最近、嫌というほど言葉の力を見せつけられる場面が増えているように感じます。
このコロナ禍の中で、首都圏と関西圏が三度目の「緊急事態宣言」となりましたが、どうも幸先は芳しくないようです。
未だに世界的に見ればコロナ感染者はけた違いに少なくはあるのですが、日本人の民族性と公衆衛生意識に頼っている防御措置は限界に近づいているように思えます。
日本人が反発を始めた原因として「言葉の使い方」が大きな一因であることは否めません。
これは今回の「具体的な規制(お願い!?)」条項をみるとよくわかります。例えば、「テーマパーク」「遊園地」は「無観客営業」。誰がどう見ても可笑しな表現と内容です。
最近、このような「よくわからない」表現が多いことに気づくでしょう。
もう一つ、国民がなかなか納得しない点に「説明の仕方」があります。コロナ関連だけではなく「もりかけ問題」から「花見会」、「コロナ禍の議員や行政マンの会食問題」「五輪開催の是非」に至るまで、「腑に落ちない、具体性がない説明」に終始している感があります。
その代表的表現が「総合的に勘案し、適切な時期に、適切に判断する」という、流行語にもなりそうな表現です。「具体性」がなく、聞いているほうにはまったく伝わりません。
一国の代表だけが使用するなら百歩譲って「致し方ない」かも知れませんが、それぞれ大臣や担当者などがこの表現を使うならばまったく具体性もなく、意図が伝わることはないでしょう。更に言えば、「意図さえない」と感じられてもしまいます。
その点、台湾などはこの国際的なパンデミックに対して非常に具体的でした。
この「発信力のなさ」は大きな問題です。
かと思えば、先日のアメリカとの2+2並びに首脳会談では、一転思い切った表現が使われました。「(防衛)能力の向上を決意」、更に「日本は自らの防衛力を強化することを決意した」と表現しています。
国際的には「総合的に勘案し~」では通らないということでしょう。
相手を選んでいることがよくわかる場面です。
皆さんの生活・活動の中でも同じことが言えるのですが、「目標がはっきり示されると理解しやすい」というのは当たり前のことでしょう。
地球温暖化という世界的な問題では、日本も「2050年までにカーボン・ニュートラルを実現する」と公約しました。これは防衛問題と同じように「具体的な分野と目標」が示されています。
このように示されれば、実現可能かどうかは別としても、社会、企業などもそれに向かって努力をします。
日本は日本は日本はこのような「詳細を詰めてゆく技術力」は優れていると考えます。
圧倒的な欠点は、これらに関わる「発信力」と「発想力」でしょう。
政治は、外からの圧力には「はっきり答え」、内の問題には「曖昧に」答えることが多いようです。
それには「さまざまな事情」が絡むのでしょうが、事実として日本は世界の標準からどんどん遅れています。IT、ジェンダー、EV、エネルギー等々、かなりの分野で周回遅れとなりました。
私たちの生活においても、例えば企業を経営する場合においても必要なことは、「次を考える目標となる言葉」を発するということです。
これは「自分の生活」に対しても同じです。
具体的な方法を考えるための目標をはっきり示す。これが「発進力」であり大切なことでしょう。
また、「発信」するためにはその裏付けとなる、確信と自信、そして最も重要な「発想力」が必要となります。これがなければ発信も実行もありません。
防衛問題などのようにはっきりと表現するということは、きっと何か「裏付け」があるのでしょう。そしてコロナ対策のように「曖昧に表現する」ということは、「やりたくない」若しくは「具体的な方策がない」と受け取られます。
日本には「技術力に支えられた実現力」が残っていることと思います。
しかしながら、世界に先駆ける「発想」と「発信」が欠けています。
パンデミックにより「普通でない社会状況」の中だからこそ、是非、多くの方に未来のために、この問題を意識して欲しいと思います。