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ドラッグ・ラグ

 ここのところ「ドラッグ・ラグ」という言葉をよく耳にすることがあります。

 

 基本的には海外で使われている薬が日本で使われるようになるまでの「時間差」を意味する言葉のようです。この問題点は多岐にわたります。国によって違う承認システムの問題や製薬会社の都合による臨床実験の在り方、薬価の問題などが挙げられています。これらの問題点はさまざまな意見や改善策が数多く出されていて進展はしているのですが、ここでは別の視点から考えてみたいと思います。

 

 行政システム側にも多くの問題点がありますが、それでは一般国民側にはどうか……という視点です。

 

 この3年間、私たちは「新型コロナ・ウイルス」という目にも見えないものに翻弄され続けました。

 それでも科学の進歩により、通常では考えられないほどのスピードでワクチンが開発され、政府も特例承認を行い、驚くほどの速さで接種が行われました。

 これはある面著しい進歩で喜ばしい事例ですが、反面その副反応と効果に疑問を持つ国民も多く存在します。それは当然のことで、今まで使われていない新薬は長い年月によるデータ蓄積もなく、将来どんな問題が出てくるかもわからないからです。

 今までも薬害とされる事件は多くありました。古くは「サリドマイド事件」、「薬害エイズ問題」。記憶に新しいのは「子宮頸がんワクチン訴訟」です。

 その薬が本質的に問題があったサリドマイドなどは発覚後すぐに使用が禁止されましたが、そうすると国民は薬を承認した国の責任を問います。そして国は責任論に及び腰となり、承認に対して慎重になるという循環が生まれます。子宮頸がんワクチンも同じような構図で、最近まで日本では義務化がなくなっていました。

 

 海外で効果があれば「早く承認を!」。

 問題が起これば「すべて承認した国が悪い」。

 

 どちらも当然の意見ですが、最近の社会状況の中では、一人ひとりのこんな対応では解決が難しくなって行きます。

 

 ここのところ自衛隊の武力行使に関しても「反撃能力」の保持が決まりました。まだまだ問題点が多い方針転換です。ドラッグ・ラグ、防衛問題、税金の使い方、議員の在り方……問題が噴出しています。

 技術開発により薬の開発スピードが加速度的になり、世界の覇権が変化しつつあり、デジタルによる経済が激変する……。そんな、すべての価値感が急激に変わって行く中で、私たちの価値感がそのままで良いはずはないでしょう。

 本質的な価値観は別として、習慣的、近視眼的な対応は考え直す時期に来ていると感じます。

 

 「自身が柔軟に変化してゆく」という姿勢がどれほど大切か、どれだけの人が気づいていることでしょう。

 

 これからの時代は社会のさまざまな事例を自分の事として考え、判断する必要に迫られていると考えています。