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宇宙的「心の五原則」ってなんだ!?【ベルメウスの時代 Vol.32】

宇宙的「心の五原則」

 

 肉体を必要としない「完成期」の人間の特徴である「心」の、どの部分を肉体を持った地球人は学ぶことができるのでしょうか。

 

 次のような点は、肉体を持っている人間の場合でも得ることが出来るでしょう。

 

1. 他の人の生命の危険を脅かさない(他者感省=たしゃかんしょう)

2. 感情の起伏が安定している(自己安定=じこあんてい)

3. 生存の大前提たる自らの惑星を傷つけない(生源保守=せいげんほしゅ)

4. (生存に対し)建設的である(建設思考=けんせつしこう)

5. 素直な気持ちを持つ(宇宙感応=うちゅうかんのう)

 

 チャネリングはこれらの状態を保つことは有効であり、地球人でも出来ると教えてくれました。

 完成期の人間において、これらの考え方をすることはまったくの「自然」なことなのですが、肉体を持った人間には、こんなことさえ、「なかなか守れない」ということでしょう。

 

 初めの「他の人の生命の危険を脅かさない(他者感省)」は読んで字のごとく、犯罪としての殺人はおろか、いかなる理由があろうとも人間が人間の生命を人為的に断つことは「心」に反する行為であるということです。

 地球人であれば、殺そうと思えば他人の命を奪うことができます。滅ぼすことが出来る肉体がありますから……。でもそれは「理性」=「エネルギー的な感情」で抑えることが出来るはずなので、それを強く、意識しようということです。

 四字熟語「他者感省」は造語ですが、「他の人の存在を感じて、その人たちとの関わりの中で自分を省みながら行動する」という意味で使って下さい。

 

 「感情の起伏が安定している(自己安定)」というのは物事の判断をするときに、瞬間的な感情による判断を行うのではなく、また目先の利益だけを追うことなく、総合的に状況を考えて欲しいということです。

 皆が共存するには……、出来るだけ個人一人ひとりが幸福感を得るために自分はどのように判断するか……などです。

 また感情を安定させることにより、「余計な争いを避け、対立を生まない」という結果にも繋がってゆきます。

 

環境破壊は「最小限」に!

 

 3番目の「生前の前提たる自らの惑星を傷つけない(生源保守)」のは考えなくても当たり前のことかも知れません。

 でも、地球人類は、この当たり前のことを守っているでしょうか。

 

 今、環境破壊の問題が大きく取り上げられています。それは現代の技術を持ってしても止まるどころか悪化しているのが現状です。

 真剣に議論し、改善してゆくべきでしょう。

 他の惑星の人類はこれが原因で絶滅している例があることもチャネリング情報の中にはあります。

 

 肉体を持って生存する人類の段階、おもに第三段階の「人化期」から第五段階の「体成熟期」に至る発展段階の人類は、その行動のどれをとっても、最も環境を破壊しながら生存する人類だといえます。

 そのこと自体が「善悪」なのではなく本質的に、そういう発展段階にある人類だということです。

 ましてや地球人類は第四段階の後期にある(現在はアセンションによって第五段階に移行している時期です)わけですから、地球への影響力も強くなっています。

 ですが地球人類も「第九段階に通じる心を持っている人間」なのですから、深層部分にある「心」を発揮して、惑星と共に生存できる程度の破壊ですむよう努力することが「人間らしい」行為であるといえます。

 それには、例えば新たなる発明をし、それが人間にとって便利だからといって、すぐそれを使用するのは問題があります。

 

 そこには「この人類の母体である惑星にとってはどんな影響があるか?」という自問自答がなくてはいけません。

 

 その発明が「もの」である場合、製造するために地球を壊し(材料はすべて地球上の物質なのですから)、そして使用後消滅させるために地球を壊してしまう(分解できない物質の場合、または地球の自浄作用の許容範囲を超える場合は特に)結果となるのですから。

 

 だからこそ「便利だから造る」、「求められるから造る」、という考え方だけでなく、造ったら最後の消滅が可能かどうかまでを考慮に入れる必要があります。

 ここに「生源保守」の考え方が求められています。

 

 4つ目の「生存に対して建設的であれ(建設思考)」というのは、1、2、3の項目をすべて含みますが、「生存に関して建設的」であるのですから、その反対に「生存に不適当な行為は慎まなくてはいけない」ということになります。

 これはおもに2番目の項目でお話ししたことと同じです。

 

 そして、この宇宙において人間が一人で生存することは不可能ですから、必ず人の集団である「社会」に生活しなければなりません。

 

 「自分の生存は、すなわち他人の生存」でもある訳です。

 直接的な利益によって結ばれていない場合でも、同じ星に住む人類としての共同生活者ではあることは間違いありません。

 

 生存に建設的であるならば、他の人への慈しみ、愛、感謝、救い、は当然の思考であり“心”なのです。

 最後の「宇宙感応」は次にお話しします。