を作っています。これは経済力というものが如何に強い力をもっているかという証拠です。
それでは経済さえ発展すれば共産主義国家になっても良いのかというと、これに賛成の人は多くはないでしょう。
すなわち、現代に沸き起こる混乱は、「今までのシステムの問題点が噴出していること」によるものなのです。
これは困った反面、実に面白いことでもあるのです。
それは「今までのシステム」に捉われることなく、「新しいシステム」を誰もが考え、提案できるということです。
「そのような大それたことは政治家しかできなのでは?」と考えるのが一般的かも知れません。しかし、そんなことはありません。一般市民がトランプ大統領を生みました。一般市民が文大統領を生んだのです。多くの意思が習近平国家主席を望みました。ブレグジットを望みました。
現在は「困ったこと」なのかも知れませんが、視点を変えると「良い方向にも流れを変えることはできる」ということなのです。
宇宙のチャネリングでも、歴史的にこのような混乱は、現在かなり進んだ文化・文明を持っている人類にもあったようです。まずデジタル文化に近いものが社会を席捲します。そして仕事や生活の概念を変えていき、次に食糧問題が解決されていきます。そして「食べることに苦労がなくなる」と更に仕事や生活が変わっていきます。
これに伴い貨幣に対する概念が変わり、経済偏重が減って来ます。そして最後には「国家意識」が薄れ、惑星国家になっていきます。
進化した惑星には、共通してこのような進化の過程があるようです。
まさに今、地球が直面しているデジタル技術の進歩は宇宙における「必然」といえるのでしょう。そして、その技術進化が古い社会システムに疑問を抱かせるようになりました。
次に来るのは「食料革命」だと考えています。そして、それこそが最先端産業でもあると思います。
まだまだ当面、世界や社会の混乱は続くでしょう。しかし、これは「新しい世界」を皆さんが生み出し得るチャンスでもあると考えています。もうすぐ新しい年となりますが、来年が世界の進化への第一歩になるならば、わくわくしませんか。
(2019年12月)
台風19号により被災したすべての皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
2号連続となるお見舞いに本当に心が痛みます。
報道機関の多くは「何十年に一度、百年に一度……」という表現で毎日避難を呼び掛けていましたが、これらはすでに「毎年起こる事態」として受け止める必要があるでしょう。
未来創学アカデミーを始めた30年前の1990年ころから気候変動は顕著になり、「異常気象」という言葉がメディアを騒がせました。しかしながら、その後の世界の動きは、気候変動に関する京都議定書に対する中国、アメリカの不参加、2008年の金融危機からの自国第一主義への回帰と続き、かろうじて2015年のパリ協定にはアメリカも中国も参加はしましたが、これがオバマ前アメリカ大統領のレガシーということもあり、トランプ大統領は積極的ではありません。
アメリカ、中国だけでなく日本も到底、二酸化炭素削減目標値には届かないという観測になっています。経済先進国第一位から第三位までの国がこのような対応ですから、国連気候行動サミットにおいて、16歳の少女が怒りの声を発したのも当然で、私たち大人は真摯に耳を傾け、反省し、すぐにでも行動を起こす必要があるでしょう。
あなたは、この便利な文明社会の機器を一部でも手放すことが出来るでしょうか。ほぼすべてがコンピューター化された社会に電気は不可欠です。
その電気を作るために原発が必要でしょうか。化石燃料を燃やし続けますか。何も不便に向かうだけが解決ではないでしょう。産業界にも希望を持っています。人間の英知によりさまざまな工夫が積み重ねられてきました。不便に耐えるだけでなく、安全に電気が作れる方法があることでしょう。化石燃料を燃やさずに動く動力があるかも知れません。いや、もしかすると電力に代わるエネルギーが発見される可能性もあります。
一人ひとりが、自分ができることを考えることが解決の第一歩なのだと思います。
私は今までも長い間「未来予測」を行って来ました。大筋の流れではかなりの精度だと思っていますし、そのようなご評価もいただき、この予測を行う講演会は1994年から25年間、欠かすことなく続けられています。
しかしながら、やはり未来を予測することは本当に難しいと思います。
私も毎年、今ごろの季節から来年のバイオリズムを測り始め、予測をはじめます。その経過の中で常に悔やむのが、何かが起こる気配を感じた時、「何月何日何時何分にどこで何が起こるか」を確実にお伝え出来ていないことです。
今回の台風の前に多くの方々からお問合せをいただきました。
その多くは、単なる好奇心ではなく、「実家に帰りたいが大丈夫か?」「田舎に親戚がいるが、避難を呼びかけた方が良いか?」「出張でどうしても出かけなくてはならないが、安全性は?」等々、具体的な質問があるのです。
一人ひとりのポイントが絞られると、具体的なリーディングを行い、出来る限り焦点を絞ってお答えすることにしています。幸いお答えした方々は全員安全だったことを確認しています。
その中で最も答えにくいのが「今回の台風はどうですか?」というご質問です。抽象的になると「あれだけの規模ですから被害は出るでしょう」という回答になってしまいます。
このように未来予測というのはとても複雑で難しいものです。気象庁なども気持ちは同じでしょう。衛星などを使い、風の流れ雲の動きを観測し、警報を発することになるのでしょうが、一人ひとり、一軒一軒の情報までは出せるはずもありません。
「未来予測」も同じで、予測講演会で行う予測では、かなり大まかなデータしか示せないことになってしまいます。
例えば、「何月頃に日本に地震が来る可能性が高い」「この頃に水害が多発する可能性がある」「経済的にどこどこの国が落ち込んでゆく」「人々の動きがこれこれのように変化してゆく可能性が高い」……など。
もっと具体的に予測がなされればよいのですが、やはりこれは困難を極めます。これが個人的な予測と全体的な予測の違いになっています。
よく、「予測を行うときにどのようにやるのですか?」というご質問をいただきます。
多くは三つの要素のリーディングです。
一つは、社会的予測を行うための「人々のオーラ・リーディング」です。これは、人にはそれぞれ「想い」がありますが、それらの想いが集まって社会が動くことが多いからです。
簡単に言えば「世論調査」のようなものの「オーラ版」です。
皆さんの想いが、同じような方向に流れれば、社会はそのように動くことが多いでしょう。ある意味、至極当然な理屈なのです。
しかし、最近はこれも非常に難しくなっています。皆さんもお気づきのように、世界の政治や考え方が「二分」され「拮抗」することが増えてきているからです。
地球の人々が「基準を失い、迷い始めている」からだと考えています。
だからこそ、前半にもお話ししたような、「気候変動への向き合い方」なども真剣に考える必要があるのです。
二つ目の要素が自然災害などを予測する「地球自身のエネルギー波動リーディング」です。これもなかなか難問です。それは変化が著しいからで、土地のエネルギーが強く歪んでいる場所などをリーディングして地震などの予測を行うのですが、ちょっとした地球のバランスによっても位置がずれてしまうことがあります。
地震だけでなく、風水害も人間の活動が変化することでも微妙に変わってしまうことがあるので厄介です。
三つ目の要素が「宇宙的チャネリング」です。これは一般的には想像がしにくいものだと思いますが、チャネリングによって地球より進化する惑星の情報を集め、地球の行き先を予測します。
未来予測の概要は、このような要素によって行います。その精度を上げることが生涯尽きない課題だと考えています。
例え、不完全な天気予報であったとしても、何もないよりは危機管理となるはずです。そんな想いで情報を発信しています。
人には危機を察知するアンテナがあります。
これは皆さんにも備わっている能力です。是非それを磨いていただき、未来予測が有効な情報になればと考えています。(2019年11月)
まず冒頭に、9月の台風15号において被災されました皆様に心からお見舞いを申し上げます。
8月に開催された経営者懇談会におきましても9月の災害予測をさせていただきましたが、このような形で現実化してしまったことを大変残念に思います。一日も早い復旧を願っております。
ここのところ、日本は毎年のように災害に見舞われています。
これは日本に限ったことではないようで、カリフォルニアの山火事は毎年のように発生し、今年はアマゾンの火事も政治を巻き込んだ大問題となったことは記憶に新しいことと思います。
またここのところヨーロッパの夏は強烈な熱波。今年のパリでは何と7月25日に、観測史上最高となる気温42・6度を記録したようです。
反対に冬になると世界各国を寒波が襲い、日本でも記録に残る大雪で多大な被害が頻発しています。
「異常気象」と言われてから久しいのですが、すでにこの気象は常態化しています。
人が「異常」と感じるほどの変化があるということは、すでに大変な事態になっていると認識する必要があるでしょう。
こんな自然現象ひとつをとっても過去の「常識」が通用しなくなっていることがわかります。
経済の世界を見ても「常識」が通じなくなっている場面に出くわします。
本来、「人はコツコツと仕事を積み上げてゆくことが大切」だと思っていますが、現代の経済社会を見るとこんな常識では覆されてしまいます。
ある調査によると、世界のインターネット企業の売上高シェアが上位5社で73%を占めているとのこと。もの造りの代表格、自動車産業を見ると上位5社で47%(註)。
そして世界の時価総額上位企業10社のうち7社がIT企業ですので、つまりはIT企業数社が現在の利益をたたき出し、そして世界の利益を握っているということになります。これは想像を絶する産業構造の変化です。
社会構造をみても日本は急激な高齢化に見舞われ、世界経済を左右するほどの力を持ってきた中国も、しばらくの後には日本以上の高齢化を迎えると言われています。
このように、自然現象、経済・社会構造が「過去の常識」を超える事態に直面し始めたのが現代社会です。
こんな状況の中でも人間はまだ「想定外」という言葉を使うのでしょうか。
極論すれば、これから起こることは「すべて想定外」の事態と言えるようになることでしょう。特に日本などは、2011年に地震による津波からの原発事故という「想定外」を経験し、その後の災害だけを見ても噴火、大雨による洪水などに直面しています。
私たちは災害に限らず、今後ますますこのような大きな変化を経験することになるでしょう。
それでは私たち人間はどのように対処したらよいのでしょうか。
それは「発想の転換」です。
転換とは言っても、「過去の経験だけに基づいて違う視点から発想する」というものではなく、これからの「発想の転換」は「新しい価値観を創造する」ということなのだと思います。
航空機などの発明により距離的に見れば地球が狭くなったように感じます。
地球の裏側の人々とも少なくとも24時間かければ直接会うことも出来ます。ですから宇宙にも目を向けるようになり、惑星探査や移住なども考えるようになります。
しかし反面、進化した惑星からのチャネリングでは別の観点で非常に興味深いものがあります。
進化している人類ですから、すでに宇宙に進出し、自在に飛び回っているかと思いきや、そこの人々は比較的狭いコロニーに居住し、あまり多くの移動をせずに生活をしているとのこと。
その理由を尋ねてみると、過去、宇宙進出を試みた世代もあったようですが、環境適応や未知の病原体など多くの難問が立ちはだかり、また生命の研究が進むと人間のコミュニケーションはテレパシックな進化を遂げ、それを以って他の地域、惑星と交流することが出来るようになり身体的無理をする必要がなくなったということのようです。
高速度での移動による負担や環境変化に対応する必要もなくなり、本来の生活を「考える」ことができるようになったようです。
こんな劇的な「発想の転換」はまだ私たち地球では無理かも知れませんが、「ちょっと常識から外れた発想」は必要でしょう。
今回の台風災害によって千葉県のほぼ全域が断線し、大規模な停電が発生しました。
毎日のように報道され普及が待たれますが、これを目の当たりにし、電線の地中化が提案されることも多いようです。皆さんはどんなアイデアが思い浮かぶでしょうか。「道路と歩道の間に防護壁を兼ねて(土手)みたいな配管をしたら!?」「オフィスのOA床のように道路をかさ上げしてすぐ開けられる蓋の中に入れたら」……などなど。
「今話題の自動運転も、いっそのことエアカーにした方が何をしでかすかわからない人間と一緒に走るよりいいんじゃない?」
「すでに日本の社会インフラは老朽化しているから、スマートシティーの方が暮らしやすいかも」
「高齢者の運転事故が増えているから法律的に免許は年齢制限をすべき。そうすれば過疎地などの交通問題は政府責任でやるしかないよね!」などなど。
こんな「素人考え」の中に新しい発想が埋まっています。
いろいろな問題も否定的な意見も出ることでしょうが、新しい発想に問題はつきものです。
「ダメな理由」を探すより、「前向きに考えること」がこれからの地球には必要です。
人生も同じ。過去を越え、未来を創りましょう。(2019年10月)
社会では常にいろいろな問題が起こります。
友達や家族という、ごく親しい間柄でも人間関係の問題は起こり、会社という特殊な社会では横の関係、上下関係などが複雑に絡み、そこに出世、妬み嫉み、好き嫌いなどの感情なども入り交じり、常に難しい人間関係が生じます。
これが国同士の関係になってくると、感情論の他に、民族性や習慣の違いも絡んだ上に利害関係も大きく影響し、はたまた政治家の利権、プライドも入ってくると対立も激化します。それが双方「国民のため」という大義名分が表看板になると、もう一歩も後へは引けなくなり、時によっては「国民のため」といいながら、戦争などにも発展してしまうから困ったものです。
地球上では、ただでさえ人間の感情や生活には関係なく災害などが勃発してしまい被害を被ることが多いのですが、そこに更に人間関係による争いがあり、せめて人間同士うまくやれないものか……と思います。
このように自分が冷静で、人間関係などの紛争に巻き込まれていないときには誰しもが「紛争は嫌だ!」と感じるのに、いざ利害関係に巻き込まれると「あいつは何と嫌な奴なのだろう」などと「敵を作り始める」のが人というものの「性」なのでしょう。やっかいなものです。
これは何も大人だけの話しではなく、否、むしろまだ感情が制御出来にくい子どもたちの社会でも多く起こることなのです。
「自殺総合対策推進センター」によると、夏休み明けの9月1日(8月下旬から)に、子どもの自殺が増えるという報告があり、そんなニュースがこの時期に流され、暗い気持ちになってきます。
今、「こども六法」という本が話題なのだそうです。
本の紹介を見ると、「法律は自分を守る武器になる。いじめ・虐待をなくすために……いじめや虐待は犯罪です。人を殴ったり蹴ったり、お金や持ち物を奪ったり、SNSにひどい悪口を書き込んだりすれば、大人であれば警察に捕まって罰を受けます。それは法律という社会のルールによって決められていることです。けれど、子どもは法律を知りません。誰か大人が気づいて助けてくれるまで、たった一人で犯罪被害に苦しんでいます。もし法律という強い味方がいることを知っていたら、もっと多くの子どもが勇気を出して助けを求めることができ、救われるかもしれません」(Bookデータベースより)とあります。
この本がベストセラーになっているようです。
もとより法律というものは、社会生活を送る上で、最低限守らなくてはならない「規則」のはずです。ですが、これがなかなか難しい。
例えば、道路交通法です。道路にはそれぞれ速度制限が決められています。制限速度40㎞とされていれば、そこは40㎞を超えての自動車走行は違反です。
しかし現実にはそれがどこまで守られているでしょうか。
人間はその規則の内容を理解し、納得すると規則を守る傾向があります。
つまり、その速度制限値が妥当だと「ほとんどの人が認識」すれば、かなりの率でそれは守られます。しかし、ほとんどの人が「それは妥当ではない」と考えるのであれば「改善」をする必要があります。
法律や規則にはそれが作り出された「理由」がとても大事だと言えるのです。
子どもに限らず、大人の世界でも経済世界でも多くの人が「これは法律に違反するのでやめましょう」ということで、それが違反行動の歯止めになることでしょう。大切なことです。
もう一つ、是非とも知っていただきたいことがあります。
それは、すべての事柄の「基本は何かを考える」ということです。
難しいことではありません。こんな話があります。
ある親子がバスに乗っていました。子どもがはしゃいで、窓から顔を出しています。その時、母親が子どもに注意します。「窓から顔を出してはいけません。運転手さんに怒られますよ!」と。するとバスの運転手さんが答えます。「私は怒りません」……。今となっては冗談なのか都市伝説なのかわかりませんが、なかなか真理をついている話しでしょう。
窓から顔を出してはいけないのは「運転手に怒られる」からではなく、「危ないから」です。
また別の話として、「悪いことはしてはいけない。誰が見ていなくても神様が見ているから」という言葉もよく聞くものです。
比喩表現としては大切なお話しですが、真理としては、ずれています。何故なら、「だったら神様が見ていなければ悪いことをしてもいいのね!?」となってしまいます。
本質としては「誰が見ていようといまいとダメなものはダメ!」というのが正解です。方便の使い方も一つ間違えると困ったことになります。
先の本では、端的に言えば、「イジメは犯罪です。だからやってはいけません」と説いています。
法律順守や何が犯罪なのか、を知ることはとても大切なことです。ですが、「イジメは法律違反だからやめる」のではなく、「他の人の自由や権利を一方的に奪う」からやってはいけないのだという「基本」を知ることも一方で大切です。
チャネリングを通じて、さまざまな惑星の、さまざまな価値観を聞くにつれ、「人間の心の進化に必要なことは、根本(基本がどこにあるのか、基本は何か)を考える姿勢」なのだと教えられます。
一つだけ例をあげてみましょう。
「自殺は何故いけないのか?」という質問です。皆さんはどのように考えるでしょうか。いろいろな意見があると思います。これはかなり根源的な問いかけだと思います。
進化した価値観のチャネリングでは二つの理由によって自殺は「不自然」と考えられています。
一つは、「生命は放っておいても滅びる=必ず死ぬので、自らそれを行うのは不自然極まりない行為=だから、やらない」という考え方。
もう一つは「進化した人間はエネルギー体なので、消し去る肉体がない=自殺出来ない」ということです。
なかなか地球人には理解することが難しい思考パターンですが、こんな考え方があることを知ると明らかに価値観が変わります。
このように「基本」を踏まえた考え方をすることによって、今までは思いもつかなかったような解決策やアイデアが生まれてくるのが人間です。
ですから物事は「基本」を考えましょう。(2019年9月)
日本の言葉に「継続は力なり」というものがあります。
まさに今、この言葉を実感させていただいているところです。
1992年より発行を重ねてきましたこの学報も今号で300号となりました。これもひとえに皆様のご愛読と多大なるご協力の賜物であり、心から感謝を申し上げます。
未来創学アカデミーも来年2020年で創立30周年という節目を迎えます。
アカデミーの適正な運営をいただいております理事会は140回となり、初期のころより開催しております経営者向けセミナー「経営者懇談会」は次回、152回目を数えることになりました。
この間、避けられぬ台風の一回を除き、一度も休むことなく開催を続けさせていただきました。これも会員の皆様の熱心な探求心とご協力の賜物です。これらを想うと胸に熱いものがこみ上げてまいりますし、これからも更に皆様のお役に立つ情報を発信しなくてはならないと気持ちを新たにしているところです。
学報300号記念号の冒頭にて御礼とともに、今後とも未来創学アカデミーに変わらぬご協力とご声援をお願い申し上げます。
21世紀に入った2001年は9.11という、大国アメリカがテロに合う、世界が震撼する出来事で始まり、争いの世紀のスタートとなりました。
20世紀に、二度にわたる世界戦争を経験したにもかかわらず、「テロ」という新しい紛争が台頭しています。
2008年には、行き過ぎた金融行為が破綻した「リーマン・ショック」があり、世界中が不況の時期を迎えました。その後、これも行き過ぎたグローバル化の反動と思われる「自国主義」が台頭し、「民族の分断」という社会現象が顕著になってきています。
世界はどこに向かうのでしょうか。人間という生物は時代が変わってもあまり進歩していないようです。
そんな中で、精神的な部分は別として、文明はガラリと変化しています。
デジタル技術の発達によって社会環境は大きく変わりました。何よりも大きく変化したのは通信環境でしょう。
1970年代には固定電話が主流で、待ち合わせなどには綿密な打ち合わせが必要でした。現在では考えられません。またメディア環境も大きく変わり、今では個人がユーチューブやSNSなどにより大手メディアなみの影響力をもつことも可能になりました。そして鉄板の就職先と言われていたメガバンクはここ数年で存亡の危機に直面し、通貨をコントロールする各国の中央銀行でさえ、仮想通貨や今後発行されるであろう「リブラ」などの新電子貨幣の登場で立場の危うさが懸念されるという状況です。
自動車はまさに「自動」車になろうとしていますし、あらゆる社会インフラがコンピューターで制御される時代となりました。
社会は「電力」と「コンピューター」なしでは成り立たなくなっています。
「労働環境」も大きく変化したものの一つでしょう。
IT技術を扱える人たちに富が集中し、それ以外の人たちは、極端に言えば、仕事さえなくなってしまうかも知れない社会になっています。社会はさらに混沌としてきました。
このような社会の中で大切になってくるのは「考え方」ではないかと思います。
人は生きてきた時代により、その考え方は変化します。
「同じ人間」であったとしても時代環境や社会環境で、ものの考え方はまったく変わってしまいます。
「意思疎通」の在り方などは典型的です。もちろん内容にもよりますが、ある世代は、意思疎通は「顔を合わせて行わなくては通じない」と考えますが、現代では「電話さえ迷惑」……という考え方もあります。
このように世代によって意思疎通のツールはどんどん変わって行きます。
昭和30年代、自動車は高根の花。今ではいらないもの……。
経営者はスーツが当たり前だったのが、今ではTシャツ、ジーパンが最先端。
女性ファッションもハイヒールが美の先端だったものが、現在では#KuToo運動……です。
このような背景の中で社会は混乱しています。
日本においても最近とみに発生件数が増えているように思える「親族殺人、虐待」。そして障がい者、小さな児童を標的にしたり、最近起きた京アニ放火などの「無差別殺人」。
このような歪みはどこから来るのでしょうか。
それは現代社会に適応できない人々を許容するゆとりのなさが原因の一つと言えるでしょう。
人間は、あまりに速い変化にはなかなか対応ができません。反面、既存の権益を持っている一部の人間は当然ながら変化を好みません。
このように殺伐とした社会で、万が一、電力が突然断たれる事態などが起こったらどんな混乱が生じるのでしょうか(9月の代風15号により、千葉県において現実化してしまいました)。想像を絶します。
そんな変化の速い社会の中で、今、必要なものは個々の「人間力」なのです。
「人間力」は「創造力」でもあります。
私は、多くのチャネリングにより学んだことがあります。
その第一が、「変えるべきは変える」「守るべきは守る」という大原則を実現するということ。
社会環境の変化によって変わって行く部分は積極的に変えてゆく。反面、人間として変えてはいけない部分を認識する。
こんな簡単な原則です。
個人においても過去の体験と価値観だけに頼って行く生き方は、ときに自分の進化を大きく妨げます。
文明が大きく変化している今だからこそ、「人の在り方」を考え、「新しい価値観」を考えること、そして新しい社会の在り方を考えることが大切なのだと思うのです。(2019年8月)
さて、今あなたは幸せですか?
初っ端から変な質問ですみません。「幸せだな~」とお感じになっている方は、どうぞそのままでお過ごしください(笑)。
少なからずの方が、「人生はいろいろあって大変だ~」とお思いのことでしょう。
確かに人生にはいろいろな出来事があって一筋縄では行きません。ですから、「苦労の山は低くして、つらい谷は出来るだけ浅く」したいものです。自分の人生であっても他人から影響されることも多いですし、自分の自由にならないことも多いと感じることでしょう。
でも、人生を形作っているのは、実は自分の「判断」であることがほとんどなのです。もちろん生まれる環境などは自分では決められませんし、時代環境によっても人生は変化してしまいます。ですから「運」という要素も大変大切であることも確かです。しかし反面、自分の人生は同時に「二つの道」を歩むことはできませんし、「自分の二つの人生」を比べることもできません。ですから、自分のたった一つの人生を自分が「幸せ!」と感じられれば良いわけで、それはどのような環境の中でも同じ条件といえます。
しかし、人生で厄介なのは、物質的なもの、目に見えるものは比較ができ、「あっちは幸せ、こっちは不幸」という感覚に陥ることがあるということでしょう。この「人の考え方」の難しさが今回のテーマである「価値観」の根底にあります。
昔のTVドラマに「トワイライト・ゾーン」という番組がありました。
その中の一話で「金塊」を取り上げた物語が興味深いものでした。泥棒が金塊を盗み、捕まることを避けるため、冷凍睡眠をし、遠い未来に目を覚まし、その時代で大金持ちになろうと企て実行しました。そして目覚めた未来でいざ金塊をおカネに変えようとすると誰も相手にしてくれません。何故なら、その時代には既に金を人工的につくる技術があり、「金」はまったく価値のない普通の物質になっていたからです。
なかなか深いテーマです。
基本的に「価値観」は考え方で変化します。この辺のところは皆様もよくおわかりのことだと思いますが、そうは思っていても社会の習慣や歴史の中で価値観が「不変なもの」と錯覚していることが多いのも確かです。「価値があると思い込んでいる」「価値の意味を取り違えている」と言い換えることも出来るでしょう。
例えば「権威」「地位」などがそうかも知れません。
本来ならば、その権威や地位にいる人の「行ったこと」「行うこと」に意味と価値があるのであって、権威や地位そのものには何の価値もないということを頭ではわかっていても、錯覚してしまうことがあります。「あの人は○○の地位にいるから偉い!」「〇〇の権威だから偉い!」……。
たしかに業績があるからその地位に上ったのかも知れません。
半面、それ以外の力を使ってその地位を手に入れる人もいます。何故そのようなことをするのでしょう。それはつまり、多くの人がそれらの「権威」や「地位」の価値をありがたがり、もてはやすことによって「権威や地位」そのものに価値があるように見えてくるからでしょう。
例えば「おカネ」。
現代社会でおカネは大切なものですが、本質は「おカネ」そのものに価値があるのではなく、その「交換価値」、「使い方」に価値があるものです。
価値観というのは「常に変化するもの」であり、
「価値観の基準は自分自身で決めるもの」という本質を再度思い出してみようということなのです。
多くの社会的「価値観」にはそこに利権が付きまとうことも多く、その利権を守ろうとする人々は価値観を維持することに奔走します。このようなクセを持つのも人間なのですが、多くの人は、そんな動きに同調してしまうことも多いのでやっかいです。
問題なのは、それらを見破る冷静な「目」を持っているかどうかです。そしてそんな観察力で「判断」が出来るかどうかなのです。その違いで人生の山谷が随分と違ってきてしまいます。
慣習や思想などの価値観にも同じことが言えます。「今までそうだったからこれからも同じ」と考えることが判断の間違いにつながることもあります。
科学とて例外ではありません。コペルニクスによって大きく広められた、現代では当然と思われている「地動説」ですが、それ以前には「天動説」が常識とされていました。遺伝子の多くが「使われていない」とされていたものが、最近の科学の発達により「重要な役割がある」とされるようになってもきました。そして、宇宙人の存在すら最近の科学者は探求する対象にしています。
科学の発達によって、この分野でも今までの価値観は常に変化しています。証明可能な分野だからこそ、その変化は激しいのかも知れません。
価値観は常に変化し、進化しています。それこそが人の進化と言えるでしょう。
大切なことは、さまざまなことに興味を持ち、好奇心を忘れずに探求することだと思います。ましてや、社会にあるさまざまな「価値観」は一度疑ってみる必要すらあるかも知れないのです。
それぞれの立場にいる人が立場に見合った活動をしているのか、立場を利用だけしていないかどうか。価値があると思っていることが本当にそうであるのか……。考えることはたくさんあることでしょう。
その価値の「本質」は何なのか。その価値の「意味」は何か……などなど考えてみることが重要で、それがあなたの「思い込み」を回避する良い練習にもなります。
「固定観念」や「既成概念」は時として、人生の判断を妨げる原因となります。
もしあなたが、「人生は難しくて、なかなか上手く行かない」と考えているなら、あなたの中に「固定観念」や「既成概念」が根付いてしまっている可能性があります。
そんな方には、既成の価値観に振り回されることなく、もっと自由な発想で「判断」をすることをお勧めします。いろいろな価値観は「あなたの考え方で変わる」ということがあるのですから。(2019年7月)
今、宇宙からさまざまなチャネリング情報が寄せられています。
未知なる宇宙に興味があり、感覚を研ぎ澄ましている皆さまにも、そんなヒラメキが届いているかも知れません。 その内容は多岐にわたり、生活様式から思考、技術開発などがあります。
未来創学アカデミーの基礎となったチャネリングは、私たち地球の形態とはかなり異なる惑星からのもので、進化の度合いも違い、今すぐに地球の物質文明に役立つものではありませんでしたが、その驚異の内容の中に、私たち地球人も「お手本」とすべき、生きる上での目標を数限りなく得ることができました。
基本的に「体を持つ」私たちと、「エネルギー体」である彼らとでは、価値観も習慣も違っているのは当然で、金銭や物質による欲求などは彼らの感覚にはないものでした。それほどの違いがある生命同士ではありますが、私たちも遠い将来には同じような価値観を得ることができるのかと感じ、嬉しく思いました。そんな対比の中から、「生存の五原則」「成長の三原則」、人がやってはいけない「不幸原理」などを感じ取ったということになります。
その後のチャネリングでも、生命進化の第六段階におけるメタモルフォーゼの瞬間に、生命にどのような変化が起きるのか……。そしてまた、私たちにもっとも近い第五段階の進化には、今私たちが活用しつつあるITテクノロジー、AIテクノロジーに類似する技術があることを知り、地球の技術進歩が間違っていないことも確認できます。
このように、チャネリングは私たち地球の行く末を示唆することも珍しくありません。
最近のチャネリングで脅威を感じたのは、人類が滅びつつある、若しくは滅んでしまった惑星に関する情報です。
生命はなかなかしぶといもので、全滅、絶滅というのはあまり多くはないらしいのですが、絶滅の危機を迎えた星も、全宇宙の中には存在します。
完全に、人間などの生物が絶滅する理由は「星が消滅する」ことです。これは当然ともいえることですが、その原因の第一が「星の寿命」。そして次が「隕石などの衝突」だということです。
過去、地球においてもこれに近い事象は発生しています。およそ6500万年前、小惑星が時速およそ6万4000キロのスピードで衝突。この衝突により地球規模の大災害が引き起こされ、生物のおよそ75パーセントが消滅したとされています。この痕跡がユカタン半島沖メキシコ湾の「チクシュルーブ・クレーター」であることが確認されています。恐竜絶滅のきっかけとなった事件です。
幸い、このとき地球は助かりましたし、地球の寿命はあと50億年くらいあると言われていますから、まだまだ地球人が生き残る時間はあるようです。
そして問題なのは、「絶滅に近い状態」になるほうの原因です。こちらは頻繁に起こっているようで、これによって大きな被害を受けたという人類は少なくないようなのです。
原因は何なのでしょうか。
皆さんが真っ先に思い浮かべるのが「核戦争」などではないでしょうか。若しくは「食糧難」。これらも原因の一つとしては挙がっていますが、最も多い原因は、「病原菌(ウィルス等)によるもの」だそうです。なるほど言われてみれば理にかなっているかも知れません。人間も他のさまざまな生物を駆逐してしまう力があり、ここまで発展してきましたから、その人間を駆逐する、ほかの生物がいても不思議ではありません。
この、滅亡への道には何か前兆と言える現象があるのでしょうか。
彼らは、それは「惑星環境を変えてしまうこと」だと話しています。例えば食料不足に対応するために地表をや土壌を極端に改造してしまうことや、工場排水などによる河川・海洋汚染です。
これらはすでに地球でも始まっているから要注意でしょう。
そして滅亡へのカウントダウンとなるのは、「細菌兵器」など病原菌への人工的関与です。これは宇宙のどこの星においても人的にコントロールすることは不可能とされていて、避けるべき技術に指定されています。医療的なコントロールもこれに近いとは言えますが、最終的には完全コントロールは難しく、人間が不老不死になることはないでしょう。
そしてもう一つの要因が「気象コントロール」です。
人工的に気象をコントロールしようとするとその惑星は破綻するということなのです。人類がこれらの技術開発に向かった時、カウントダウンは始まるでしょう。
そして今、地球はさまざまな惑星からの研究対象として注目されています。それは何故なのでしょうか。そのきっかけは宇宙進出です。宇宙にロケットなどを飛ばし、探査が始まりました。これが注目を集めるきっかけとなっているのですが、実はそれ以上に注目される理由があるようです。
それは「宇宙ゴミ」だそうです。
宇宙探査を行うのはどこの惑星の人間でも同じで、自分の惑星外に興味を持つのは人間の本能であり、多くの惑星でも行われています。問題になっているのは技術開発に対する「考え方」に関する点です。ここは多少ややこしくなるのですが、「宇宙開発にロケットなどのゴミが出ることは当然だが、考え方として、ゴミを出す前にそれを処理する技術を確立しているかどうか」を問題にしています。
進化が進んでくると、「技術の完結」が問題にされるようで、ある技術を発明・開発した後、その技術が惑星などに及ぼす影響などを考慮し、適切な処理が出来るかどうかも勘案しなければ「技術開発と呼べない」というのが宇宙的基準なのです。
以前からアカデミーにおいても、「原発などの核技術は核廃棄物の無害化技術が開発されない限り実際に使用すべきでない」と言っているのはこの宇宙的ルールを考えているからです。
これは「技術開発をしてはいけない」ということではありません。
技術開発は影響を考えて、時にはそれを封印する決断も必要だということです。
このようにチャネリング情報はさまざまな知恵を与えてくれます。時には真摯に宇宙の声に耳を傾けることも必要なのではないでしょうか。(2019年6月)
今月から、いよいよ新しい時代の始まりとなります。
今年は、三回の「心機一転」のチャンスに恵まれた貴重な年となりました。
元日に気持ちを新たにし、四月には新年度が始まり、新入生や新入社員といった「新」が街に溢れだします。そして今月からは、日本人にとっては貴重な、そして世界的にも非常に珍しい「元号」が平成から令和へと変わります。
元日である「新年」に、人はその一年に夢を託し、気持ちを新たにします。新年度においては、会社や多くの組織が「新しいスタート」を切り、これからの一年の新たなる計画が始まります。そして「令和の時代」の幕開けは、日本人全体が新しい時代を感じることでしょう。
このように「心機一転」の機会を並べてみると、新年が「個人」、新年度が「組織」、そして新時代が「日本人全員」……というように、それぞれに持つ「心機一転」の意味が違うことに気づくことでしょう。
まさに素敵な年になることでしょう。
いや、是非とも素敵な年にしてゆきたいものです。新年に、皆さんお一人おひとりが気持ちを阿多らに今年の目標を立て、初夏を迎えようとしています。今年のスタートは如何でしたか。思い描いたような一年を過ごし始めていらっしゃるでしょうか。先月から新年度に入って、学生の方々は新しい学校に入学したり、また学年が変わったことでしょう。初めて社会に出た方もいるかも知れません。そして、その会社や多くの組織では、新しい計画の元、行動を始めています。その計画はうまく進み始めているでしょうか。そして、今回の改元は、日本国民全員の「新しい目標設定時期」になっていると言えます。
今回の改元については言うまでもなく、少なくとも近代においては今までと大きく違っている点があります。
それは「天皇陛下の生前ご退位・譲位という事情に伴っての改元である」という点です。
そのために、社会のムードも前回の昭和から平成に変わるときと大きく様相が異なっています。
今回の特徴は、「改元が多くの人々に喜びとともに受け入れられている」ということを皆さんもお感じになることでしょう。平成の改元は、通例のように天皇ご崩御に伴う改元であり、「新時代が来た」という意識よりも、「一時代が終わった」というムードのほうが強かったのではないでしょうか。
それは「昭和という時代が激動の時代であったから」という時代感覚も大きく影響しています。
今回は「平成」という時代が比較的短く、そして日本においては経済的な低迷や災害はありましたが、戦争もなく、平和な時代であったという認識も手伝い、新時代に比較的好意的なムードが漂っているのでしょう。
さて、皆さんは「令和」にどのようなイメージを持たれるでしょうか。メディアなどによると概ね良いイメージで受け取られているようです。個人的なイメージの感覚はいろいろですから皆さんそれぞれご自身の受け取り方があるかと思います。
当初、「令」という文字に違和感を感じた方もいらっしゃったことと思います。
政府説明による「令月」=「新しいことが始まる良い季節」というイメージよりも、「命令」「指令」「律令(法律、規則)」などの堅苦しい感じを受けた方が多いようです。よほど万葉集に詳しい方々でない限り、無理はないのかと思います。外国でも同じような捉え方はあったらしく、政府が後に「令和」を「Beautiful harmony」と、あえて翻訳し、発表したことにも表れています。
また今回、特に変化があったの出典です。今回は初めての「国書」からの出店ということで、こちらも概ね、国民の受け取りは良かったようです。
特にこの点に異論はありませんが、近隣漢字圏に、少しだけ配慮があっても良かったかなと思っています。
世界で「漢字」を使った民族は日本、朝鮮半島、中国、ベトナムくらいでしょうか。
その中でも、近代、ベトナムは漢字教育を廃止。韓国でもハングルに置き換わり、中国でも簡体などに変わり、日常的に漢字を利用する民族は日本人くらいになっています。
しかしながら古典においては中国にも韓国にもベトナムにも漢字は存在していますので、出典は国書万葉集であるとして、近隣国の文献の中にも同じ文字の意義付けを求めても良かったのではないかと考えています。
「今回は国書に出典を求めました。でも、そちらの古典にもこの文字はちゃんとありますよ」という感じです。
というのは、言葉には「言霊」があります。そして「言霊」には三つの意味があります。
一つは、文字そのものの持つ意味。
二つ目が、その言葉を発した人の気持ちのエネルギー。
三つ目は、その言葉を聞いた人が持つイメージです。
言葉はコミュニケーションの道具です。発する人の気持ちが乗り、受け取った相手がその意味とイメージを感じ、相互との意思疎通が生まれます。ですから言葉は自分が満足するだけでなく、それを聞いた相手がどのように思い、どんなエネルギーを感じ、それに対してこちらに対してどのようなエネルギーを返してくれるか……その部分も大切なことなのです。
人間生活や、もっと大きく範囲を広げてみると地球と人間との関係においてもこの原理は働きます。人と人との交流に「気持ち」=エネルギーの交流は欠かせませんし、私たち人間がこの地球をどう考えているか、そしてどのように付き合っていくか……こんな気持ちや配慮が必要なのではないでしょうか。
そのようなことを考えたうえで、新しい時代をどのように迎えたらよいでしょうか。よく「新時代はどんな時代だと思いますか?」という質問を耳にします。
本質から言うと「新時代をどんな時代にしたいですか?」が正解だと思います。
宇宙の中で、人間の未来は決まっているわけではありません。そこに生活する人々が「何を望み、どのようにしていきたいか」という意識が社会を創ってゆくうえではとても大切なのです。
つまり「どうなるか」より「どうしたいか」です。
ですから、これからの新時代を素敵な時代にしてゆく主人公は「あなた」です。(2019年5月)
最近、日本の凋落が目立って来ています。
すでにご存じのように、GDPは長い間世界第二位で推移してきましたが、2010年には中国が第二位となりました。IMF(世界通貨基金)が2017年分として発表した数字では、中国が12兆米ドル、日本は4・9兆米ドルで2倍以上の開きがあります。三位はドイツの3・7兆米ドルですから結構迫って来ています。
つい先日、国連が今年の「世界幸福度ランキング」を発表しました。
世界156ヵ国を調査した結果ですが、日本は58位でした。これが高いか低いかは別として、日本は年々ランクを落としています。2015年は46位でしたので、たったの4年で12位落ちたことになります。ちなみに1位は、2年連続でフィンランドだそうです。
別の角度からも同じような傾向が窺えます。
国別平均年収ランキングはどうでしょうか。日本は18位だそうです(グローバルノート: 国際統計・国別統計専門サイトから2017年)。平均429万円。トップはと言えば、「スイス」です。そして平均は1073万円。思いがけない数字かと思います。今、ブレグジットでもめているアイルランドが6位で767万円。そしてスイスの税負担率は21・8%で日本は32・4%となっています。挙句の果てに労働時間はスイスが1590時間/年で、対する日本は1713時間/年となっています。スイスは少なく働いて沢山の給料をもらっているわけです。
あまり良くない数字ばかり上げてしまいましたが、これが現実です。反面、日本が上位にあるランキングもあります。ベストカントリー・ランキング(統計情報サイトUSニュース分析)では世界5位。保健医療の質の高さやアクセスの容易さを世界195ヵ国で調べた専門誌ランセットの調査では世界第11位となりました。
このように良い面もありますが、全体的には世界水準に劣り始めていることは事実でしょう。
何故、このような結果になってしまったのでしょうか。「Thinkingコラム」でもちょっと触れましたが、その大きな原因の一つは、インフラの更新が進んでいないことでしょう。最新技術の多くはデジタル・インフラに支えられていますが、日本は戦後の復興においてアナログ・インフラをいち早く完成させたがためにデジタル・インフラの更新が遅れてしまったという面があります。これは致し方のないことではありますが、最近の凋落の原因となりました。
そしてもっと大きな問題は「人的インフラ」の問題です。
「心の在り方」と言い換えても良いかも知れません。変化に気持ちがついて行けない、簡単に言えば、「こうでなくてはならない」という固定観念に縛られやすいと言えるでしょう。しかしながら、人は築き上げてきたものを崩すことはなかなか出来ないのも事実です。特に日本人にはこの傾向が強く見られます。
これは宇宙的に見ると、現在の地球人がまだ肉体を持っているという特性に由来する部分が大きいと考えられます。人間の寿命は長くて100年くらい。地球の動きは地震などの地殻変動でもわかるように数千年~数億年単位が「ほんの一瞬」です。そうすると人間が体験する100年程度は地球的に見て「ほぼ変化していない」状況と言えるでしょう。
そんな無変化の中で一生を過ごしているから、「自分の一生での体験こそが唯一の価値観」と考えても無理はないでしょう。しかしながら、そこが問題なのです。地球は長い時間のスパンで動きますが、それでも刻一刻と変化しています。人間がそれを敏感に感じるように意識すれば、その変化は見えてくるはずです。
「地球温暖化」問題を考えると理解しやすいかも知れません。温暖化が問題視されて数十年たちますが、まだ人類の生活が「根底」から覆されることはありません。しかし、異常気象などは感じられるようになって来ました。それでも多くの人間(国!?)は積極的な対処をしていません。
このように、「人は変化に対応しにくい存在」だと認識する必要があります。
明確に言います。
これからの時代を、より楽しく生きてゆくためにはこの欠点を克服し、心を自由する必要があります。政治でも経済でも、そして個人の生活でも、常に変化を感じて、固定概念に縛られない柔軟な人がリードして行くことでしょう。
政治、経済などは組織という集団の意思が関わりますので、一個人の考えではなかなか変化させずらいことがありますが、それでも変えることは可能です。
ましてや個人の生活において、その主体は「あなた自身」ですから変えてゆくことは不可能ではありません。これからの世界を是非共「あなた」の柔軟な心で変化させて行って下さい。
固定概念に縛られず、好奇心を持って、柔軟に生きましょう。それがあなたの幸せの第一歩となることでしょう。
(2019年4月)
今年のキーワードは「破壊」です。
昨今の社会、経済の動きをみていると、まさにこのキーワードのような動きがみられることがおわかりになるでしょう。
それこそ、戦後培ってきた世界の価値観が音を立てて崩れて行く感じなのではないでしょうか。世界の政治家は右派も左派も「人としての理念」以前に、自国の「利益」に走っています。
経済も、物づくりによって豊かになってきた時代はいまや崩れ、経済の中心は「データ」に移ろうとしています。
これらの状況を見ていると、この流れは「変化」などという生ぬるい言葉ではなく、「激しい変化」=「既存の価値観の破壊」であることがわかるでしょう。しかしながら、今年の「破壊」は決して「破滅」ではありません。
人間は、宇宙の中のシステム(「意思」ではなく)によって作られ、好むと好まざるとに関わりなく、そのシステムに沿って行動します。
これは本能でもあります。
すなわち、「人は死ぬまで、生きようと努力する」ということもシステムの一つです。この人間に組み込まれたシステムによって、どんなに大きな変化でも、例えばそれが苦しいものであっても、今までの価値観と違い居心地が悪いと感じる新しい流れであっても、それを吸収し、生きる力に変える知恵とパワーを持っています。
そんな人間にとって今年の流れは、「厳しいけれど、自らが強くなる良いチャンス」ともいえるでしょう。
では「価値観の破壊」の具体的事例を考えてみましょう。
政治問題はあまり身近に感じない方が多い割には、実は生活に直接関わってくる重要なものです。
世界を見回してみると、西側東側に関係なく、かなり「独裁的」な指導者が増えているようです。いうまでもなく、自由主義国家をリードしてきたアメリカの大統領、正反対の体制としては中国、ロシア、北朝鮮の指導者。フィリピンでも似たような指導者が「頑張って」います。中東、アフリカは言うに及ばず、EU諸国でもある種、過激な指導者が人気を得ています。まさに戦後価値観の崩壊が近づいています。
このように書くと「崩壊」=「良くないこと」と思われるかも知れませんが、それはまったく違います。一時的に混乱は起こるでしょうけれど、今年の流れをきっかけとして、旧価値観を「破壊」してゆく良いチャンスなのだと思います。
ディスラプション(創造的破壊)という言葉がありますが、まさにこのように捉えていただきたいのが今年の流れなのです。
如何に古い価値観を壊して(もちろん素敵な、良いものはそのままに!)、新時代を築いてゆくかを考えることが大切だと思います。
こんな流れは日本でも同様です。外交面では米朝に挟まれて、身動きできませんし、日ロ関係の進展も厳しいものがあります。日韓関係に至っては大変難しい局面を迎えています。
それでも政治の態度は旧態依然です。
それぞれの立場を強調するだけでは結局、軍事力や経済力という「力の強い方」が勝つのは自明の理。屈服させられた方は一生忘れられないことでしょう。この原点は国会議論にも窺えます。「私はこう思うが如何か?」という質問に対して、「私はそうは思いません」以上……。これが現状です。議論ではなくディベート。
国民のために(変な個人、党の)プライドを捨てても良策を探ろうとする姿勢に欠如しています。
是非、古い価値観を破壊して国民のためになる政治、外交を考えて欲しいものです。
経済でも行政でも不祥事が頻発しています。昨今、日本経済をリードしたといわれ崇拝されたある会社創業者の、「水道の蛇口を開けると水が流れるのと同様に、物を量産して社会を豊かにする」という経済理念が「まったく通用しない」と言われ始めています。
これは当然であり、社会の流れが変われば「経済理念」も激変して不思議はありません。
大阪の土地許認可の問題や統計疑惑なども、「誰のために行っているのか」という疑問が生じるものです。また今、「働き方改革」の大合唱が始まっています。モーレツ社員時代から、ゆとりを持った働き方へ。これも当然かも知れません。このような変化は古い価値観を壊し、考え方をまったく新しいものにしてゆかないとなかなか上手くは行かないでしょう。
現在の経済はデジタルで回っているといわれます。このような技術は浸透し始めてまだ40年ほどです。生まれてからずっとデジタルの中に暮らしてきた「デジタル・ネイティブ」と言われる世代がやっと社会の中枢になりましたが、デジタルの社会への浸透力は驚異的なスピードです。
この変化のスピードに多くの人間がついて行けないのは至極当然でしょう。それでも社会は進み続けます。
幸いなのは、「人間はどのような激変にも対応できる能力を持っている」ということ。それが例え地球の終焉にあっても、対応する能力があるのです。
これは未来創学アカデミーの基礎に詳しいので、ここでは詳細は延べませんが、その位、素晴らしい対応力を持っています。
ここで大切になることが二点あります。
第一に、社会の流れをつかんで、「古い価値観を捨てる」ということです。ここでいう価値観とは、「社会に適応する、柔軟性という能力で判断するもの」のことです。決して「素敵な伝統を破壊せよ」ということではありませんので念のため。
ただ過去から継承されている素晴らしい伝統などにも「新しい風を入れる」という作業は歴史の中でも行われています。「今まではこうだったから、明日からもこうでなくてはならない!」といったことが主に問題になるでしょう。
第二は、「目的」です。誰のために、何のために! この設定が今まで以上に必要になります。党利党略が正しいのか、組織防衛が正しい道なのか。すでに誰が考えても、「ノー」であることがわかります。このように比較的単純な価値観はわかりやすいのですが、「働き方改革」などは、やる気のある人間の「働く自由」さえも奪いかねませんし、「教育的体罰、暴言の全面的禁止」も「どこまでが教育であり、どこからが暴言、暴力か」という点が不明瞭であり、反面、罰則すらありません。
これらは、まだ「行政の責任逃れ」と言われても仕方のない議論レベルです。それでもやらないよりはマシ! なのかも知れません。身近な社会問題を眺めても、いくつもの「破壊」、そして「創造しなければならない問題」があることがわかるでしょう。
個人も同じことです。
「今まで良かったから、これからもこれで良い」という考え方は、悪い方の「破壊」に身を任せるようなものです。今年の流れは、「自分の中の、旧価値観の破壊」のチャンスだと前向きに捉えていただきたいと思います。
それによって、これからやってくる新しい時代の波に自然とスムーズに乗れるようになるでしょう。宇宙の中の、先を行く進化した人類も、このような価値観のはざまで苦しみ、努力を重ね、突破してきたようです。
さて、そのためには個人的にやった方が良い「意識のスイッチ」の入れ方があります。
それが「自分の出来ること、出来ないことを見極める」という作業です。
自分で「他人に提供できる事柄と自分に対してやって欲しいこと」が明確になってくると、人のオーラが想いに沿って発信され始めます。そうすると、あなたを必要とする人が現れ、また、あなたに必要な人が現れるようになります。これはまさに「あなた自身の価値観の激変」になることでしょう。
「こんなに必要とされていたんだ!」「こんなに他人は自分に尽くしてくれるんだ!」……。そんな実感が湧いてくることでしょう。
そうすると人間関係は劇的に変化し、あなた自身も社会を見る目が変わってくることになります。
そんな「自分の変化」が、今年の「価値観の破壊」につながり、社会を前進させる原動力になって来ます。是非、あなたにも今年の波に乗っていただきたいと思います。(2019年3月)
30数年にわたってチャネリングをしていると、人間のエネルギー構造や宇宙の進化など、宇宙的不思議な現象のほかに、地球にとっても、大変ためになる情報が含まれることが分かって来ます。
ある惑星からのチャネリングでは、その星の行政システムが、今の地球のような国ごと、民族ごとではなく、惑星全体で行われていることを知りました。また、そこで行われる経済に「貨幣」が使われることはなく、中央集中的な「システム」によって行われていることもわかりました。
これらを知ると、現在の地球ではまだまださまざまな問題を抱えてはいますが、「仮想通貨」と呼ばれているシステムや、「キャッシュレス」という技術の流れは、これからかなりの確率で「主流」になって行くだろうことが推測できます。それは、宇宙の進化した惑星でもそのシステムが残って、厳然と使われているからです。
半面、現在の地球における「原子力利用」に似たような技術を使った惑星が滅亡したチャネリングを聞くと、やはりこの技術は使うべきではないし、人間に処理が出来ない物質を作り上げてしまうと、結局はコントロールが出来なくなり、自らの首を絞めてしまうということがわかります。
このような宇宙的観点からみると、次々と発明、開発される技術が今後、地球上でどのように発展、または衰退して行くかがある程度わかります。
このように、チャネリングは大変興味深い情報であるということが言えます。
そんな中で、近未来に重要な影響を及ぼすであろう技術が現在いくつか芽生えています。例えば「AI」、それに伴う「自動運転」などがあります。
すでに「AI」は医療分野、株の取引き、個人に対する広告など……さまざまな分野で導入が始まっていますが、最先端の科学者の間ではいくつかの問題も議論されているようです。大きくは「論理」と「倫理」に分けられます。
ご存知の通り、AIは多くのデータを入力し、ごく単純にいえば、それによって判断をするものです。つまり、AIの判断は「入力されたデータの種類によって決まる」ということです。もし、この「入力されたデータが間違っていた、としたらAIの判断は間違ってしまう」という点が論点となります。これが「論理」の問題です。
「倫理」というのは、この技術が「自動運転」などに応用されたとき、もしどうしても避けられない事故などの場合、「AIが救う主体をどう決めるか」という部分です。もしかすると「乗っている人」を救うという判断をした場合、歩行者の命を奪ってしまうかも知れませんし、外部の人間を救うと判断した場合、乗っている人を見捨てなければならないということになってしまう可能性があるのです。
この究極の判断をするデータをどのように組み込むか。これも大きな問題です。
これらもチャネリングの情報によると、他の惑星では解決されています。
もちろんそれぞれの惑星によって多少の違いはありますが、「人間と機械の動線を分ける」ということです。
地球でも同じようなことは行われていて、例えば鉄道。鉄道の軌道と人の道は明確に分けられています。または航空機。つまり、「予測不能な行動をする人間と自動車を明確に区別する」ということです。ここから推測するに、これからの自動運転においては、今までの自動車を自動運転にするよりも、エアカー(空飛ぶ車)を開発する方が、さまざまな意味で(保険や法律なども含めて)実現性が高いのではないか、ということになります。
また、別の分野で、地球は決定的に遅れていると思われる分野もあります。
それは「農業」です。
生命の生き残りに重要な要素は「食べ物」です。
多くの惑星では、この食べ物がすでに「合成」されています。自然の食材を使って料理するのではなく、それぞれの惑星にある栄養素を分解、再合成して食べ物にしています。まだまだ地球はこの部分においては決定的に遅れているようです。
このように、地球上でも急速に技術が進化し、それに伴って「価値観」も大きく変化しているのが現実です。そんな中で、なかなか対応しきれないのが「人間の感性」でしょう。
現在の世界は、デジタル技術によって「秒単位」で変化しています。この余りの速さに人の価値観の切り替えが追いつかないのが現状です。
今までの世界で「企業」というものは徐々に大きくなり、そして社会に馴染んで来ました。そして経営者も社会に対する役割や責任を考えてきました。これが「人間に合うスピード」だったのでしょう。現在はここに歪が生じています。
現在、私たちの生活の中で、なくてはならないインフラに育ったSNSですが、昨年、そのSNSの雄、フェイスブック社が大きな問題を起こしました。
個人データの無断利用です。
人間にとって大切なプライバシーを、勝手に利用していたということが明るみに出ました。アメリカの新聞によれば、「フェイスブックの経営幹部やエンジニアの一部は、プライバシーを守る体制は、改革と業績の妨げになるという考え方を持っていた」と報道しています。考えられないことですが、さまざまな社会ルールを考えるよりも、利益を中心に追求していたということです。この企業の時価総額はすでに約50兆円。ちなみにトヨタ自動車は24兆円くらい。こんな世界でトップを競う会社の経営感性がこのような状況なのです。
今までには考えられないくらいのスピードで世界のトップにもなれるチャンスをつかめる時代です。今こそ、問われるのは「感性」です。
人それぞれが「技術に勝る感性」を身に付けたとき、人類はまた、大きく進化して行くのです。
使ってはいけないものは使わない。まだまだコントロール出来ないものは、例えそれが「お金になっても」封印する……こんな価値観と勇気が求められているのだと思います。
宇宙は、そんな価値観も教えてくれています。(2019年2月)
会員の皆様、関係者の皆様、新年明けましておめでとうございます。心より新年のお慶びを申し上げます。
私たち未来創学アカデミーも、来年2020年のオリンピック・イヤーに創立30年を迎えます。
今までやって来たことを考えると時のたつのは早いもので、まだまだやりたいことが沢山あり、時間の大切さを痛感しております。
昨年は本当に多くの新しい出会いをいただき、また多大なご協力もいただき充実した一年であったと実感するとともに、皆様には大変感謝しております。今年も引き続き新しい出会いを大切にしながら、また新しい、そして皆様に楽しんでいただけるイベントなどを開催させていただきたいと考えておりますので、何卒宜しくお願い申し上げます。
さて、ここ数年社会においてはさまざまな分野で大きな動きが続いています。
それも社会的出来事のみならず、価値観が大きく変わったと感じられる出来事が頻発しています。
あの大国アメリカが、大統領という「一人の人間」が変わっただけで、世界中に大きな影響を及ぼすほどの変化をし、アメリカ自らが推し進めて来たTPPから早々と離脱。なりふり構わない貿易ディールを仕掛け、世界を翻弄しています。地球環境に絶大な影響を及ぼすであろう温暖化対策のパリ協定には参加拒否をほのめかし、ここのところ経済成長著しい中国には露骨な貿易戦争を仕掛けています。
一時はアメリカと北朝鮮との首脳会談という歴史的な一場面もありましたがその後の進展はなく、核の脅威は取り除かれないまま。
EUも安定ではなく、イギリスのEU離脱問題は暗礁に乗り上げ、解決の道筋は未だ見えません。
中東では大国サウジアラビアがカタールを干し、イスラエル・パレスチナ情勢はアメリカの介入もあり混乱し、安定国であったドイツ、フランスもトップが急速に力を落とし、EUにも影響が表れ始めています。
世界中で同じような傾向が見られます。
日本も例外ではありません。お隣の韓国とはさまざまな問題が勃発し、国交を保てるのかという微妙な状況です。中国外交も難しく、長年懸案だったロシアとの平和条約締結もにわかに机上にあがりました。とにかく世界中が騒がしい。
激変は政治だけにとどまりません。
経済状況も今までの歴史上類を見ないほどの速さで動いています。まさに「昨日の敵は今日の友、昨日の友は今日の仇」「盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず……」の言葉通りの時代の変化を迎えています。当然ながら、このような激変は人類の歴史の中では常に起こっていることではあり、地球数十億年の歴史の中でもこれ以上の激変は数多くあったことでしょう。
これら激変の原因はさまざまですが、一つには自然災害があります。
日本人も近年、東日本大震災によって実感を深めたことでしょう。チャネリング的に見ても、地球変動の時期にあり、特に今年は日本でも注意が必要と感じています。
激変のもう一つの原因は技術革新です。
近代史の中でも18世紀の産業革命にあったように蒸気機関を始めとする工業技術の急激な発達が社会を変えています。昨日の財閥が新興企業に取って代わられるなど、勢力図は激変しました。そして、この技術革新は経済に大きな影響を与え、時にはそれが戦争にまで発展します。技術革新は産業の発展だけでなくこんな側面も持っていることも理解しておく必要があるでしょう。
他の、地球より進化した惑星においても同じような盛衰があり、滅びた文明も少なくありません。
チャネリング情報は、地球の未来を予測するためにも参考にする必要がある情報と考えています。
今、私たちの目の前にある激変の大きな要因は、後者、まさに現代の産業革命であるデジタル技術ともう一つ、バイオ技術によるものです。
実はこの「デジタル技術」と「バイオ技術」は宇宙の進化においても必然のようで、肉体を必要とする進化段階の惑星とのチャネリングではかなりの確率で語られるものです。滅亡を免れた星においてデジタル技術は産業だけでなく、貨幣の考え方をも変え、それにより政治を変え、惑星統一を成し遂げるきっかけにもなっています。一方、バイオ技術は医療だけでなく、食料不足への対処として発達し、食料の心配がない社会を創り上げています。まさに現代の地球が足を踏み入れた領域で、その育て方に注意が必要なのです。
ここには乗り越えなくてはならない壁があります。それは「技術による価値観の変化」です。
これは宇宙から学ぶ以前に、地球の歴史でも繰り返されたことでしょう。新しい技術が出てくると、必ず「廃れる」ものが出てきます。そして、それに携わっていた人たちの反発が出ます。
謂わば「旧価値観」と「新価値観」の争いとなって行きます。
これが引き金になり戦争に発展することも多くありました。新旧価値観には利権も絡み、猶更、簡単には変えられないことが多いものです。
結局、「激変」による価値観の変化に対応できない人間によって「滅亡」の一歩が始まることが多いのです。すべては「人の考え方次第」ということです。これからの地球がそんな「滅亡」の一歩を歩み始めないように「残すべき価値観」と「変えてゆく価値観」を見極めなくてはならない時代に入っています。
そこに必要なものが「柔軟性」と「創造力」なのは言うまでもありません。新しい時代の始まりに、是非、この智慧を磨いていただきたいと思っています。地球を未来に残すためにも。(2019年1月)
ここのところ、今までの日本ではちょっと考えられないような事件が相次いでいます。
先日報じられた航空会社パイロットの飲酒トラブル。
10月に全日空、日本航空のパイロットから基準値を大幅に超えるアルコールが検知され、飛行機の運航に支障が生じました。一人は逮捕までされています。
自衛隊では民家に車両が突っ込む事故があり、そのすぐ後に迫撃弾が民家を越え、道路脇に着弾し自動車が被害に合う事故が起きています。
産業界では「データ偽装」が頻発しています。
2005年に「姉歯事件」として有名になった建物の構造計算書偽造によって多くの建物が修理や取り壊しを余儀なくされ、多大な保障問題に発展した痛みを忘れるはずもないのに、神戸製鋼や三菱マテリアル、東レなどが製品のデータを偽造しました。
自動車産業においてもこれは日本だけではありませんが三菱自動車、富士重工スバルなどが偽装を行ない、これが切っ掛けで三菱は今話題のゴーン氏率いるルノーグループに入ることになるのです。(※12月には日産でも発覚)
偽装はこれらに止まらず、3・11の大災害を経験し、今後30年以内に南海トラフ大地震の発生確率が70%と言われているにも関わらず2015年には東洋ゴムがビルに使う免振システムデータを改ざんし、現在も交換作業が終了していません。そしてあろうことか、そんな事件があったにも関わらず同じく免振システムを扱うKAYABAがデータ偽装を行ないました。まったく通常では考えられない事態です。
このような考えられない事件は企業だけでなく個人にも見受けられます。
先日起こったTSUTAYA店員の事件では、自分の好きな韓流ポップスターの悪口を聞いた店員が「自分はお客の個人情報を見られる立場にあるから、それをネットに晒す」とツイートして問題になりました。
また最近特に目立つ異常行為は自動車運転中の「あおり運転」というもの。
前をゆくノロノロ運転の車にクラクションを鳴らして警告したり、パッシングによって道を譲ることを促す運転はこれまでもありましたし、これ自体は違法ではありませんでしたが、昨今のように異常に接近したり、高速道路で突然停車したりなどの運転は今まであまり見たことも聞いたこともありません。しかし最近では頻発しています。
そしてSNSなどによる炎上、非難中傷などのネット被害は枚挙に暇がありません。
社会に、何か殺伐としたものを感じるのは私だけではないでしょう。
これらに類似する事件はこれまでも多くあって、ネットのメディアが発達したために目立って来たのか(かつての大手テレビ・新聞メディアなどは取り上げなかった?)、または表沙汰にならない段階でもみ消すことが多かったから目立たなかったのかも知れませんが、とにかく「こんなこと有り得るの?」という事件が相次いでいます。
厳しい訓練と規則で厳重に管理されているはずのパイロットは以前から憧れの職業の一つでしょう。
そんな人たちの「酔っ払い運転」は今までなら考えられません。製品の偽装を行って、それが発覚した後の保証と信頼失墜は企業に立ち直れないほどの重大な問題を残します。ましてや昨今これだけ大きな災害に見舞われている日本において、災害対策製品の偽装など考えられないはずです。
ネットの書き込みなどはその匿名性が災いしてかヘイトや炎上、根拠のない誹謗中傷などが横行する始末です。
日本人の「人間性が著しく低下」しているのでしょうか。
それも大きな原因の一つかも知れません。しかしながら人間性が低下するのはそこに何か原因があるはずです。
大きな要因の一つは「社会の閉塞感」です。
来年終了する平成と云う時代は「不景気の時代」とも言えます。元号が変わるとまもなくバブル崩壊。世紀が変わりアメリカで9・11が起こり、2008年にはリーマンショック……と歴史的な負の事件が相次ぎました。
その結果、企業は設備投資と賃金を抑え、その間にIT革命が進行し、貧富の差は格段に広がりました。若い世代は夢を失くし、高齢者福祉にも疑問を抱くようになってしまいました。こんな世相では気分が憂鬱になっても不思議ではありません。
しかし、そんな世相であったとしても、これらの事件が容認されるものではありません。
それでは、本質はどこにあるのでしょうか。
こんな事件頻発の最も大きな原因は「人間性の低下」と云うより「感性」の問題だと考えています。
まず、職業に対する意識、責任感の変容が挙げられます。パイロットが背負う命は一機で数百人。乗り物の中で船舶、列車に並び多いものでしょう。
そんな乗り物を預かる責任感の欠如……。
他の事件でも安全性を疎かにし、製品納入を優先すると云う判断の誤り。「高速道路上で停車したらどうなるか」「顧客の個人情報を漏えいしたらどうなるか」という状況判断よりも「自分の気分を優先させる」感情制御の欠如……どれを取っても異常事態です。
その根底にあるのは「自分がとった行動によって相手や結果がどうなるか」という創造力の欠如でしょう。
SNSなどに慣れてくると、相手を誹謗中傷しても、その匿名性により自分は被害の及ばないところにいられます。そしてそれが快感となり、エスカレートするのが人間です。
本来人間はそのような「原始的快感」を理性によって抑えるものなのですが、その抑制が弱って来ているのが問題と言えるのです。
よく「意思の力はオーラに直結する!」とお話ししています。
目先の欲望に抑制の効かない人々が多くなると、それらのオーラが社会に蔓延し、結果ますます社会は荒れてしまいます。
今こそ、この「意思」のパワーを意識する必要があるでしょう。
「意思」は人生を楽しく過ごすためにも大切なパワースイッチなのです。(2018年12月)
人間関係を表す日本語にはさまざまなものがあります。
「一期一会」「袖擦りあうも多生の縁」「旅は道連れ世は情け」……反対に「人を見たら泥棒と思え」などというのもあります。また、人が繋がる様子を表す言葉として「類は友を呼ぶ」「噂をすれば影」などという言葉も日常的に使われます。
まさに人間は「繋がり」を持たなくては生活が出来ない「集団的動物」の証なのでしょう。
皆さまも、その生活の中で「他人」との関わりを持って生きていることは疑いようのないことです。
この「係わり合い」がさまざまなストレスを生んでしまうことも多いのですが、これらの係わり合いが人間に活力を与えていることも事実です。
ほどよいライバル関係は刺激になり、お互いに向上して行きます。素敵な恋愛も人の心に豊かさを与えることでしょう。そして家族に囲まれた生活も愛情に支えられ、心の糧にもなります。
反面、これらの「関係」が悪化するとそれは大変なストレスにもなりかねないから人間関係は複雑です。
最近「孤独死」が報じられることが多くなりましたが、あるデータでは、孤独であることは、毎日タバコを15本吸うのと同程度の悪影響があるといわれています。現在、日本では「孤独死の約4割が50歳以下の現役世代」という衝撃的な報告もあります(2015年4月~2018年2月までの孤独死者の内訳。日本少額短期保険協会調べ)。
すでに一人住まいの高齢者問題ではなくなっているようです。
この問題の根幹には日本の社会構造の問題があるようです。
「セルフネグレクト」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
日本語では「自己放任」というのだそうですが、将来への先行き不安、仕事の激務、人間関係の煩わしさなどから他人との接触を避けるようになり、食事や健康管理にも気が回らなくなってしまい、最終的には病気によって「孤独死」するという、別名「緩やかな自殺」と呼ばれる行動を取ってしまう現役世代が増えているようです。
このようなプラスにもマイナスにも働いてしまう人間関係。やはりなかなかやっかいなものですが、実は人間関係には生体エネルギー、オーラが深く関わっています。
このエネルギーの在り方、使い方によって多いに人生が変わってしまうのですから、これを積極的に使うに越したことはないでしょう。まさに、「知らないと人生多いに損をする」ということになってしまいます。
人には「運の良い人」と「運の悪い人」がいます。また時として、同じ人でも「運の良い時と悪い時」が波のようにやって来ることを実感している方は多いでしょう。
さて、「運」とは何でしょうか。
読んで字の如く「自分に何かを運んでくるもの」です。
運ばれるものが良いものであるなら多いに結構で、これが悪いものであるなら問題です。
その多くは自らの「判断」が招くものであることは言うまでもありません。判断はその大方が、その人の経験や知識で行われることに間違いがありません。
しかしながら、同じような知識と経験を持ちながら運がまったく違うことは珍しくありません。むしろこちらの方が多いかも知れません。知識や経験が似かよっていても人はそれぞれまったく違った判断を行ない、その結果として運の流れが大きく違ってくることも多々ある現象です。
それでは人の「判断」には知識や経験の他にどのような要素があるのでしょうか。
それが「勘」と呼ばれるエネルギーの働きです。
もちろん「勘」もある部分、知識と経験によって培われるものではありますが、そこにも人のエネルギー、オーラが大きく関わっています。もし、あなたが「ちゃんと判断しているのに運が悪い」と感じることがあるなら、それはエネルギーが有効に働いていない場合があります。
さて、それではどうしたらエネルギーは有効に働いてくれるのでしょうか。
基本的に地球人の進化段階では「エネルギーは意識と密接に関わっている」と言うことが出来ます。
つまり、意思の力或いは考え方と言って良いかも知れません。「スピリチュアル・パワーを使う」と聞くとややこしい訓練や修行をしないと出来ないように感じる方も多いと思いますが、これこそがあなたの能力を抑えてしまう大きな原因でもあります。
コツは…
・「エネルギーのパワーを使おう!」と考えること
・エネルギーを安定させるために積極的に呼吸法を行うこと(QT呼吸法)
そして次に…
・ヴィジョンを明確にイメージすること(具体的なほど良いでしょう)
・その中で「自分に足りない部分」を知ること
これで「運が良くなる」準備は整いました。
後は、少しの間この意識を事あるごとにイメージするのです。そうすると意識が生体エネルギーを刺激して、ほぼ間違いなくあなたの運は向上してくることでしょう。
世の中には「類は友を呼ぶ」という言葉があります。
これもまさにエネルギーの共鳴を表す言葉です。
人は同じような「波動」の中にいると自分の「立ち位置」が分からなくなって来る傾向があります。「ぬるま湯」ともいえる状態です。
「自らを省みる」ということが疎かになってしまい、無思考状態に陥ってしまうことが多いのです。そうすると「運の流れ」も悪くなるのは必然でしょう。
あなたが同じような日常を繰り返し、運が低迷していると感じるときがあったなら、あなたの立ち位置を変える必要があります。
人間は新しい知識を急に増やしたり、ましてや一朝一夕に経験を豊富にすることなどは出来ません。
自分の立ち位置を外側から変えることは現実問題結構難しいのですが、内側、すなわちエネルギーの流れを変化させることは誰にでも出来ることです。
「自分を変えよう」と考えた瞬間から人間のエネルギーは輝きを増し、そこに変化が訪れます。(2018年11月)
生きてゆく中で、誰もが一度は「自分は何のために生きているんだろう」と考えた経験があると思います。
人生にはいろいろなことがあるので「自分探し」に悩む方も多いかと思います。
ここでは、そんな「人生の充実感」について考えてみたいと思います。
「充実感」は「幸福感」とも言えるかも知れませんが、大切なことは「それらの定義」です。誰にでも当てはまる共通の定義はあるのでしょうか。
不況になると人々は「お金」に執着し始めます。反対に好景気になればお金への執着がなくなるかと言えばそうでもなく、もっとお金に執着し始めます。
現在の進化段階では「命の次に大切!」と言われるくらいですからこれは大切なポイントです。
ではお金があれば幸せなのでしょうか。
決してそうではないことは皆さんもよくご理解のことでしょう。どんなにお金があっても解決出来ないことは数多くあります。反面、お金が「少なくても」幸せな人生を送っている人は多いことでしょう。
それでは健康なら幸せでしょうか。
これはおおかたイエスと言えます。しかしながら、どんなに健康であっても人間の致死率は100%です。
なかなか「人生の幸福感」の正解には辿り着けません。
このような難しい問題に突き当たる中で、宗教観の中には「この世は来世でより良く生きる為の修行の場」と解釈する考え方も出て来ました。
さて、困りました。
この世では苦労ばかりしなくてはならないのでしょうか。それも何とも納得しかねます。
私もこの問題についてはかなり悩みました。さまざまなチャネリングを行ない、人間のエネルギー構造を知る中で、ある答えに辿り着きました。
それが幸福感の「定義」なのです。
第一に必要な事は「生き方を整理して考える」こと。
個々に感じる「充実感」や「幸福感」は違うものです。であるならば、人に共通の「充実感」と「幸福感」を探し出せばよいのです。
例えば、人は退屈をしているときに「何か面白いことないかな~」と言うセリフが出てきます。この時点で「自分が面白いと思うことは何か」がわかれば次の行動に進めます。
「それがわからないから苦労して自分探しをしている!」と怒られそうです。
それでは回答を考えて行きましょう。
人が充実感を得るときに必要なものは「物質的なもの」でしょうか「精神的なもの」でしょうか。
それは明らかに後者です。
物質的なものは単に「生きてゆくのに必要なもの」、「最低限必要なもの」と言えるでしょう。
チャネリングによって分かったことは、「人は過去に生きた多くの霊的エネルギーを背負って生きている」と云うことでした。人は単に「誰かの生まれ変わり」ではなく、多くのエネルギーを抱えています。そして今の自分の生き方がこれらのエネルギーに大きな影響を与えています。
地球上において、エネルギーだけでは完全な存在とはいえません。
進化してゆく途中の必然ではありますが、まだまだ地球で存在してゆくためには現在の肉体を持った形が必要なのです。
私たちの「生き方」が、自分とともにある過去のエネルギーに影響を与え、それらを幸せにも不幸せにもしています。
そして私たちが肉体を失くすとき、自分に憑いている多くのエネルギーをばら撒くことになりますが、良いエネルギーを放つのと不幸感を持ったエネルギーをばら撒くのとでは後世に与える影響がまったく違ってくることはあなたもお分かりになることでしょう。
とすると、「今の自分が少しでも多くの幸福感を感じる必要がある」ことがわかります。
では次に、具体的に「幸福」とは何かを考えなくてはいけません。
人それぞれに感じる幸福感は違うと思いがちですが、実はすべての人々に共通した「幸福感」があるのです。
その一つは「自分の人生でやりたいことをやり続けること」です。
でも実はこれは不可能です。
ですから、より正しく言えば「自分のやりたいことを出来るだけやれること」となります。
これを実行するためにはやらなくてはならないことがあります。
「自分のやりたいこと(趣味でも仕事でも)」を見つけることはなかなか難しいことでしょう。
私へのご相談の中でも上位が「自分に向いている仕事は何でしょう?」「何をして良いのかわからない!」です。
これらを解決するのに必要なことが、自分に向いていることを探す前に「自分が出来ること、出来ないことを考える」ことです。
「現在の自分」に出来ることと出来ないことを考えるだけで結構です。
それがわかるだけで人のオーラは輝きを変えます。
するとあなたを手助けする人が必ず現れます。
そしてあなたを必要とする人が必ず現れます。
「他の人に協力してもらい、自分も必要とされる」……これが人が生きる上で最も嬉しいことでしょう。
まずこれから実践して行きましょう。
そして二つ目が、次に挙げる3つのポイントを人生に取り入れること。
仕事だけではなく趣味でも結構です。
・芸術的、創造的なこと(人と共感する)
・探求すること(好奇心を刺激する)
・調整をすること(自我を抑える)
この3つの要素を生活に取り入れることです。
以上を考えながら生活することによって、あなたの人生は充実した方向に向かうことでしょう。
そうするとあなたが背負っているすべてのエネルギーも活性化され、後世にも良い影響を与えることになります。
これらがとても大切な「人生の生きる意味」であることをチャネリングから学びました。(2018年10月)
人は先人の知恵により進歩して来ました。それは、さまざまな知恵の積み重ねの結晶です。
しかし世代の交代はなかなかスムースには行かないことも多いようです。
歴史的に見れば世代の交代は、その多くがクーデターや革命によって破壊的に行われています。
フランス革命やロシア革命は歴史教科書でも有名です。また日本でも近代において同じような「革命」がありました。現在、NHK大河ドラマ「西郷どん」の背景の時代。明治維新は300年続いた幕府=武士の世界を革命的に変えたものとして習ったことでしょう。
このように体制が変わるときのトラブルは、大きな歴史的なことばかりでなく、ごく身近にも多々見られます。
会社の経営を引き継がせるときなどにもよく起きますし、ごく身近な町のボランティアなどでも会長さんの地位争いなどが起きることは珍しいことではありません。
最近では相撲協会のトラブル、日大アメフト部事件から発した学校運営の問題。日本レスリング協会パワハラ事件、日本ボクシング協会の不思議。文科省の局長汚職……枚挙に暇がないくらい事件が頻発しています。その根底にあるのがトップの権力乱用と権力固持です。
何故か、継承や世代交代はなかなかスムースには事が運びません。
歴史的大革命だけでなく、最近の世界を見回すと、ある傾向が見て取れます。
皆さんも「自国ファースト」「ポピュリズム=大衆迎合政治」という言葉をよく聞くことでしょう。何と言ってもこの言葉が有名になったのは、アメリカ大統領のトランプさんが、選挙中からまさにスローガンとして「アメリカ・ファースト」を憚ることなく絶叫したので世界中に知れ渡りました。「アメリカだけが損をして我慢する必要はない! まずは自国を中心に考えよう!」
非常に単純でわかりやすいです。
しかしながら、この傾向はアメリカだけのものではなく、全世界に広がっている流れのようです。
経済や人的交流を積極的に推し進め、「国家の壁」を取り除こうとした壮大な社会実験である「EU=欧州連合」も、今や崩壊の危機を迎えようとしています。その大きなきっかけになったブレグジットと呼ばれるイギリスのEU離脱以来、加盟各国でポピュリズム政党の台頭が顕著になって、政治・経済ともに混乱が増して来ています。
さて、それでは今、何故このようなことが世界同時多発的に起こっているのでしょうか。
ポピュリズム政治に関しては、政治家は基本的に「選挙」によって選ばれますから、一票欲しさに「耳に心地よい」利益誘導型に走るのは至極当然なのですが、実はこのことがとても大切な点でもあります。
人には「本音と建前」があります。
「世界を平和にしよう!」という気持ちは誰でも持っている気持ちだと思いますが、本能的なところでは「まずは自分が幸せになってから!」という「本音」が前提です。この「本音」は一概に否定できないから問題がややこしくなります。「自分が良ければすべて良し」という自己中心な考え方のウエイトが大きくなるとこの考え方が力を持って来ます。
ではどのような状態になると社会は「自己中心的な考え方=本音」に偏ってしまうのでしょうか。
その切っ掛け、引き金になるのが「不満の臨界点」でしょう。
自分が所属する社会(これは会社、国などだけでなく家族という集団の中でも起こりえることです。兄弟間差別や相続差別などで起こるトラブルは皆さんも経験があるかも知れません)において、「どうも自分は適性に評価されていない」、「どうも搾取されているかもしれない」などの気持ちが一定の限界を超えると気持ちのバランスが崩れ、本音のウエイトが高まり爆発します。
歴史上も現代も、常にこの「不満」の解消が上手くコントロールされないためにトラブルが起こっているようです。
第9段階の最高進化を遂げたベルメウスなどからのチャネリングを聞いていると、「人間は集団的な動物で、一人では生きられない」という考え方が徹底しています。
物質的なものを持たないエネルギー体の存在ですから当然と言えば当然なのですが、「人間の生きる意味と楽しみは、物を持つことではなく、コミュニケーションと好奇心を満たすこと!」だとも言っています。
翻って、現在の地球ではまだまだ「物質社会」ですし、権力や地位は「人の評価」として分かりやすいものです。ですからこの、見えやすい評価と満足感が気持ちのバランスを崩し、スムースな世代交代の妨げともなっているのです。
「自分が人生をかけて築いてきたこの財力や地位、権力を離したくない!」……当然そうでしょう。しかしながらこの気持ちにこだわればこだわるほど、どこかであなたに対し、不満のパワーを募らせる人間が出現しているのです。
私がさまざまなチャネリングをしていて常々思うことは、「人間の創造力は何て素晴らしいんだろう!」ということ。
さまざまな宇宙で、いろいろな文化や技術が創造されています。
地球でも同じで、さまざまな芸術や技術が創造され続け、そして継承されています。この智慧の継承がもっとスムースに行けば地球の進歩はもっと早いのだと思いますが、先ほどの、「物質的」な段階の人類だからこその「気持ち」が邪魔をしてしまいます。
チャネリングから学んだことの一つは、「すべての智慧は共有してこそ意味がある」ということです。
動物の世界では「自分の力が尽きるまで君臨し、そして年老いては若い世代に追いやられる」ということが多々あるようですが、人はある一定の「成熟度」に達したならば、その地位と権力を固持するのではなく、智慧を次世代に伝え、有効に使ってもらった方が、次世代と争い、双方が傷つくよりも幸福度には格段に差が出るのです。
成熟した者こそ「教師たれ!」。
これこそが次世代に智慧をスムースに引き継ぐ秘訣でしょう。(2018年9月)
この夏、頻繁に「命の危険がある暑さ」という表現が使われます。7月の猛暑(酷暑!?)はまれに見るものでした。
そんな中、災害に見舞われた西日本と中部地方の皆さまには心からお見舞いを申し上げたいと思います。
これはどうも地球規模での傾向のようで、日本だけでなくカナダでも熱波により多数の死者が出ているようです。
北欧に位置するノルウェー、フィンランドでも気温が33℃に達し、スウェーデンでは約50件の森林火災が発生したというニュースが入りました。アメリカ・カリフォルニア州の一部では気温52℃を記録し、サハラ砂漠で51・3℃となり、欧州も被害を受けています。
近年はあまり聞いたことがない表現が、事のほか多くなったような気がします。
「観測史上初めて!」「100年に一度!」「まず命を守る行動をして下さい!」等々、気候・災害の分野で増えているようです。日本でもまだまだ暑さが続くシーズンですが、今月は少しでも落ち着いてくれると良いと思います。
ただチャネリングによる予測では、秋にかけても天候の不順は続き、特に台風シーズンは更なる水害の可能性も大きいので充分な注意をしていただきたいと思います。
そんな夏の暑さと災害の話題の裏で、あまり目立たず、社会がひっそりと、そして大きく変わろうとしています。
他でもありません。政治の動きです。
ここでは政治論争が目的ではありません。今しばらくお付き合い下さい。
何が「大きく変わった」かというと、ここのところで議会を通過して成立した、いくつかの法律に関してのことです。それらが社会を大きく変えるものだと考えられるから心配です。
その中で、世界的な影響力が大きく、国内にも多大な影響を及ぼすものがTPP関連法案。オバマ前アメリカ大統領が積極的に推進しながらもアメリカが自国第一主義に傾き離脱した協定です。出遅れて参加した日本が中心となり、何とか成立にこぎつけたものです。
それから、国内でこれから大きな変化をもたらしそうな法案が二つと、気になるものが一つあります。一つが、IR(統合型リゾート=カジノ)法案で、もう一つが働き方改革法案です。そして参議院議員の増員に関するもの。
これらの何が社会を大きく変えるのかといえば、TPPは多くの業種にまたがり、それらの業種によって積極的な推進や、その反面、国内産業保護のための施策が細かく配慮されなくては大きな混乱もたらすことが予想されるものです。そしてIR法案は「統合型リゾート」という甘い言葉に包んだ、(建前上)公営しか許されていなかった「賭博」を民間に開放するお墨付きです。
「働き方改革」の目玉は、特殊な職業に就いている人の場合は特に労働時間を決めない、という既定を盛り込んだところが注目でしょう。また、参議院議員の増員に関しては……意味がよくわかりません。「誰のため」のものなのでしょう。
法案の是非については、それぞれの考え方で意見が分かれます。けれども、これらは少なくとも「国民が共通して理解しているもの」であるかと言えば、そうとは言えないと思うのです。
ここで考えたいことは、法案の内容も然りですが、何よりもその「決定過程」です。
人は、それぞれ価値観が違うのは当然です。育った環境も違えば、教育の内容も、考え方も人それぞれでしょう。何よりも生まれ持っている個性が違います。
そんな「個性的な個人」が集まって出来ているのが「社会」であり、人間が集団的動物である以上は社会に「ルール」が必要です。
ここで大切になってくるのが「話し合い」です。
先にお話ししたいくつかの法案を成立させるにおいて「話し合い」があったかどうか、そしてそれが「意見調整」、すなわち「国民のため」であったのかどうかを問いたいのです。
当然、多数の議決権を持つ当事者側は「充分に話し合った!」と答えることでしょう。しかしながら最も気になる部分は、「議論の質」以前の「議論の方法」にあると思われます。
国会中継などを見ているとわかるのですが、国会議論のやりかたは「ディベート」であって「ディスカッション」ではないということ。
細かい手法の違いは別として、大まかに言えば、「ディベートは提案されたテーマの是非を決めもの。ディスカッションはそのテーマの内容を深めてゆくもの」と分類されると思います。
国会は「国民のために提案されたテーマ(法律)」をより良くし、深めて行き、多くの人々が納得するものにして行く必要がありますが、現在の国会議論は、「私はこう思う!」「私はそうは思いません!」以上! ……に終止しているように思えてなりません。こんな意見にも議員さんから「私はそうは思いません!」という答えが返ってきそうですが……。
こんな調子で国の将来を大きく変えるルールが決められていることが、ある意味、恐ろしく感じます。
議論は人生を豊かにします!
何故ならば、人の経験や知識、そして創造力は限られたもので、他の人の意見を取り入れることは「自分にない部分を取り入れられる」ということであり、とても大切なことだからです。ですから議論を上手く出来る人はそれだけ人生を豊かに出来るということになります。
最近行った、マグニウスからのチャネリングに非常に面白い内容がありました。
世界平和を達成するにはどうしたら良いか、という問いに対して彼らは「遺伝子が均等に交じり合うことが必要」と答えました。
それは大きな意味で「惑星すべての人々が親戚になる」ということです。
それには地球はまだまだ時間が必要なようですから、それまではせめて、意見調整を上手にしながら生きる必要がありそうです。(2018年8月)
社会には毎日さまざまなことが起こっています。
社会だけでなく個人においても生活をしているといろいろなことが起こることでしょう。
単調ではないからこそ「人生は面白い!」ともいえますが、山あり谷ありも、その度合いが過ぎると苦しいものです。
人生は二つの道を歩むことが出来ません。
未来の可能性と選択肢はたくさんあるでしょうけれど、ある時点で行う判断は一つきりです。ですから自分の人生を起伏を大きくするのも小さくするのも「その時点での判断」であるということが出来ます。
「判断を間違うと失敗する」という簡単な理屈です。
もしあなたが「私の人生良くないことばかり」と感じるならば、人生の多くの部分で判断が誤っている可能性があるでしょう。
人の人生はコントロール出来る部分と出来ない部分があります。
不運なことに災害に遭遇してしまうことは避けられないことも多いですし、自分ではどうにもなりません。だからこそ、どうにか出来る部分については少しでも改善してゆく方が人生に有効であることに間違いはありません。
わかってはいても、この簡単な理屈が実は大変難しい問題だからこそ誰しもトラブルを抱えてしまうのでしょう。
この、「判断は難しい」という問題の大きな要因は「何が正しいか、間違っているのかわからない」というところにあります。何が正しいかわかっていたら誰も人生を間違えない! ということになりますし、誰しも、その場では「正しい」と思って判断しているはずです。
判断の結果は後にならなくてはわかりません。
また他人にアドバイスを求めても人それぞれ価値観が違いますので、同じ判断などないに等しいでしょう。本人であっても、重ねた年齢や経験などによって判断は大きく変わってしまいます。
「常識」などいうものもあまり当てにはなりません。
ましてや風土や習慣、国が違ったら、まったく通じないこともあるでしょう。
それでは、あなたはどうしたら正しい判断が出来るようになるでしょうか。
また「人間が判断するときの基準」などというものはあるのでしょうか。それがあるのです。
それは「宇宙的価値観」です。
今までの社会では「宗教的価値観」などがその規準を担ってきたのかも知れません。
法律などの人が決めたルールも規準の一つとなるでしょう。
それらは大切なものです。
人間は多くの、さまざまな規準を持つことによってその判断は正しさを増して行きます。つまり「多くの材料を持つことによって」判断は正しさを増して行きます。法律など人の定めたルールには間違いが含まれることもあります。
ですから、それらは経験などにより修正をして行けば良いでしょう。そんな柔軟性も必要です。
人生の波風を小さくして、それを少しでも楽しく、豊かにして行くための大きな要因が「判断」なのですから、その判断を正確にするための「規準」がしっかりしていればいるほど人生は安定して行くということになります。
社会的規準の大部分は、過去からのさまざまな積み重ねによって「多くの人が理解し、受け入れることが出来る」ものになっています。しかしながら、それでさえ社会状況が変われば間違った規準となってしまうこともあります。
やはり「規準」は、あまり変化しないものの方が良いに越したことはないでしょう。
今、チャネリングという手段によって多くの宇宙的な新しい情報が提供されるようになってきました。これは一つのチャンスなのだと思います。
よく「自分がされて嫌なことは相手にもしない!」というものがあります。こ
れは大切なことですし、あなたの「判断基準」にもなるでしょう。そしてそれはほとんど間違いないことです。
チャネリング情報のなかにはこのような普遍の原理が含まれています。
例えば、「殺人」。これは法律でも厳罰が処せられますし、人間社会では最も「やってはいけない」ことの一つです(戦争と云う異常な状態の中では殺人を多くした方が賞賛される、という矛盾も抱えていますが……)。
人間という種は、進化を重ねると肉体が必要ではなくなり、「エネルギーだけで生きることが出来る存在」となることは既にアカデミーでも以前からお話ししている通りです。そのレベルでは抹殺する肉体がありませんので、事実上相手を殺すことは不可能です。唯一、行える殺人の方法は自分のエネルギーを相手と接触させて消滅させることですが、これは自分の死に直結します。ですからこの進化レベルに達した人類には「他人を殺す」という感覚がなくなっているのです。
経済においても学ぶべきものがあります。
最終進化のレベルまで行かなくても経済活動がなくなっている社会もあります。技術的進歩により、食料の確保が安定した社会では「食べるために働く」という感覚はなくなります。
そのために「仕事」とは自分の興味が持てる「好奇心が満たされる」ために行う行動となります。
いろいろな例はありますが、チャネリングによる宇宙情報には、このような人間が生きてゆくための手本となる規準が数多く存在します。
つまり、宇宙的価値観によって「本来の、人間の在り方」がわかって来るということなのです。
現在の地球においてはまだ達成されていない「境地」を知ることによって「本来あるべき姿」を理解すると、自ずと「間違いのない判断」が可能になってくるということになります。(2018年7月)
ここ数年、社会に対して「違和感」を抱くことが少なくありません。
その違和感の主な対象は、さまざまな問題に対しての「判断」についてです。
実際の社会の動きの中で「それはないんじゃないですか!?」という判断を感じることが多くなりました。これに関しては皆さまも同じような感覚をお持ちになることがあると思うのです。
前回の経営者懇談会でもこの感覚について話題に取り上げましたが、多少説明不足でもあったかと思いますので、このコラムでもう少し考えてみたいと思います。
近年、おおかたの予測を裏切る世界的な判断が続いたのは記憶に新しいところです。
今、世界中に話題を提供しているトランプ大統領の当選や、イギリスでのEU離脱問題が挙げられると思います。これらの問題の特徴は以前からコラムでも取り上げましたように、民主主義の根幹である「多数決」の欠点を浮き彫りにした点にあります。
アメリカの大統領が誰になったとしても、そしてイギリスがEUから離脱しようとしまいと、それは単に人類の長い歴史の一頁に過ぎず、大きな問題ではありませんが、ほぼ拮抗した半数の意見が取り上げられないという異常事態は問題です。
生活に直結しない問題ではそれも良いかも知れませんが、この結論の結果においては、さまざまな「分断」を生むという実害がありました。民主主義システムの欠陥が表に出た格好です。
身近な問題としては、最近、ハリウッド事件から始まったセクハラ問題はノーベル賞委員にも飛び火し、今年のノーベル文学賞は取りやめになるという事態にまで発展しました。これは日本も例外ではなく、官僚も職を辞しています。他にも昨年から続く政治問題としての「モリカケ疑惑」、「防衛省日報問題」とそれに関わる多くの行政の失態。スポーツ界では相撲協会の不透明な組織運営、オリンピックに絡むレスリング協会のパワハラ、大学アメフトの反則……次からつぎへと「普通では考えられない」対応が出てきます。
これらの問題に対して共通に覚える感覚は「ごく普通に考えて、そんな判断はないでしょ!」というものです。
こんな「普通の感覚、考え方」が通用しないために起こる問題が、社会に噴出していることが違和感の原因です。このコラムをお読みになっている多くの皆さまも、これらの違和感をお持ちになることでしょう。
では、そんな「違和感ある判断」の原因は何なのでしょうか。大きく言えば3つの原因が考えられます。
一つは「組織防衛」、次に「時代感覚の読み違え」、三つ目が「共生意識の欠如」です。
「組織防衛」はいつの時代にもよくあることです。自分の所属する組織や自分の地位を守ろうとするばかりに「組織の理論」で判断してしまい、一般的な感覚とは隔たりが起こってしまうのです。
これは「自己防衛」にも強くつながっていて、自分が所属している組織を守れば自分も守られる、と考えるのはある意味理解はできますが、それが錯覚であることも事実です。
本来は「問題の原因が何にあり」、「問題を起こしている中心はどこ(誰)にあるのか」を考えることがもっとも存続への近道なのですが、こんな「普通の考え方」すら忘れてしまうのが人間なのでしょう。
「時代感覚の読み違え」は深刻です。
人間は人生を重ねるとともに経験による知識は増えて行きますが、感覚と発想は衰えて行くものです。まして年齢を重ね、地位が高くなると驚くほど保守的になってしまう傾向にあります。そうなると社会の流れを見誤ります。であるからこそ、地位が高くなり権力を持ったときこそ、次の世代の意見を取り入れ、自分の意見を抑え、その時代における「普通の考え方」が何なのかを見極めなくてはならないのです。常識は常に変化しているということです。
ここまでの二つは人間が陥りやすい「狭い視野」が原因となっています。
そして最後の「共生意識の欠如」は前の二つとはちょっと意味合いが異なります。これは人間にとって最重要な「生きるための規準」の欠如です。
お話しは少し宇宙に飛びます。
最高点にまで進化した人類は肉体を持ちません。「意識を持ったエネルギー的存在」です。古くから地球人類もこれらのチャネリング情報を宗教的規範として受け取っていたようですが、基本的には「物質的な肉体のあるなし」という単純な違いが大きな違いとなります。その「破壊する肉体がない」という事実は「相手を滅ぼす」という感覚を取り去ります。
つまり争い、戦争を起こそうとする思考がないのです。
しかしながら我々は物質的な構造を持っているがゆえに「相手を亡ぼす」という感覚を持っています。これを自制出来なければできないほど地球人類は判断を誤ってしまうということになります。
まだ究極の進化には達していないとはいえ我々も人類共通の感覚は持っているのですから「意識して自制」する必要があります。
これが「共生意識」です。
「お互いが共に生きてゆくために何をするか……」。すべての判断にはこの規準が最も大切であり、この意識が欠如するほど判断は間違って行くということなのです。
現在の混乱の多くは、このような問題に起因しています。
地位や権力を過剰に守ろうとし、また時代感覚を見誤り狭い視野になる。そして共生意識を失う!このようなことが問題を大きくし、「普通の考え方」から自らを遠ざけてしまう要因です。気をつけなければいけません。
現在は、2003年からの宇宙転生により人間が一段階進化するチャンスとなっていますが、反面大きなエネルギーの影響は人間にとって混乱も引き起こします。
だからこそ物事の判断をするときには「狭い視野に陥っていないか?」「お互いに共存するために何をしたら良いのか?」……。
こんな「普通の考え方」が重要なのだと思います。(2018年6月)
「言葉遊び」となんでしょうか。
本来のイメージならば「俳句」を読んでみたり、「川柳」を吟じてみたり、そして聞くということでは「落語」や「漫談」を楽しむなどもこれに当たるでしょうか。
いずれにしても「言葉遊び」には「心の余裕と優雅な遊び心」が大切なのではないかと感じます。
しかしながらここのところの「言葉遊び」にはちょっと違ったニュアンスを感じます。
「詭弁」「誤魔化し」「言い換え」……。
そんな要素を強く感じる「言葉遊び」になってしまっている気がします。
最近のコラムでも、「言霊」について連続して書かせていただいていますが、まさに「言葉」に「気」が込められていない「言葉遊び」に辟易しているのは皆さまも同じかと思います。
昨年から続く「モリカケ問題」を筆頭に、政府の混乱が続いていますが、昨年は何かうやむやのうちに混乱がどこかに行ってしまい、ある学校法人はつぶれ、ある法人は開校し、防衛省は予算を次々に膨らませています。そしてそれに継ぐ衆議院選挙でも与党は圧勝しました。このときも新風を吹き込むかに思われた野党勢力が「言葉」によって自滅していったのは記憶に新しいところです。
政治評論をするつもりはありません。
これらの社会現象を「オーラ的」に考えたいと思っています。
皆さまも昨年の流れを見ていて、何か政府や行政のトップの発する言葉に不信感を覚えたのではないでしょうか。その証拠が世論調査にも現れていて、現政権のトップに対して「人格が信用出来ない」と云う主旨の意見が1、2位を占めています。それを感じる原因は、まさにその「発言」にあるのだと思います。
昨年、首相から「私や妻が関与していたら首相も議員も辞める」という発言がありました。この発言の後ろには、「法律的には関与していない」という自信があったのでしょう。しかしながら名誉校長に就任するなどという活動は、あきらかに「関与」です。
首相が「法律を犯すような関与をしていたら」という発言をしたならまだ言い訳のしようもあるというものですが、一般的な言葉使いの「関与」である以上、明らかに「関与」があったと感じるのが一般的な受け取り方であり、国民が抱く感覚です。昨年行われた質疑なども「納得できない」という意見が多くありながらも流されて行ってしました。
しかしながら、この多くの人が感じた「違和感」が、まさに皆さまのオーラが「リーダー達の発言に言霊を感じたか、感じなかったか」の実証にもなりました。
今年になって次々と、昨年の発言に対する反証が出てきてしまいました。
財務省の公文書改ざんに始まり、防衛省における日報問題、地方自治体の記録文書発覚……等々です。これら文書とリーダー達の発言を比べるならば、それら関与が「あったかないか」「法に触れるかどうか」という技術的な問題は別にしても、私達一人ひとりが感じた「何か変!?」という「オーラ感覚」が正しかったことになるのでしょう。
その後も、トップ官僚のセクハラ発言があり、その管理者でもある政治家が次々と失言を繰り返し、まだまだ収集が付かない状況です。そこで持ち上がったのが、冒頭の「言葉遊び」というフレーズです。優雅さの欠片もない「言葉遊び」はもうやめたいものです。
今、日本を揺るがしているこれら大問題は、ひとつの省庁がどうの、官僚個人がどうの……という問題ではないと感じます。
それはまさに社会における「言霊」のなさ、つまり「コミュニケーション」の欠如という大きな問題なのです。
皆さまの生活の中でも、どんなに注意を払っていたとしても必ずトラブルは起こってしまうことでしょう。ましてや社会は「人間関係」で出来ていますので、自分の意見がすべて通るものではありません。社会経験の少ない方なら尚更かも知れません。今、大切にしなければならないことは、このコミュニケーションなのでしょう。
さらに言えば、「オーラ・コミュニケーション」です。
社会の中で上手くコミュニケーションをとるには、「本音」を言えばよいというものではありません。
処世術の中には「本音と建前」という考え方もあります。そんな中でも、生活の最大のリスク・マネージメントは「真実を話す」ということでしょう。
「本音」ではありません。「真実」が大切なのです。
真実を話すためには、その瞬間だけの「つくろい」では「言霊」は成り立ちません。前々からの行動や準備も必要です。それら一連の行動が「その人にとっての真実」を作り出します。
昨今の社会問題のように、前々からの行動に後ろめたい部分や間違った認識がある場合、どんなに言いつくろってもそこに「言霊」は乗りませんから、その人から「真実味」は伝わりませんし、そこに、人は「違和感」を感じてしまうのです。
人のコミュニケーションは「言語」だけではありません。
「しぐさ」「表情」など、多くの要素が含まれて「相手への印象」が出来上がっています。そしてそれ以外に存在する大きな要素が、その人が醸し出す「雰囲気」、すなわち「オーラの輝き」です。
「オーラ」は「肉体」とともに人間を構成する大きな要素である「生命力(私は生体エネルギーと呼んでいます)」が発する輝きです。
健康を含め、肉体を磨くことも大変大切なことですが、もう一つ、自分の生命力である生体エネルギーを磨くことも生活を輝かせる大きな要素となっているのです。
これは肉体と同様に訓練することも可能ですし、考え方一つで輝きだすこともあります。そして最終的には輝くオーラが乗った「言葉」で社会が満たされればそれが素晴らしいコミュニケーションになることは言うまでもありません。(2018年5月)
4月は新しいことが始まる季節です。
この季節には、桜の花の華やかな開花とともに「新」という言葉が社会にたくさん見られる季節でもあります。
「新年度」「新入生」「新入社員」……。今月から学校を卒業し、社会に飛び込み、新しい世界を経験する人も多いことでしょう。「新」を経験する人にとっては希望と不安のひと時でしょう。
現代社会には多くの「仕事」があります。
それこそ普通では想像も出来ないような職種もたくさんあるようです。
また、身の回りの品物のどれをとっても、その品物に必要なさまざまなものを作っている人たちがたくさんいます。
今、このコラムを軽快な音楽を聴きながら書いていますが、普段何気なく聞いている音楽も、それが出来上がり、私たちの耳に届くまでには想像を絶する「人の手」が必要です。「音楽を作曲する人、それを演奏する人、演奏に必要な楽器を作る人、アレンジをする人、録音する人、録音スタジオを作った人、録音を調整する人、マネージメントする人、音楽を配信する人、音楽を聴く機械を作った人……」。
それこそ数え切れない人の手を経て音楽は私たちの耳に届きます。何と社会は多彩なことでしょう。
よく「自分に向いている仕事はなんですか?」というご相談をいただきますが、私はまず最初に「とにかくまずは目の前の、ご縁のあった仕事を一所懸命にやってみて、それが楽しめるかどうかを試してみることが大切」だとお伝えしています。
ちなみに、チャネリングによって垣間見る、はるかに進んだ人類の仕事はだいたい3つくらいしかありません。
芸術家、学者(探求者)、外交(他の人類との交流)です。
もともとエネルギー的存在ですから、肉体維持のための「行動」や「もの」は必要ありません。ですから経済もありません。従って、仕事も対価を求めるものではありません。純粋に自分の興味によってやりたいことが仕事になります。理想的な社会です。
ここまで究極の世界になると「仕事に向き合う本質」は、「自分の好奇心を満たすこと」「相手に感動をもたらすこと」「他人と共存のためのバランスをとること」という生命の根源的な欲に特化されて行きます。
もちろん権力欲や金銭欲などは存在しないので仕事に影響を与えません。あまり他人との比較や優位性という視点もないのです。
まだまだこの感覚を私たち地球に直接当てはめることは出来ません。でも私たちは「その片鱗を持っている」ことは確かです。
今、また世界が大きく動こうとしています。
主に政治が話題になっていますが、日本ではまたまた「森友問題」が再燃し、近隣ではロシア、中国が一個人に強大な権力を与え、またアメリカまでも巻き込んだ「北朝鮮関係」が動こうとしています。
ここで非常に興味を引かれることが「一般人の考え方」です。
これは何かと言うと「普通の人が普通に考えること、基準」という意味です。
ここには「権力」の力は考慮されず(権力を持っていないのですから当然ですが)、「単に平和に生きて行きたい」という単純で基本的な考え方が反映されています。実はこれが非常に大切なことだと考えています。
日本では「プロ中のプロ」と言われる行政マンが命取りともいえる犯罪的な行為を犯している疑惑が出て来ました。
政治家が関与したかどうかが問われていますが、そんな「証拠を残す」ようなことは政治家であればやらないでしょうし、一般的に考えれば公務員がわざわざ犯罪行為を犯すことは考えられません。
しかし、現実に事件は起こっています。
「普通の人が考えておかしなことを、プロ中のプロがやって」しまいます。
北朝鮮の武装問題を考えて見ましょう。基本的に解決策は2つしか考えられません。
「戦争」か「話し合い」です。
戦争は最も避けなければならない問題ですから、解決方法のベストなものは「話し合い」しかありません。
日米は「徹底的な制裁で一致」していましたが、韓国の動きによって形勢が変化しました。そして何よりも「政治の素人」であるトランプ大統領の一言で「対話の道」が開かれました。先行きはまだまだ不透明ですが、一般人が考える「対話」に少しでも向いて行くことは良いことでしょう。
「素人考え」恐るべし! です。
日本は政治を筆頭に「一般人が考える」方向とは逆に動いているようです。人生に「もし」はない! と言われますが、今回の森友問題なども、もし私が野党の議員であったとしたなら、「政治家関与の証拠はないかもしれない。しかし何故プロ中のプロがこんな行為に出たのかを考えるのは国民の皆さんの義務です。今こそ民度が問われています!」と国民に訴えるでしょう。
進化した世界での仕事の原則は「相互の生存を保つためのバランスを取る事」、「如何に他人に満足感を与え、自分も満足するか」、「未知なものを知る好奇心」に基づいて行われます。
今、我々にも問われているのは「誰のために、何のために」行動するのか? という「人生を生きるための意義」なのだと思います。
チャネリングは、いつもこのように生き方の見本を我々に教えてくれる貴重な情報になっているから面白いのです。
(2018年4月)
95年前に関東を襲った地震。
関東大震災と呼ばれるこの災害では、火災が併発したことによって多くの家屋が消失し、被害が拡大。それに伴い多くの人命が失われました。
歴史に残る悲劇的な災害です。
この大震災の裏ではもう一つの悲劇が起こっていました。
それは、ある「噂」によって無実の人々が虐殺されたことです。
関東大震災時には多くの「噂」、すなわち「未確認情報」が流れたようです。「大きな地震が再度やって来る」「東京が津波に襲われる」「富士山が噴火する」などがあったと聞きます。
その中でも日本に住む一部の人たちを対象とした人種差別的噂が悲劇を引き起こしたということのようです。
緊急時、特に災害のような秩序が保てない状況の中ではこのような「噂」が大きな力を持ってしまうことが多いようです。
最近は、SNS(ソシアル・ネットワーキング・サービス=主にインターネットによる電子掲示板やコミュニケーションをとるツール)の発達によって個人の情報発信が非常に簡単になりました。
それ以前の情報発信は、主に新聞、ラジオやテレビでしたが、現在では特に若い世代において顕著ですが、ニュースなどはもっぱらスマホのネット経由で読まれることが多いようです。
これ自体に問題はありません。発信の媒体が「紙」から「デジタル」に変化しただけだからです。
時代の流れと言えるでしょう。
トランプアメリカ大統領が声高に叫んでから有名になった「フェイク・ニュース」ですが、これも昔から、各メディアの「主義主張」によって、同じニュースでもその解説と論評がまったく異なるのは当然でした。政府の政策などはこの典型で、
政府寄りのメディアと政府に批判的なメディアでは論調は全く異なってきます。
問題なのは、「事実をそのまま伝える必要がある情報」です。
例えば、「災害時にどこに避難すれば良いのか」、「生きる上に必要な水や食料などはどこに行けばもらえるか」などは正確性が求められます。
そんな情報の中に、発信元すら不明確な「未確認情報」、つまり「噂」が紛れ込むと大変なことになるでしょう。
まだ記憶に新しい東日本大震災でもSNSによる情報が数多く発信されました。
その中には被災者の方々の安否情報や必要とする物資などが被災者側の目線で発信され有効に働きました。反面、やはり多くの「噂=デマ」も発信されました。
原発のメルトダウン後には「ヨウ素を飲むと放射線予防になる」とか「ホウ酸を食べると良い」などが頻繁に発信され、千葉県市原市の石油会社プラントの火災後には「黒い雨が降っているので外出をしないように」という情報も流れました。
これらは実際に私の手元にも流れてきた情報です。
手軽に情報発信が出来るだけに、デマが流れるスピードも恐ろしいほど速くなっています。
「ユーチューブ」などに代表されるネット・サイトではありとあらゆる情報が簡単に手に入ります。
そのほとんどは有効なものであり、さまざまなエンターテイメント情報ではありますが、中にはゴシップやデマ、ヘイト的な発信も含まれています。
それらの情報を受け取る側が、娯楽や単なる噂話として冷静に受け取っている間はよいとしても、それらが日常的に流されていると感覚が麻痺してしまい、自分がヘイトなどを発信することにも抵抗感がなくなってきている傾向にあることが気になります。
「匿名性」が人の本性を剥き出しにする傾向を助長していると言えるのではないでしょうか。
人は新たな技術や素晴らしい芸術を生み出して来ました。
しかしながら95年前の過ちから学ぶことなく同じことも繰り返しています。
このようなことを避けるには、一人ひとりの「個人の意識」を変えるほかありません。
今の社会には「冷静な感覚」が求められているのです。
ここ数年、国家的規模での混乱が多く見られます。
「自国中心主義的な感覚」が蔓延しつつあることは皆様もお気づきでしょう。「アメリカ・ファースト」然り、「ブレグジット」然りです。世界中で「自国ファースト」が急速に広まっています。
これ自体は当然の感覚かも知れません。人間は誰しも「もっとも守りたいのは自分」なのです。しかしながら「人間は集団的動物」でもあります。
「自分一人では生きてゆけない」のが真理です。
ですから「個が大切」ということと「他人との共存」との間のバランスを考える必要が出てきます。
最近、このバランスが崩れてきているのをお感じになるでしょうか。
その原因はいくつかあるでしょう。
中でも、「デジタル革命」は大きな原因の一つと言えます。
人間の感性を越えるスピードを持つこの新しい技術は社会を根底から変えつつあります。それは経済に大きな影響を与え、新たな産業を生み出すと同時に大きな貧富の差も生んでいます。
この「デジタル革命」は経済だけでなく、文化や統治にも影響を及ぼします。技術に追いつかない法律。民族、宗教、地理の枠を超えた情報の流れ……。
デジタルだけでなく、オーラ的にも人類は今まで味わったこともない状況に対峙しています。
ですから、そこから大きな混乱が生じることは想像に難くないことでしょう。
これらは時を経ることによって自然と順応して行くことではあります。しかしながらそれはまだまだ先のこと。
このまま何もしないで混乱を放置して行くと戦争はもちろん、人間の行動自体が環境に悪影響を及ぼし、「人間が自然災害を生む」ということが空想の中の物語ではなくなってしまう危険すらあるのです。
それによって滅びた惑星を私は知っています。
皆様の人生を安定させ、未来にこの素晴らしい地球を引き継ぐためにも、今、人類に求められているのは「冷静な時代を創る!」という強い意志とオーラなのだと感じています。(2018年3月)
以前からセミナーの中でも「共存」のお話しをしてきました。
特に今年は「変化と共存」が大切な年ですので皆様にも更に意識して、考えていただければと思います。
さまざまなチャネリングをしていると、滅亡したり発展したりする惑星の特徴が見えてきます。
そんな中で「変化と共存」の源となる、皆様ひとり一人の「オーラ」が持つ素晴らしい力を紹介してゆくのも私の役目だと考えています。
ここからちょっとだけ硬いお話し……ですが、少々お付き合い下さい。
今、もし地球で、戦争が起こったとしたら「核兵器」を使ってしまう確率は非常に高いと言えるでしょう。
そうすると全人類の滅亡とまでは行かないかも知れませんが、相当な打撃を蒙むることは誰が考えてもわかることだと思います。
ほんの少し冷静に考えただけでも、「これは非常に単純な理屈」のはずです。
しかしながら過去、このような戦争という悲劇は何回も繰り返されています。
また一般的に、「自分がされて嫌なことは他人にしてはいけない」と言います。
これも誰しも「そうだよね!」と思えるものですが、社会の中ではこれが実践されていないことが多いです。
今、社会で蔓延するさまざまなハラスメントなどはその典型でしょう。
あってはならないことですが、今、戦争が起こったとします。
そうするとそれは「誰のせい」なのでしょうか。
直接的には「その時に戦争を始めた為政者」ということになるでしょう。
そしてほとんどの方は「庶民はいつの時代も影響力がない!」と考えると思います。
確かに多くの場合それは事実で、また組織で「上に行こうとする者」は大抵の場合、権力を好む傾向にあります。
しかしその反面、そんな権力者に「ひっぱってもらいたい自分」がいることも否定出来ないでしょう。
実に大切なことは、この部分なのです。
「誰かが考えればいい!」
「誰かが何とかしてくれる」……。
チャネリングで得た惑星の滅亡例も、この小さな一人ひとりの「考え方」から始まっていました。
これは非常に難解な問題を秘めています。
というのは「全世界の、ほとんどの人間が争いを求める」わけではないでしょう。
しかしながら「戦争を始めてしまう」という事実が起きてしまいます。
これはあなたの気持ちの中に、「間接的に戦争を認めてしまう気持ち」が存在している可能性があります。
「気に食わないからやっつけてしまえ」
「相手が喧嘩を売ってくるのだからやるしかない」……。
そんな気持ちです。
これらを押さえるのは至難の業でしょう。
だからこそ「そんな想いが束になると現実化してしまう」ということを「意識する」必要があるのです。
よく、「想ったことは実現する」といわれます。
これはまさに人間の想いが束になったときに表面化する事実を指します。
「多くの人が同じ方向のエネルギーを出すことによって、それは大きな力となって社会を動かす」のです。
もちろんこれは集団だけでなく、個人の中にも同じ作用をします。
「強く想えば願いは叶う!」。
このすべてがイエスではありませんが、自分の未来の姿をイメージすることは自分を成長させる第一歩でしょう。
今年からのバイオリズムはまさにこんな傾向が強く表面化する波動となっています。
社会的にも個人的にも想いが表面化しやすい流れといえます。
これからは、ますます「考え方」が重要になって来るでしょう。
今年の「変化」には2方向の考え方があります。
一つは「バイオリズムの流れによって自然に変化する」という要素。
そしてもう一つは「自分が意識して変化する」というアプローチです。
エネルギーの流れから見ると「外からの影響と内側からのエネルギー」ということになるでしょうか。
ですから、これからは「変化している」と感じるときには、それが良い方向ならば波に乗る努力を。そしてあまり良くない方向であるならば、止まらず、尚更「変化の努力をしてみる」必要があるでしょう。
良くない流れはあなたのエネルギーが滞っていることを示す可能性があるからです。
オーラのエネルギーは血液と同じです。
常に循環が必要なのです。
変化が起こると、今までの物事が混乱することもあるでしょう。
まさに今はこんな時代だと感じています。
ですからここで考えるポイントは、
「混乱の基になっている問題は何か?」
「どのような方向に進むことがよいのか?」……です。
そして、それを考えることの基準が、今年のもう一つのキーワードである「共存」即ち、バランスです。
現在の地球はテクノロジー、経済などすべての場面においてバランスを欠いています。
同じ地球に暮らしていても広がる格差、これは同じ国の中においても言えることでしょう。
今年から益々、皆様と一緒にこれらを考えてゆきたいと思います。
一人ひとりの「オーラの力」がまとまれば変化を促せるからです。
人間が惑星をコントロール出来ると過信するならそれは誤りです。
自然のシステムは「その上でしか生活できない人間という生命」を排除することはいとも簡単です。
もちろん「排除しよう」という意思などはありませんので却ってやっかいです。
神様などがいて「人間を懲らしめる」というのであれば何とか神様に謝って、悔い、改めれば良いのですが、現実は、自然のシステムが相手となりますから「謝罪」などは全く通用しません。
自然の許容量以上バランスを崩したらもう手遅れになります。
ですから、せめて人の手の及ぶ社会システムくらいはバランスさせなくてはいけないのです。そろそろ地球のバランスも微妙なところまで来てしまっている波動を感じています。
遠く、未来の子どもたちに、この環境を残すためにも、今「オーラ力」を「変化と共存」に向けてふんだんに発揮することが大切なのだと痛感しています。
「想いは実現する」は本来、こういう意味なのです。(2018年2月)
皆様に、心から新年のお慶びを申し上げます。
明けましておめでとうございます。未来創学アカデミーに対しましての日頃よりのご支援、ご協力に感謝を申し上げるとともに、本年も何卒宜しくお願い申し上げます。
最近、よく「社会の変化」という表現を使わせていただいています。皆さんも日本のみならず、世界全体を眺めても、流れが大きく変わっていることを感じることがあるかと思います。
政治的には「自国ファースト」の波が全世界に押し寄せています。これは何もアメリカだけに限ったことではなく、イギリスでも起こり、中東地域でも、そして「国」というくくりだけでなく、
スペインのカタルーニャ地方に代表される地域の独立機運や、民族、宗教による離合集散も激化しています。
これらには大きく二つの原因があると思います。 一つは、「人間の特質」です。人は身近な、価値観を同じくする集団に属したがる傾向があります。最もこれは人間だけに限らず、「動物の習性」といえるかも知れません。そして究極は「自分ファースト」に至ります。哲学にも「自分が存在しなければ社会は存在しないも同然」という考え方があるくらいです。ですから今の社会の流れが小集団にまとまろうとする傾向が強くなっているのは本能的に当然なのかも知れません。
二つ目は、今の世界の「分布」を定義しているのは、すでに70年も経過した世界戦争「第二次世界大戦」の価値観であるということ。争いですから当然「勝ち負け」がありますが、そんな勝ち組の理論によって形作られた国境線や価値観への反発が表面化しているという傾向があります。まさに朝鮮半島問題などは最たるものでしょう。
つまり、現在の「社会変化」の底流には、過去の価値観への疑問と世界を見回したときに感じる自分の「立ち位置」の不公平感などの噴出があると考えられます。まさに「必然の変化」です。 また経済の面でも大きな変化がやってきています。これにも二つの大きな要素があります。
一つは、「先進国の行き詰まり」と「途上国の発展」です。これは至極当然のことで、ものが有り余ってくればそれ以上は売れなくなりますし、物が足りない人々は豊かになろうと発展を目指します。これも人間の本能でしょう。ですから経済的勢力図が変化して行くのは必然です。
そして二つ目は「大いなる産業革命」とも言えるIT技術の発展です。これによって世界は劇的に変化し、生活も仕事も考えられないようなスピードで変化をしています。
変化の目に見える例は「通貨」に顕著に現れています。通貨は長い間「国家の信用」が裏づけとなり利用されて来ました。しかしながら最近ではそれらが電子決済となったり電子マネー、そして究極の「国家を通さない」、ましてや誰が作っているのかもわからない「仮想通貨」も流通し始めました。人間はまだまださまざまな新しいものを生み出して行くことでしょう。
そこで必要になってくるものが、「好奇心」であり、好奇心によって沸き起こる「創造力」です。どれだけ社会に対して好奇心を持って望めるか。そしてその好奇心を活かしてどれだけ創造力を働かせられるか。このことがこれからの人類の行き先を決めるといっても過言ではありません。
人の創造力には限界があり、自分が知っていることしか創造が出来ないといわれます。
これは正しいと思います。経験豊富な人、見聞の広い人ほど発想が豊かであり、許容範囲が広いことが多いのは確かです。例えば日本は戦後、欧米諸国、特にアメリカを見ながら発展してきました。そこに改善を重ね、世界有数の国にもなることが出来ました。しかしながら空前の発展を遂げた後に来たものは「少子高齢化」という人類が始めて体験する世界でした。お手本を失った日本が直面する問題です。自分が知っている範囲でしか創造が出来ないとするならば、私達人類は早晩行き詰まってしまうでしょう。
しかし、この「知っている」という範囲は地球上だけのものではないのです。人間の歴史は宇宙的な広大さを持っています。生命の発生から第九段階の進化に到るまでの膨大な知識と見本があります。もっと具体的に言えば、先ほどのIT技術の発展と貨幣の進化です。惑星「ゼータ」のチャネリング情報を見ると、進んだ未来の貨幣経済はすべて電子決済的な方向に進んでいます。ですから地球上でのこの方向性は「必然的方向性」だといえるでしょう。原発など原子力に代表される、まだ人間がコントロールしきれない技術はどうでしょうか。これは「ソリス」のチャネリング情報が反面教師になります。行き過ぎた「技術」が惑星環境を破壊して人類は滅亡してしまいました。
「自国ファースト」などの流れはどう見たら良いのでしょうか。これは「ミラナス」の情報が役立ちます。進化した人類は「合意形成」に情熱を燃やし、満足感を見出します。そこから学ぶことは「社会の分裂」ではなく、「人類の相互理解」だということがわかります。そんな視点で社会を眺めると、現代は技術の使い方の一部は進化し、合意形成では真理に反していることがわかります。 進化の「お手本」は皆さんの魂に刻み込まれていて、もっと好奇心を持って社会を眺め、創造力を働かせると、まだまだ新しいものが見えてくるということなのです。
今年は、「より深い心の視野」を持って創造力を働かせると、更に人生が豊かになるということを実感していただきたいと思っています。(2018年1月)
とうとう今年も残すところあと一ヶ月となりました。
今年の日本の秋は週末ごとに台風に見舞われ、なかなか心がウキウキする「行楽の秋」とは言いにくい天候だったのではないでしょうか。日本はこの季節「紅葉」が美しいのに残念でした。
そんなすっきりとしない流れの中で、社会にも同じようにすっきりしない状況が見られました。
最後まで国民が納得しがたかった「衆議院解散総選挙」、「トランプ大統領の来日」、毎日騒がれる「実感のない株高、好景気」、日本産業をリードする「自動車会社の不祥事」、世界の犯罪史にも残りそうな「猟奇的な殺人事件」……。
今、あきらかに社会の「流れの変化」を感じています。
ある意味、これらはいつの時代にも起こっているありきたりな事柄かもしれません。しかしながら、さまざまな部分で「違和感」を感じます。
ここのところ皆さんにも「社会で起こる事柄をいろいろ考えましょう!」と提案させていただいています。それは社会的オーラの流れを実感して、
今後の流れを良くしていくためでもあります。いつも申し上げることですが、社会の流れは、「一人ひとりの人間の発するオーラの集合体」だからです。
秋からの出来事の一部をご一緒に、ちょっとだけ考えてみたいと思います。
まず、突然の「衆院解散総選挙」。頻繁に「大義」という言葉が使われました。選挙に「別にそれほど大袈裟な理由が必要? 議員なんてそんなものでしょ!」と言われてしまえばそれまでですが、少なくとも「誰のため!?」というくらいの理由は必要なのではないでしょうか。そしてこの「誰のため」の主体はもちろん「国民」であって欲しいものです。解散権を持つ当事者は「もちろん国民のための解散!」と胸を張ることでしょうが、そこに「今が勝つ絶好のタイミング」という事情が透けて見えてしまうのが残念なところです。そして、それに反応する国民もあまりものを考えていないのではないかという違和感が残ります。
そしてアメリカ大統領の初来日。ご令嬢が先に来日し、そのファッションなどが大きく報道されましたが、大統領補佐官としての活動はいまいちで、アメリカの報道機関は日本のメディアのあり方に疑問を呈しました。そしてご本人が来日し、日本の首相との親密ぶりをアピールしましたが、そこに見えるオーラは明らかにビジネスマンのそれで、世界一の大国を率いるリーダーのものではないと感じます。政治家が経済を引っ張り、一点突破すること自体に異論はありません。それも一つのやり方でしょう。しかしながら今回、アジア各国で目立ったセールスが、「武器輸出」に過度に偏った物だった点に違和感を感じるのです。
政治が目指すものはただ一点「争いのない社会の実現」です。何故ならば、人間は放っておいたら必ずと言って良いほど「争う」ものだからです。
ですから、政治家に与える権力は、争いを止めることに使うためにあるのです。
古来より戦争は「領土拡大(食料の確保)と遺伝子を広める」ために起こるといわれます。現代ではこれらの要素が「金銭=経済」に置き換わりました。ですから戦争の原因は「正義」ではなく、
「経済」から起こることがほとんどです。ですから各国共に「自国の経済を充実させる」ために躍起になるのは自然なことのように思えるのですが、
あまりにもそれが露骨であり、日本においてはその原理さえ忘れて「国際的に認められたい」という誤ったリーダー意識を感じることが最大の違和感になっています。
次に国内の経済問題です。毎日のように大企業の黒字決算が報じられ、景気回復が叫ばれますが、
実感を伴っているのはごく一部の人間でしょう。本来の景気回復は国民全体がそれを感じることが重要ですが、現在日本政府が唱える「トリクルダウン政策(註:「お金持ちがよりお金持ちになれば、そのお金が使われだんだんと下に流れてくる」という考え方)」はもっともらしいものではありますが、今、世界中を席巻する「金融」に過度に依存した経営手法ではなかなか通用しません。
詳しく語ると長くなりますが、簡単に言えば、「現在の経営手法はトップに厚く、若い世代は給料が増えないビジネスモデル」が出来上がっていて、なかなか上からお金は降ってこないのです。この辺のモデルを変えずに古い手法を使い続けているところが違和感となります。
また日本を代表する自動車会社の不祥事も続いていますが、確かに現行の法律からすれば明らかに「違法」なのですが、その法律やシステムそのものが「時代遅れ」であり、そちらを変える必要があると思えます。
そしてまた、異常な犯罪が発生してしまいました。被害に合われた方は本当にお気の毒であるとしかいえません。しかし、ここにも視点を変えて注意しなくてはならないこともあります。犯罪に巻き込まれるということは珍しいことではないかも知れませんが、あまり多いものでもありません。
犯罪に遭遇してしまう確立が上がるのは「危ないときに危ないところに行く」ことです。今回はまさにこのようなちょっとした「心のスキ」を狙った凶悪犯罪でしょう。「異常なものに近寄らざるを得ない心境になる社会環境」に大いに違和感を感じざるを得ません。
年末を迎えて考えることは「来年こそは良い年でありますように!」ということだと思います。
ここまで考えて来たように、「社会にある違和感」を皆さんが少しでも意識して、改善しようとすると、そのオーラが社会に広がり、それに反する人たちを良い方向に変えて行くパワーがあるということを知っていただきたいのです。
一人でも多くの人が、世界に向けてヒーリングのパワーを発していただくことで社会は大きく変わることでしょう。
あなたには、そんな凄いパワーが宿っています。 是非とも、来年を素敵な年にして行きましょう。(2017年12月)
「変わる」ということはとても難しいことなのかも知れません。
つい先日行われた選挙を見ていてもつくづくそう思います。彗星の如く現れ、躍進が期待された集団もリーダーの「ほんの一言」で見事に失速。一般国民が普通に考えても「それはないだろう!」と思われる態度を人は取ってしまうようです。なかなか一度備えてしまった雰囲気、態度を「変える」のは難しいのかもしれません。
反面、地位や立場は変えやすいのでしょう。野党のドタバタ劇は大変興味深いものでした。でもこれは何も野党に限ったことではなく、その時々によって与野党ともに起こる出来事です。
選挙に慣れ、何度も同じような離合集散を見せられてきた皆さんには、これらの動きは既に「当たり前」の光景かも知れません。しかし今回、初めて選挙権を得た10代の方々には「奇異」に移ったことかと思います。大人たちの、それも日本を引っ張る人々の行動ですから、まさに「反面教師」となったのではないでしょうか。
また、今回ほど「言霊」を意識させられた出来事もありませんでした。
「言葉に人の想いが宿る」と云われるこの「言霊」ですが、これは非常に大切です。「人は言葉によって動く」……まさにその通りで、これは演説が上手いヘタとは関係なく、その人の「本心」「想い」がエネルギーとなって言葉に宿り、相手に伝わるというテレパシーそのものです。
戦略や計算がどんなに正しくても、それを伝えるテレパシーである「オーラが宿った言葉」、すなわち「言霊」には本音が現れてしまうのでしょう。
今回の選挙ではこんな「負の言霊」が有権者に伝わり、一瞬にして多くの人々の夢と思惑を打ち砕いてしまいました。
「言霊恐るべし!」です。本当に一日一日が勉強になり、見逃せない……そう思います。
そして同様に「変わること」の難しさも学べます。
「変わらないこと」も大切ですが、「変われない」ことはもっと問題になります。
人は毎日成長しているので、常に変化しているはずなのですが、自分の欠点を変えることは難しいようです。また「信念を曲げない」ことは比較的良い意味に捉えられがちですが、これも視点を変えると「頑固」と同義語でしょう。真理に反しないような宇宙的「信念」ならば、変える必要もないでしょうけれど、「思い込み」や「偏った信念」は困ったものとなるでしょう。
同時に、社会も動き、変化しています。ですから、昨日までの常識も、明日には非常識に変わってしまうこともあります。人間の考え方や想いも常に変化をしているものなのです。
ここで大切なことは「常に考え、探求して行く」ことだと思います。
さまざまなチャネリング情報の中で、私たちより高度な進化をしている人々の話を聞くと、その旺盛な好奇心に関心させられることが多々あります。常にさまざまなことに興味を持ち、不思議がり、その答えを見つけようとしています。
それが彼らの価値観であり、人生そのものだからなのでしょう。
「知的欲求を満たす」……。これこそが高度な進化を遂げた人類の生活であり、楽しみと言えるでしょう。
ですが我々地球人は肉体という物質的部分を持った生物です。純粋にエネルギー体として生きる彼らとは組成があまりにも違いすぎるので、どうしても生きてゆくために食糧が必要であり、環境に適応するために文明も作り続けます。
その為、生産の工夫など徐々に作り上げて行くものには適応しますが、その反面、「ヒラメキ」という発想部分の感性は鈍く、また積み上げたものを変える「変化」にはなかなか付いて行けないことがあるのです。
しかし、時代は変化をします。それは個々の人々が意識するとしないとに関わらず訪れます。
まさに今の時代は、急激な「変化の時代」と言えるでしょう。
そこには二つの大きな「変化」があります。
一つは、地球的なデジタル文明の発生であり、もう一つは宇宙的なアセンション、人間の生命を支えるエネルギーの進化です。
デジタル文明において変わらなくてはならないのは、今までの時代を築いてきた世代です。これには多くの力と時間をかける必要があるでしょう。
そして旺盛な好奇心が必要です。年齢などには関係なく、「変わろう」とする意識がオーラを輝かせ、その人を魅力的なイメージにすることでしょう。生きて行く上でとても大切なことです。
そして、もう一つの「エネルギーの進化、次元上昇の波」です。多くの人間が「探求」の意識に目覚め、新しい視点、宇宙的な視点で社会を眺めるようになるでしょう。そうすると間違いなく社会は大きく変わって行きます。 それは当然良い方向への変化です。
今の社会混乱は、その変化のスタート地点に立った過渡期へ入る混乱と言えるでしょう。
世界は今、さまざまな分野で比較的「独裁」的な方向に向かっているように見えます。政治にも産業にもそんな流れを感じる方も多いことでしょう。これは過去長い間定着してきた資本主義などの「思想」の変化を示しています。だんだんと究極の姿が見え始め、そこにある矛盾や問題点が浮かび上がってくる過程と感じています。確実に変化の波が近づいているのです。
何故、人間は変化しなくてはいけないのでしょうか。宇宙的に見て、人間は究極に向かって常に「進化」し続けている生物だからです。
それが本来の姿だからです。
それならば「変化すること」を楽しんで見ましょう。その「コツ」は、「気づいたところからほんの少し変化させてみる!」です。自分の中に「新しい発見」が必ず出来るはずです。(2017年11月)