この頃、いろいろな記事やニュースなどで毎日のように日本の低迷が取り上げられています。曰く、日本は首相が一年ごとにコロコロ変わる無責任な国だ!日本のお家芸である家電製品はもうだめだ!製造業が破滅した!産業が空洞化し、これから先日本に仕事は激減する!若者に就職先がない!教師が生徒にいたずらをした!警察官が薬物に手をだして逮捕された!云々。確かにすべてその通りで、そういうことがあります。
先日、タイに進出している親しい経営者の方とお会いする機会がありました。そしてその経営者の口からまたまたショッキングな話を聞いてしまいました。「タイの人々は老若男女を問わず、もう日本には学ぶところはないと言う。十年くらい前までは日本はお手本であり、日本人は規範だったが、すでに我々は日本を越えた!日本は暗い、元気のない国になってしまった」と。日本国内にいてもそのような空気は確かに感じない訳ではありません。しかし、そのような評価を改めて海外から聞かされると、衝撃を受けてしまいます。それではそのように見える要因は何なのか。この問題を考えて見る必要があるでしょう。大きな原因として経済の低迷があげられます。景気が悪いと比例するように社会の気分も悪い方向に流れてしまいます。本来ならば、最も将来に夢と希望を持ちエネルギー溢れているはずの若者に働く機会がなく、それどころか要求される条件はどんどん厳しくなってゆきます。本当に大変だと思います。これには「高齢化」という問題も絡んできます。単純に数の問題で考えて見ても、平均年齢が高い国ほど元気がなく見えるのは当然でしょう。先程のタイの話も、国を人に例えて見ればその原因がわかりやすくなるでしょう。タイが将来ある若者とするならば、日本はすでに「功成り名遂げた」熟年ですから、若者パワーに勝てるはずがありません。この諺は、「功成り名遂げて…身退くは天の道なり」と続いていて、「功成り名遂げた」者は潔く一線を退き、後進にその道を譲るのが良い!という意味になっていますが、ここについては、一個人であるならそれがよしですが、一国となるとそうもゆかず、まだまだ元気で存続してゆかなければ国民としては困ってしまいます。この、国の老化とも言える現象は、かつて歴史の中でも繰り返し続けられているのですが、それでも愚かな戦争を起こさない限りはどんな国も新たな活路を見出して低迷を抜け出しています。これらの低迷は現代でも先進国には共通した問題になっていて、かつて世界を席巻したヨーロッパもアメリカもよくご存知のように、経済問題と若者の失業率の低下に悩み、未だに有効な方策が打てずにいるのが現状です。また政治が低迷しているのも日本に限ったことではありません。政治や経済の話はまた別の機会に譲るとして、問題点を考えてみましょう。
その最大の問題が若者パワーの低下だと思います。
ここでいう「パワー」とはもちろん体力的なことではありません。では精神論かと問われればそうではありません。私の気になる若者パワーとは「情熱」に近いと思います。もちろん「情熱」の感じ方は世代で違いますし、男女間でも異なります。国によっても違うでしょうから、その価値観は多種多様なものでしょう。また全員に情熱がないと言うわけでもありませんが、非常に情熱オーラが低く感じられるのは事実です。人間は物欲に突き動かされると非常に強いパワーを出します。ですから日本のように先進国であり、物質的にも豊かな国の人間は物質オーラが低下するのも良く理解できますが、それと同時に情熱オーラも下がってしまうことには注意が必要です。多くのこれから物質的発展を迎える発展途上国にはそれだからパワーがあり、そこに元気さを感じるのです。では日本も「物質欲をもっと出そう!」という単純な話ではないところが問題です。今、必要なことはずばり「今までのシステム(社会も経済も政治も)ではない新しいシステムを創りあげる」というです。物質欲でないことに「情熱」を注ぐ初めての国民になるということです。日本は戦争を経験し、敗戦を経験し、近代歴史上類まれな高度成長を経験し、とてつもない公害を生み出し、克服し、世界経済を席巻するコンピューターによる金融経済の成功と破綻を経験し、世界でも最大級の天災に何度も遭遇し、克服する。世界でも稀な経験をしながら生きている国民です。そのような国ですから、世界最先端の精神性と情熱を持ち合わせることが可能でしょう。若者はパワーを出そうと意識して欲しいし、経験を持った大人はどんどん若者の失敗を許し、経験を積むチャンスを創り、知恵を渡す努力をしていただきたいと思います。若者の元気がない国は滅びます。
元気といえば、女性は元気です。社会進出も著しいし、その活躍も目を見張るものがあります。今、開催中のロンドン・オリンピックへの出場日本選手でも女性の方が多いようです。世界的にもそのような傾向らしく、国際オリンピック協会会長も女性が増えたことについて「象徴的な大会で五輪史の転換期になる」と発言するほどです。これは素晴らしいことでしょう。先日、あるボランティア団体の主催するイベントに参加いたしました。主に音楽やダンスの発表会です。驚いたことに、その出演者のほとんどが女性です。音楽、ダンスなのだから当たり前といわれればそれまでで、時代の差とも言われれば反論の余地はありませんが、参加した吹奏楽部、ダンス・チーム、合唱などほとんどすべてです。ちょっと前まで吹奏楽部は男性が多く(ブラス・セクションなど肺活量が必要な楽器が多かったからということがありますが)いまは「スイング・ガールズ」です。女生徒の体力向上が貢献しています。またこれもちょっと前まで、ガールズ・バンドは数えるほどでしたが、今「ケイオン」といえば女性のクラブ活動になりつつあります。一体、男の子はどこへ行ってしまったのでしょうか。高校野球がまっさかりの時期なので男子生徒も頑張っているようにみえますが早晩、女子甲子園が現実となりそうです。すでにオリンピックでは全種目に女性が進出しています。これは何も男性のグチという訳ではありませんし、また女性の社会進出を妨げるものでもありません。逆に、もっと男性が頑張らないといけないのではないでしょうか。元来、生命力も生活力も女性の方が上。男性はよほど意識をしっかり持たないと社会のバランスが崩れてしまいます。先進国すべてで言えることですが、今、求められることは「楽して儲かる」ことを考える男子の存在ではないでしょう。そんな考え方は、「功成り、名を遂げ」て、もうすぐ「身を退く」老人の考えることです。タイと日本の話でもそうですが、熟年と若者の差は明確です。「人生の持ち時間と情熱」の違いです。
日本の低迷を吹き飛ばすには、若者はその持ち時間と情熱を使い、いろいろなことにチャレンジするパワーを持つこと。そして今後日本の多くを占めるであろう先輩諸氏は、その社会的力と智恵を惜しみなく次世代に引き継ぎサポートをすることです。今の日本にもっとも欠けている問題点がこれだと思います。そして、敢えて言いたい!男の子も、頑張れ!