今回ほど「民族性」と「民度」が問われる事態はそうそうないのではないかと感じます。
コロナ・ウィルス対策の良し悪しは別としても、その対策はそれぞれさまざまです。
「民族性」という意味では、挨拶の仕方ひとつ取っても日本人とラテン系民族では大きく異なります。西欧諸国が滑稽と感じる日本人の「お辞儀」。日本人にはなかなか出来にくい外国人の「ハグ」などが典型です。
また、マスクに対する感じ方も大いに違うようで、アジア人は相手の表情を「目」で感じるそうなのですが、西洋人は「口元」で感じることが多いという話を聞いたことがあります。そのため、アジア人はマスクに抵抗感がなく、西洋人は違和感を感じるそうです。
アジア人はサングラスに抵抗を感じる人が多いですが、西洋人はまったく気にしない! こんな違いがあるようです。
また宗教観の違いも大きいでしょう。一神教の国々では、礼拝ができないなら「神に召されたほうが良い」という場面も多く見られますが、日本ではこのような発言は皆無に近いでしょう。
このような「民族性」の違いにより、今回の感染対策も日本とそれ以外の国では大きな違いがでました。
かたや「強権発動し、自由を制限するのもやむなし!」。そして日本はあくまで「お願い・自粛」でした。結果についてはさまざまな習慣なども関係しますので、一概にどちらが優れているとは言えません。日本で良くても他国ではダメ! その逆もあるでしょう。
政治家の発言にも「民族性」が出ます。
これは個人の資質にも大いに左右されますが、アメリカのように、いまでもフロンティア・スピリットを大切にする国では比較的「強気」の発言が好まれます。日本では合議制、すなわち「場の雰囲気、みんなの意見」が大切にされます。政治の在り方も民族性によって大いに変わります。
自然災害において、少なくとも人間社会においてはそこに「悪者」は存在しません。誰が悪いわけではありません。相手は自然であり、ウィルスです。
しかしながら、二次災害においては「人的問題」が発生します。
緊急事態に遭遇した時、政府がどこまで「親身」になって国民をサポートするか。そして国民がお互いにどうやってサポートするか……。
こちらはそれぞれの国の「民度」が問われる事柄です。
全世界がパンデミックに襲われた今、これから先の「民度のあり方」によってコロナ後の社会に大きな差が出ることでしょう。
ここからは、全世界でそれぞれの「民度」が試されることになります。頑張りたいものです。