いろいろ出来なくてもいい!何か「ひとつ」出来ればそれでいい!
今年の桜は随分と早く咲いてしまいました。同じ桜の花を愛でるのにも気分の違いというのは面白いもので、いつ咲いても桜は桜であるはずなのですが、今年は何か気分がいまひとつ乗りにくいのは私だけではないでしょう。食べ物でも、おなかが空いて待ちにまった食事はどんなものでも美味しくいただけるし、苦労して手に入れたお気に入りのものは、それを手にしたときの感慨もひとしおですが、棚から牡丹餅(それはそれで嬉しいですが)とかあぶく銭は身につかないといわれるように、人には渇望感が大切なようです。今年は比較的寒い冬という感じでしたが、3月に入って急に暖かくなり、桜も我々が期待する間もなくあっさり満開になってしまいました。何れにしても桜の花の美しさは変わらないのですが、物事にはタイミングが大切なのだと感じます。
タイミングといえば、人の言葉も同様で、必要なときに必要な言葉を伝えないと、後々後悔することも多いでしょう。また同じセリフもそれを伝えるタイミングを間違うと全然違った意味に受け取られてしまいますので、人間関係というはやっかいです。人間はこのコミュニケーションの上手い下手によって人生も随分と違うものになってきます。TVドラマなどはまさにこのコミュニケーションをはずすことによってストーリーを面白くしている典型で、主人公はだいたい必要な場面で必要な言葉を相手に伝えられずにいて窮地に陥ってしまうパターンです。ここ何年も前から韓流といわれるドラマ群が大変な流行となっていますが、この韓流ドラマの醍醐味もコミュニケーションとタイミングの「ずれ」にあるといえるでしょう。
タイミングは相手との「阿吽の呼吸」で量られます。阿吽の呼吸とはまさに字の如く、呼吸を合わせることであり、エネルギーを交流させることですから「もし、私はコミュニケーションが下手!」という方がいらっしゃったら、それは十分に直すことができます。まず、相手の表情や動きをよく見る(観察する)ことです。コミュニケーション下手な方は、概して相手の表情を見ることさえも恥ずかしがってしまいます。ですから会話のタイミングがわからずに、変なところで発言をしてしまい、尚更気まずい雰囲気に陥ってしまうのです。子供時代から「話をするときには他人の目を見て話せ」と教えられるのはこのためですが、またそれはそれで見つめすぎると変に思われてしまうからやっかいです。「だからコミュニケーションは難しいんだ~」と思わないで下さい。秘伝をお教えしましょう。それは「相手の目を見つめる時間は大体5秒くらいにする」ということです。これでほぼOK。その理由は「コツ」の二つ目にあります。
コミュニケーションのコツの二つ目は「場の空気を読むこと」です。大体コミュニケーション下手な方は「それが出来れば苦労はしない!」と思うでしょうが、その解決策が「5秒」なのです。場の空気というのは相手の発言内容で決まりますが、場の空気が読めない方のほとんどが、相手の発言内容を「うわのそら」で聞いています。内容が把握できないからタイミングが狂います。それを解決するのが「5秒」です。
何で5秒なのかというと、それは人間が言葉を発するときの、呼吸をする間隔です。もちろん人それぞれ呼吸のタイミングは異なりますが、だいたいワンフレーズを言い終わるのに5秒くらいかかり、そこで人は「一呼吸」するのです。ですからあなたは相手の呼吸に合わせていったん目を逸らせれば良いのです。そうすれば、相手の表情を無理なく眺められるようになり、ワンフレーズごとに相手の言葉を理解出来るようにもなり、会話のタイミングも上手くなるでしょう。コミュニケーションというものは、雰囲気(オーラの流れ)と呼吸で成り立っていると思って下さい。この二つの要点を押さえて練習すればコミュニケーション下手は十分克服することが出来るでしょう。原因を知って対策を取ることが成長の原動力となります。 タイミングを合わせるにはコミュニケーションのとり方の他にもう一つ大切な要素があります。それが「準備」です。
最近の典型が、現在の安倍政権、自民党政権です。自民党はかつて長期に政権を担い過ぎたために感覚が麻痺してしまい、3年前に民主党に政権を譲ることになってしまいました。長年政権の座にあった先生方には耐えがたき屈辱であったことでしょう。また安倍首相自身も以前にその原因をつくった一人でもあります。しかしながら今、現政権は次々と政策を打ち出し、決定をし、まあまあの評価を受けています。安倍首相自身も、以前の政権を投げ出した時とは打って変わって積極的に判断し、行動しているように見えます。ここで政策の是非は問いませんが、今のところ政権運営が上手くいっているように感じられる大きな要因は、自民党が3年間で「準備」をしてきたという点でしょう。この3年間辛酸をなめながらも、「自分だったらこうする」というシュミレーションをしてきたのだと思われます。逆に政権を失った民主党は政権党になる、事前「準備」が余りにも足らなかったことが政権運営を失敗した原因となっています。実は人間には、この下準備が非常に重要な要素となっています。人間は元来、決して器用な動物ではないのです。どういう意味でしょうか。
この「下準備」というのは、何も仕事の下準備という意味だけではありません。人も一生の中で、その才能を開花させるための「準備」が必要だということです。人間は社会状況が良いとき、そして技術がある程度発達してくると大きな錯覚をします。誤解を恐れず、明確に申し上げると、それは「人間は何でも出来る」という錯覚です。確かに人間にはさまざま多彩な能力があり、いろいろなものを発見し、発明し、進歩してゆきます。しかし、それは「人間」という大きな括りで見たときで、個人という視点で見ると、その才能を発揮する分野は非常に限られているということです。それは才能がなく、いろいろな可能性がないというより、才能を発揮するためには多くの時間を費やすことが必要であるため、いろいろなことを出来ずにいるのが人間だということです。私はヒーラーとして、またオーラ・リーダーとして何万人にも及ぶ方々のカウンセリングをしてきましたが、一人ひとりの人間には必ず、特徴的な素晴らしい才能があります。しかしながら、その、自らの才能を見極めることが出来ずに道に迷っている人が如何に多いかを痛感しています。特に戦後の高度成長からの日本のように、恵まれた(不況とはいいながら世界的には抜群に恵まれている国の一つであることは間違いありません)社会状況の中で、人は勘違いをしやすくなります。自分は何でも出来る。自分にはあらゆる才能があると安易に思ってしまいがちです。そこに落とし穴があったのです。いろいろな事柄を「食い散らかして」いないでしょうか。「時間をかけて覚えること」を省略してはいないでしょうか。今、物づくり日本が崩壊しかけています。それは、技術を開発することの出来る一握りの優秀な頭脳の持ち主がいたとしても、その技術を現実のものとする「職人」がいなくなってしまったことに起因していることは明白です。さまざまなものを発明する頭脳を持つにはそれに向いている才能が必要です。そしてその頭脳を育てるために勉強をし考える時間も膨大です。同じく職人になるにも膨大な時間が必要です。
人間というのは面白いもので、さまざまな才能や可能性はあるのでしょうが、実は人生で実現できることは本当に数少ない部分であり、時間的にも、限られたことしか出来ないというのが真理なのです。だからといって落ち込む必要はまったくありません。むしろ逆です。「人には必ず特徴的な才能があります。何でも出来る人間などというものは存在しません。一つのことしかできないのが普通です。そしてその一つのことに出会えれば人生はとても幸せなものなのです」ここでいう「ひとつのこと」とは一つの才能しか持ち合わせていないという意味ではありません。人には柔軟性もあります。ですからこれがだめなら、また別のことに挑戦するということは十分できます。ですが、一度にあれもこれもと欲張ると結局なにも身につかなかったということが多いのは事実です。一時、日本が「バブル経済」に沸いていたとき、働き方の新しい形として「派遣社員」がもてはやされました。本人としても、会社やその人間関係に縛られず、自由に転職し、次々といろいろな職種を経験でき、これを「スキル・アップ」としていた時代です。現在はどうでしょうか。社会状況は一変し、職場は激減し、「派遣」はもはや花形ではなくなってしまいました。しかしどんな時代でも生き抜く人たちはいます。職人です。芸術家も職人ですし、料理人も職人です。ある意味では学者も職人ということが出来るでしょう。医者も、弁護士も、教師もそうでしょう。まだまだあります。すなわち「職人」とは「プロの仕事人」ということです。プロになるためには知識が必要であり、経験が必要であり、それらを身に着ける時間が必要です。プロになるための「準備」が必要だということです。昨今は、この準備を欠くことが多く、プロが育ちにくい社会状況となっています。ですから日本の物づくりは弱体化してゆきました。漁業も農業も同じ。今のままでは、自分たちの食べ物を作ることさえ出来なくなるでしょう。ごく少数のプロたちが作った製品を使うことは出来ても、修理することすら出来なくなります。これは危機的状況といえるでしょう。
この状況は教育が生んでいるともいえます。学生に対して、これも必要、あれも必要とさまざまな条件を押し付け、才能を伸ばす時間を奪ってしまっています。教養を身につけるためにあらゆる知識を広く持て!グローバル社会になったので英会話は当たり前。アジアの時代が到来するぞ!中国語を身に着けろ。小学生から金融教育が大切だ!株式の仕組みを教えなければ…。どうかと思います。本当に必要なことは「何か(仕事)をしていると時間も忘れてしまうほど楽しい」ことです。
「社会はそんなに甘くない!」そうでもありません。自分がプロとなり、きちんと主張をすれば社会は認めてくれます。プロはプロを見極める目を持っているからです。サラリーマンのプロ!大いに結構です。これからは「何々のプロ」を目指す人が人生を楽しめます。それには自分が好きだと思う分野にある程度の時間をかけて下さい。才能を見極める時間が必要です。
人生は他人から押し付けられるものではなく、自分で楽しんで見つけるものですから「現在の生き方は、一点集中で」が大切なのです。