☆超能力開発のコツ!(全編)


 

 最近、頓に「コミュニケーション不足」が根本原因である事件が増えてきているような気がします。子供たちに悲劇をもたらしている「いじめ問題」。教師と子供たちのコミュニケーションは、保護者と教師のコミュニケーションは、親子のコミュニケーションは…。これらの改善なしにいじめ問題の解決はないでしょう。また、ここのところ日中韓の領土問題が一段と騒がしくなっています。この問題は、今に始まった事ではありませんが、何故ここにきてこんなにも問題になっているのか。国際的な問題だけでなく、国内に目を向けても政治家と国民の乖離ははなはだしいものです。社会においてもセクハラやパワハラ。管理職も働く側もハラハラしています。しゃれにもなりません。

 「コミュニケーション」の意味を辞典で調べると…1.社会生活を営む人間が互いに意思や感情、思考を伝達し合うこと。言語・文字・身振りなどを媒介として行われる。「―をもつ」「―の欠如」2.動物どうしの間で行われる、身振りや音声などによる情報伝達。(大辞泉)とあります。人間に限っていえば、意思、感情の伝達だけでなく、思考も含めた疎通行為です。ですから考えてから伝達するのが人間のコミュニケーションということになります。日本語には意思伝達のときに必要な条件を表す単語が数多くあります。「理解」「忖度」「おもんぱかり」「熟慮」「顔色を伺う」「裏読み」「配慮」等々が思い浮かぶでしょう。どの言葉も「相手の考えを読む」というニュアンスがある言葉で、詰まるところコミュニケーションとは「相互理解」ということに尽きるでしょう。 前記した、現在社会問題となっているさまざまな問題もこの「相互理解」が欠ける言動から起こっています。相手をいじめたら、相手はどんな思いでいるのか。まだ未熟な社会意識しか持っていない子供が集団から阻害されたらどうなるかを教師や大人は理解しているか…。領土問題もお互いが主張するだけでは、最終的な解決の道は「力ずく」、すなわち戦争しかありません。歴史はほとんどがその事実を示しています。セクハラ、パワハラなどは「気持ち」のあり方の典型でしょう。同じ行為であっても受け取る側の好意、理解度によってまったく逆の評価となります。どれを取っても昨今の問題のほとんどが、「自分の立場、思いだけを前面に押し出し、相手のことを考えない」で発言したり、行動したりする、コミュニケーションの不足というところに大きな原因があることに間違いはないようです。

 いつから日本人はこれほど意思疎通のへたな人間になってしまったのでしょうか。先日、テレビで戦後の政治を取り扱ったドラマを放映していました。吉田茂元首相を扱った番組です。勿論テレビドラマですから誇張もあり、また「キレイ」に描いているところも多いことでしょう。それを踏まえても、現在の政治状況と比べると、あの時代の政治家が如何に堂々とし、強い理想を持っていたかが想像出来ます。当時の首相であった芦田総理が吉田茂に向かって問いかけます。「あなたは日本をどうしたいのか」。吉田が答えます。「日本を世界一の国にしたい。」と。その後に、「日本人は勤勉で誠実。思いやりのある国民である」と続きます。それを受けた芦田総理は「あのアメリカを抜いてか!でも理想は大きい方が良いかもしれぬ」。 この会話が実際にあったかどうかはわかりません。脚色でしょう。しかし、あの時代の政治家なら、「事実かもしれない!」と思わせられるところが凄いのではないでしょうか。今の政治には、このような期待感が持てないところが残念なのです。

 このように人間のコミュニケーションの裏には確固たる信念と「思い」がなくてはいけません。本来のコミュニケーションとは、『相手の気持ちを「おもんぱかり」、「忖度し」、「思いやり」、その上で「熟慮」し、相手の立場を「配慮」して』行う意思疎通なのです。何と面倒くさいものでしょうか。しかし、それこそが「人間関係」なのです。本来、人間はその面倒くさいことを面倒くさいと考えずに行えるのですが、文明が発達し、人間同士の直接的な交流が減ってくると、まずいことに「面倒くささ」が表に現れてくるのです。原因は明白です。機器が発達し、多くの作業から人手が開放され、楽になったことは良いことだったでしょう。しかし、チームワークは損なわれました。ⅠT技術も発達し、ますます人間同士の直接的な会話は激減しています。原因は技術の発達というより、今、人間は革新的な技術の発達速度に追いつかず、「技術に使われている」というところにあると考えます。ITの発達は大変便利です。しかし、いつの時代も人的交流が重要で、本来は「直接、会わなくてはならない」場面でも技術に頼り、いつの間にか「横着」をしているのではないかという反省が必要でしょう。将来的には、その技術の良い点、悪影響を十分検証し、「この場面で電子メールで済ますのは失礼だ」とか、「ここ一番、どうしても直接会わなくては」などの使い方が熟成されれば良いのでしょう。ゆめゆめプロポーズをメールでしようなどとは思わないように。 未来創学的に述べれば、人間はお互いの生体エネルギーの交流をしていないと、自分のエネルギーも刺激を受けられずに「弱体化」してゆく、ということです。人間同士の交流は良いことばかりではありません。相手と会って嫌な思いをすることも多々あります。しかし、少しずつ、このような違和感のあるエネルギーも受けておかないと、自分の抵抗力が弱まってきます。そうなるとどうなるか。許容量が減ってゆき、ちょっとしたことでも相手に突っかかってゆくという、続にいう「キレやすい」という状況に陥ります。逆に、エネルギー交流の多い人は、なかなか物事にも動じず、思いやりを持った熟慮が出来る「幅の広い人間」になることが出来るといえるでしょう。最近、若い方々の就職条件にやたらと「コミュニケーション能力」というものが求められる傾向にあるようですが、本来それは酷というものです。また若い方々は学生時代こそIT機器とはそこそこに付き合い、「人に会うこと、人と交流すること」を心がける必要があるということです。このエネルギーというのは「思い」という言葉で置き換えても良いでしょう。

 皆様は、「超能力」というと、どのようなことを思い浮かべられるでしょうか。スプーン曲げや、隠した絵を透視する等ということが多いかと思います。勿論、そのような行為も超能力には違いありません。でも日常役立つ超能力とは、人を癒す「ヒーリング能力」であったり、相手を読み解く「テレパシー」です。これらの片鱗はどなたでも一度は感じたことがあるでしょう。初めて会った人なのに、相手のことが何となく理解できる。子供の痛みを案じ、手を当てたら楽になった。などの経験があるのではないでしょうか。これらの能力を恒常的に使えるようになったら、どんなに素晴らしいことでしょうか。人間の究極の幸せは、「自分の思い通りに行動できること」かもしれません。しかし、現実社会ではそれは叶わぬ夢でしょう。とかく自分の意見は認められず、周りからは邪魔をされ、なかなか他人は自分を理解してくれません。このストレスから開放され、自分の思いが通りやすくなったらどんなに楽でしょう。これは決して不可能な話ではありません。相手を読み、理解し、接点を想定し、相手の嫌うことを極力避け、相談したり、交渉したならばどうでしょう。あなたの思いは、今とは比べ物にならないくらい理解されるでしょう。理解者が出来、協力者が出来、あなたのやりたいことが実現する。また、人間は先が見えないから思い悩み、苦しみます。自分の進むべき道がわからないので悩みます。自分の道や社会の進む方向が見えたらどうでしょう。未来はある程度変えることが出来ますので、問題を事前に解決し、避けることも不可能ではありません。あなたにはそのような能力があるのです。その源泉が、「思いの強さ」、思いのエネルギーなのです。そうは言ってもテレビの画面を見るように将来の道が見えるわけではありませんし、相手を読むといっても「今、どんな台詞を考えたか」などが明確に読めるわけではありません。野球が好きな方なら「3割打者」という言葉をご存知でしょう。ヒットを打つ打率が3割を超えたら、その選手は超一流だということです。人間にはたったの30%がなかなか出来ないのです。勘が鋭く、その的中確立が3割近ければ、あなたはすでに超能力者ということです。人と人とが会うことにより、エネルギーは接触し、影響し合います。それにより自分のエネルギーに耐性ができ、強くなってゆきます。また相手のエネルギーに敏感になり、より相手を「慮る」ことが出来るようになります。ひいては自己実現がしやすくなるということです。

 「超能力開発のコツ」とは、ずばり「思い」のエネルギーをコントロールすること。そして相手を読み、未来を読み、行動出来るようになることです。これで人生のかなりの部分が改善されるようになるでしょう。 それではどのようにしたら「思い」はコントロール出来るようになるのか。要素は3つあります。第一に、先ほどから記しているように、「人との交流を積極的に行うこと」第二に、「思いのエネルギーが重要である」ということを「意識」すること。第三に、ことあるごとに「思い続ける」こと。三番目がわかりずらいかも知れません。相手を読めたり、未来が読めるということは、言い換えれば「ひらめく」ことです。この閃きは知識での解決ではありません。知識をいくら積み重ねても解決出来ないことはいくらでもあります。そんな時にはその問題を意識し、「考える」のではなく「思って」下さい。ことあるごとに「思う」のです。そうすることにより、チャンネルが開き、自分の考えを超えたヴィジョンが現れることがあります。これを「勘」といいます。これは宇宙の波動と同調することによって起きる現象でしょう。まだまだこの分野は科学で証明されているわけではありませんが、あらゆる人々がこの「思い」の大切さに気づき、訓練し、配慮してゆけば、それは日常化し、理解されてゆくでしょう。人間はまだまだ進化してゆきます。皆様が考える以上に「思い」のエネルギーは強く、重要であるということです。