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「無の境地」など……【ベルメウスの時代 Vol.30】

☆「休息」などの特徴の違いについて

 

 ここまで地球人類と完成期にある人間の形態の違いによる特徴をお話しして来ました。

 続いて、そんな特徴の一つである「休息」と云う行為についての違いを考えて見たいと思います。

 

 地球人は「生体エネルギーと肉体が合体し生きるタイプ」の段階です。

 そのため地球人の「休息」には二つの形があります。

 一つは精神的休息であり、もう一つは肉体的休息です。

 精神的な休息には皆様もご存知のようにいろいろなやり方があるでしょう。

 仕事を忘れ、趣味に没頭することも休養になるでしょうし、座禅を組んだり、それこそ滝にあたったり、美術館を見てまわったり、瞑想にふけったり、音楽を聴いたり、とそれぞれの気持によって沢山の方法があります。

 

 肉体的な休息はどうでしょうか。

 これはどなたでもほとんど同じでしょう。

 睡眠です。

 この「睡眠」は地球人類には不可欠な行為のひとつですが、肉体的休息と共に精神的な休息も同時に行います。

 しかし精神的な休息が必ずしも睡眠によって満たされない場合もあります。体は眠っていても夢をひっきりなしにみたり、うなされたり、事によっては霊現象を引き起こしたりします。

 この多くは生体エネルギーの休息が満足されないことに原因があります。

 地球上の人間において、この生体エネルギーの休息を得るためには、まず「発想の転換」、生体エネルギーに働きかけるためのいろいろな方法(私の場合は特殊な瞑想法、呼吸法、自己透視法などを開発し実践しています)。

 皆さんの場合は生活環境を変えてみたり、ストレスを感じたらすぐに休息を取るなどの方法ではないでしょうか。

 

完成期の休息=「無の境地」

 

 さて、それでは完成期の人間の場合はどんなことで「休息」をとるのでしょうか。

 

 彼等の場合は「思考の停止」を行います。

 「思考の停止」とは文字通り「考えない」状態をいいます。

 宗教やある種の武道などにおいて「無の境地」という言葉が使われることもありますが、これは第九段階まで進化した「完成期の人間における休息の行為」なのです。

 これは過去、チャネリングをして、それをもとに宗教作法などを考案した方々が残したものと考えられます。

 

 地球の人間は睡眠をとっている時でも、思考の源である頭脳の活動が停止する事はないでしょう。

 ですから完全なる思考の停止はありません。

 しかし彼等は休息(または地球上でいう睡眠のこと)において、完全なる思考の停止を行えます。

 この特徴は地球人類とまったく異なる性質であるといえるでしょう。

 

 このように特徴を比べてみるとわかるのですが、それらの決定的違いは「肉体の有無」に大きく左右されるということなのです。

 つまり、スピリチュアルの世界においても「感じた(またはチャネリングした)情報が、すべて現在の人間に当てはまるとは限らない」ということを知っていただきたかったのです。

 いまの人間に、出来ることとできないことがあるということなのです。

 

「人を殺す」ということは、「自分の死」と同じ意味がある

 

 

 「死」ということについても大きな違いが出ます。

 死は殺人も含めて考えられますが、完成期の人間の場合、「相手を殺すという行為」を行うことはありません。殺人がないのです。

 何故かと云うと、「殺人を犯す」と云う行為は、「自らも消滅すること」を意味しているからです。生体エネルギーのみで存在する場合、物質的凶器、武器などによって相手を倒すことは物理的には不可能です。肉体がないのですから当然です。

 

 もし殺人という行為を行うとしたら、自らのエネルギー(生命)そのものを相手の中に強引に押し込みショートさせ、その自分のエネルギーによって相手を破壊する方法しかありません。

 これは必然的に、「自分自身の崩壊」にも繋がっていきます。

 

 このような生命のシステムを持った人間達が愚かにも殺人を行うでしょうか。

 答えは簡単、ノーでしょう。

 

 地球人類もこの感覚は本能的に持っています。ですから「本能的に殺人を件をする気持ちががある」のです。

 

 稀に、自分のエネルギーが他人に入ってしまう状態が起こることがあります。

 スピリチュアル現象の中の「取り憑く」といわれる状態です。

 

 周波数が同じ場合では自然んば現象なので、「転生輪廻」である合体となるのですが、周波数が違った場合は「憑いた方も憑かれた方も不具合に陥る」ことは第一章でお話ししたとおりです。

 

 地球人類も第九段階の「完成期」に向かって脈々と進化している人間の一員であることの片鱗として窺える現象の一つです。